子どもたちの言動、膨大な数にストレスを感じながら

 

 

 

 広野幼稚園が保護者宛に毎月お出ししている“こどもの広場”、この冊子形式にしてから20年は経ちました。毎月、16ページのものを続けていることは、“継続は力なり”の格言を、地でいっているのではないかと思っています。

 

 この冊子は、年長児は1月から、年中児・年少児は2月号から、増ページに踏み切りました。“ほほえみからなるほどへ”というページを、新たに作ったからでした。

 

 広野幼稚園では、長年に渡り、子どもたちの言動を集め、冊子“こどもの広場”紙上の“ほほえみ”欄で毎月ご紹介しているところです。“塵も積もれば山となる”の格言どおり、今では、数千という自分達でも信じられない数となってきました。もちろん、日本中でこのような数を集めた幼稚園・保育所は寡聞にして聞いたことはありません。しかしながら、これらは、発言力が十分ではない子どもたちの心の動きを知るための宝の山的存在なのです。

 

 このことは、自分は30数年前から感じていたのですが、昨年の8月末、ギネスへの登録を目指そうということから集積してきた言動の活用への情熱が再燃し、昨年末から、パソコンソフトのエクセル機能を活用し、自分達保育者の潜在的実力を向上させることを目的として取り組み始めたのでした。

 

  こうして、再活用への意欲が高まってくると、自分達保育者だけで保有しているだけではもったいない、この子育ての楽しみにもなる実話を、現在子育て中の保護者の皆様にも、目にしていただく機会はできないものかと思い、新たなページを増設したのでした。

 

  志しは良いと思うのですが、昔から言われるように“言うは易く、行うは難い”の通り、パソコンの能力が格段に向上した現在とはいえ、なかなか、人前に出せる原稿とするには、容易なことではありません。

 

                                                                                   

 

  具体的に申し上げますと、子どもたちが発した言葉の中から、一つのキーワード、たとえば、サクラとか、入園とかいう言葉を捜し出すのは、5秒とはかからないのですが、自分達保育者が一年に渡るサクラに対する子どもたちの思いを知り、活用しようとすれば、それなりに時系列(季節の流れのなかなど)で出てくるようにしなければなりません。そのためには、影の力として、やはり人間の手でその順番を決め、入力しておかなければなりません。そうでないと、すぐに保育に役立たせることは不可能です。やる前から分かっていたことですが、この順序性を決めるのが大変な労力なのです。

 

  話は変わりますが、自分は、その昔、ある月刊誌で1年間の連載を依頼されたことがあるのですが、書き慣れていない人間が1年間分の原稿を毎月毎月そろえるとなりますと、かなり以上のプレッシャーを覚えるものです。このことを知っていますので、広野幼稚園では新たな企画をしようとすれば、やはり1年程前から取り組み始めて、まずまずではなかろうかと思っています。それゆえ、最低でも、年長児・年中児・年少児の3学年の1年間の原稿を早々に作り上げておかねばという思いで、かなりのプレッシャーを感じながらこのところの日々を送っています。

 

  また、これらの言動をもとに、子どもたちの心の動きをくみ取ろうとすれば、新たな項目を設け、入力しなければなりません。それは、アニミズムとか、自己中心性とかいう言葉が使われている心理面からの接近です。

 

  ところが、広野幼稚園には、心理学を少しは勉強したでしょうが、特別、深く勉強した人間がいる訳ではありません。特に、自分は何の知識も持っていませんので、一寸先は闇の世界です。

 

  とはいえ、自分は独断と偏見という言葉は嫌いではありませんので、巨大な山の第一歩を切り開くべく、この闇に向かって進み始めました。周囲の方々には「5年はかかるからね」という言葉を残して・・・。

 

  スタートしたこの2月は、最近熱を入れていたブログもご無沙汰することが多かったのですが、この3月末までには、2・3人の方々のご協力により、本年12月までの粗原稿が、ほぼできそうな状態です。

 

 保護者の皆様の手に渡るのは、原則、1か月に2ページですが、それなりにご鑑賞・ご歓談いただければ、原稿をまとめたものの一人としてとても嬉しいことです。      

精華大学のマンガミュージアムのパンフレットに!

