逢坂山(関)を越えての散歩

運動会の見学を終えた午後、ふとしたはずみで、

山科区の大宅から大津まで歩いてみようということになりました。

車では何度となく行き来している逢坂山、その渋滞で何度となく腹立たしい

思いも持ったところでもあります。

 

山とは言え、今では峠とも呼ぶもおこがましいほどの一般道、国道1号線です。

しかし、その昔、万葉のころから琵琶湖を通って諸国から送られた、

京の都への物資の大半がこの山を越えたと思われます。

そのため、この道は、何度となく、堀削され、低く通りやすくされてきたようです。

 

話は少し飛びますが、百人一首の中でも覚えやすく、多くの愛好家の卵から

好きな“取り札”として覚えておられる方も多いかと思う、

“これやこの行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関”と盲目の法師、

弾丸によって詠われた和歌でも有名です。

今日の散歩は、この弾丸法師の歌にひかれての道です。

 

この他にも、清少納言の歌で百人一首にも選ばれている、

“世を込めて鳥のそらねははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ”も

この峠道を詠ったものです。

 

音羽病院の横の道、昔の伏見街道(宇治街道)から追分を過ぎ、

車がビュンビュン行き交う、国道1号線の横の歩道を歩みます。

ず、昔、弥次さん喜多さんも通った旧東海道筋まで黙々と歩きます。

この辺りには、“走り井餅”のお店があったはずだと思いますが、

それは、はるか昔なのでしょうか。

 

そのご近所に、蝉丸神社や蝉丸の歌碑があります。

二度と通らないと思いますので、少々の階段はものともせずに登り、

また、少々お賽銭もはずみ、はるか昔、その当時に生きた人々を偲びました。

 

帰りは京阪電鉄京津線、曲がりくねった路線を楽しみました。

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園長