故 中川登美子先生を偲ぶ会に

話は広野幼稚園の歴史の一端から始まるのですが、神武景気・岩戸景気・いざなぎ景気などと経済の発展の一途を

たどっていた昭和40年代、当時、幼児教育には、文字や数への関心を深めることは小学校教育の妨げになるなどと、

今でも信じられない話が幅を効かせ過ぎていた時代、私たちの幼稚園はスイスの世界的な幼児教育学者ピアジェの理論に

基づいた教材、“はじめてのことば”と“はじめてのかず”を採用することにいたしました。

 

この時期、この教材を作っていた幼児教育出版という会社と知り合いました。

これらの教材は、半世紀を経た現在も、“ファーストシリーズ”の“ことば”と“かず”という名前で現在も続けられ、

この教材を保護者の皆様にお買い求めいただき、子どもたちとともに、ずっと使い続けているのです。

 

故中川登美子先生は、この会の専任講師として、特に、採用した当初、再々、大阪から広野幼稚園まで

お出向きいただき、当時の現役の先生方を楽しませ、盛り上げながらのきめ細かい講習で、

その意義と指導法の一端をご教授いただきました。

 

また、なぜか大層広野幼稚園をごひいきにしていただき、昭和54年に出版された“ゆたかな表現力と心を育てる”

“こくばんあそび”の表紙には、当時の○優子先生をご起用いただき、また、カラー印刷の2頁目には、○○愛子先生を

掲載される(下記の写真)など、親密な関係を保ちました。

 

それなりのお年になられてからも、全国各地を飛び回られ、各所にその足跡及び業績を残されたこと、

“知る人ぞ知る”存在でした。昨年度に行われた幼年教育会の50周年記念式典ではお元気な会話を交わしたのが

最後になりました。

謹んで、お悔やみ申し上げます。

 

s-IMGP0025  s-IMGP0024

園長