 

 数日前、一通のDMが送られて来ました。何げなく手に取ると、それは精華大学のマンガミュージアムからでした。さっそく開封してみますと・・・。“表紙には、マンガで広がる可能性”(京都精華大学 事業促進室)とありました。

 

  二つ折りにされたこのパンフレットを開きますと、そこで、何と、広野幼稚園が昨年3月発刊した“ほほえみ“の表紙が掲載されていたのでした。マンガミュージアムのお世話になりましたので当然と言えば当然なのですが、何の事前連絡もなかっただけにびっくりしました。

 

  “ほほえみ”のテーマは広野幼稚園の書類の中では何カ所か使っていますので、保護者の皆様にはお分かりにくいところもあるかと思いますが、5色の虹の上を5人の子どもたちが渡っている図柄の冊子です。どの子も笑顔なのは、これを読んだ皆様がみんなみんなハッピーさを感じていただけたらと願っているからです。また、そう感じていただけると信じてもいるのです。続けて、何冊か出そうとしたのですが、この冊子の小見出しには、“教育の現場にもマンガを活用”とあります。3冊の表紙が並んだ真ん中に鎮座しています。こんなことなら、表紙に広野幼稚園と入れておけば宣伝になるかもと、一瞬思いました。残念。

 

  この後、続けて出せる“ネタ”はたくさんあるのですが、文字を原画にしていただくにはそれなりの労力と費用を必要とします。保護者の皆様の中に、「私が描いてあげよう」と思われる方は、どうかお申し出ください。適当な費用は出させていただきます。

 

 ちなみに、広野幼稚園が学年終了時にお出ししている皆勤賞・精勤賞のお名前と日付は、平成26年度から、卒園児の保護者が書いていただくことになりました。マンガの方でも、ご縁ができる方がありましたら、幸いです。

 

                                                                                  

 

平成26年度の皆勤賞・精勤賞の書き手が?

 

 賞状に書く名前を書く“筆耕”ことはなかなかというより、大変難しいことです。広野幼稚園には、少しは字が上手なものもおりますが、ほとんどの者はできれば避けて通りたいと思っているのではないでしょうか。子どもの心を育てるためにクラス宛に出している音楽会表彰状や1円玉募金お礼状などは別としてもです。

 

 さて、今年の皆勤賞・精勤賞の書き手が変わりました。卒園児の保護者のMさん(女性)です。お二人のお子さまを卒園させていただきました。

 話は少し変わるのですが、全国紙の一つ、毎日新聞には読者の書道家たちが投稿され、2週間に一度ぐらいでしょうか、専門家が品評される欄があります。大人の時と子どもの時が交互に掲載されているようです。特別興味がある訳ではありませんので確かなことは言えないのですが、このような頻度だと思っています。

 

 なぜ、この欄に少しの興味を持っているかと言えば、時々、卒園児の名前が見られるからです。中には、小学校の低学年から高校生になっても続けている方もあり、その上達振りには目を清めさせていただいています。広野町にはとてもよい指導者がおられるのでしょう。

 

 一方、大人の部でも、40年近く前に卒園された同姓同名(?)の方もおられるとともに、このMさんの字にも、再々、お目にかかっていたのでした。

 

 年末も押し迫ったころだったでしょうか、たまたま、先様からお電話をいただき、渡りに船とばかり、ご依頼することになったのでした。どうか、これから先、20年、30年に渡り、ご健筆を奮っていただけたらと願っています。

 

 未来の皆勤者・精勤者とともに、よろしくお願い申し上げます。

 

                           

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。児童文学者、今江祥智氏が死去

 

戦後没落寸前であった上方落語を復興させられた桂米朝師匠が亡くなられた20日、時を同じくして児童文学者の第一人者、今江祥智氏がご逝去されました。広野幼稚園にとりましては、今江祥智氏というより、今江先生と呼ぶべき間柄の方でした。

 なぜかと言うと、先生は昭和40年代は、京都の伏見にあります聖母女学院短期大学の教授として、当時から実習生をお引き受けしていた広野幼稚園に再々来られていたからでした。今の主任のK先生の若き日の同僚たちの数多くも、その薫陶を受けた方々だったのでした。

 

 確か、昭和48年には、この幼児教育科の授業で、広野幼稚園の(3・4・5歳児に分かれた)ブックリストが紹介されたこともありました。このリストは、当園では、今でもかなり以上の権威を保っています。

 また、当広野幼稚園の講堂の舞台(現状のもの)では、昭和56年9月に、同じく“兎の目”などで著名な児童文学者の灰谷健次郎氏と“小学生と絵本”の主題歌でジョイント対談が行われ、新聞広告の小さな呼びかけに応じられた聴講者たちで、この空間が立錐の余地のないほどの満員になったという伝説もあり、中でも、記憶に残っていることは、学校を休んで来たという小学校の教員の方もおられたことや、肝心の今江・灰谷さんたちがかなりの時間遅刻され、この間、間を持たすのに必死だった思いがあります。

 その他、タイトル名は“絵本・大人・子ども”だったと思いますが、今江祥智氏著と書かれた理論社から出版された本の中に、自分もほんの5・6ページだったと思いますが、“わが生い立ちの記”のような表題で幼児期の自分と絵本のかかわりを載せていただきました。ありがとうございました。

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いろいろな面でのかかわりがあり、長い期間に渡って、日本の児童文学教育に大きな足跡を残された今江先生、心よりのご冥福をお祈りいたします。  合掌