心よりご冥福をお祈り申し上げます。児童文学者、今江祥智氏が死去

 

戦後没落寸前であった上方落語を復興させられた桂米朝師匠が亡くなられた20日、時を同じくして児童文学者の第一人者、今江祥智氏がご逝去されました。広野幼稚園にとりましては、今江祥智氏というより、今江先生と呼ぶべき間柄の方でした。

 なぜかと言うと、先生は昭和40年代は、京都の伏見にあります聖母女学院短期大学の教授として、当時から実習生をお引き受けしていた広野幼稚園に再々来られていたからでした。今の主任のK先生の若き日の同僚たちの数多くも、その薫陶を受けた方々だったのでした。

 

 確か、昭和48年には、この幼児教育科の授業で、広野幼稚園の(3・4・5歳児に分かれた)ブックリストが紹介されたこともありました。このリストは、当園では、今でもかなり以上の権威を保っています。

 また、当広野幼稚園の講堂の舞台(現状のもの)では、昭和56年9月に、同じく“兎の目”などで著名な児童文学者の灰谷健次郎氏と“小学生と絵本”の主題歌でジョイント対談が行われ、新聞広告の小さな呼びかけに応じられた聴講者たちで、この空間が立錐の余地のないほどの満員になったという伝説もあり、中でも、記憶に残っていることは、学校を休んで来たという小学校の教員の方もおられたことや、肝心の今江・灰谷さんたちがかなりの時間遅刻され、この間、間を持たすのに必死だった思いがあります。

 その他、タイトル名は“絵本・大人・子ども”だったと思いますが、今江祥智氏著と書かれた理論社から出版された本の中に、自分もほんの5・6ページだったと思いますが、“わが生い立ちの記”のような表題で幼児期の自分と絵本のかかわりを載せていただきました。ありがとうございました。

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いろいろな面でのかかわりがあり、長い期間に渡って、日本の児童文学教育に大きな足跡を残された今江先生、心よりのご冥福をお祈りいたします。  合掌