花よりたいこ(太鼓)

“あっ、今日は天神さん(25日)や”と思ったのは、朝寝床から起きようとした瞬間でした。未だ梅も名残惜しげに咲いているであろうし、道端には桜も咲いているであろうし、また天神さんを通り抜ければ、平野神社の桜もちらほら咲きではないかと思い、それにもまして今日は時間もあるので、久し振りにじっくり露店や植木を見て回ろうかなと気を引き締めたのでした。

 

何を買うかというあてはありません。子どもたちが絵に描けるような“何か”を探します。何かとは何か、それは自分の目に飛び込んで来てくれたものです。

 

信じられないことに10店めものぞかないうちに、見つかりました。いろいろな小物がのせてある丸型の木製品です。これは平太鼓だと直感しました。

 

私がご亭主に「これいくら?」とたずねます。ご亭主いわく「なんぼで買うてくれるん?」と逆に質問されます。何度かこの問答を繰り返したあと、ご亭主「昔、3000円で買うたから4000円でどうや」との答え。

 

神殿の横に出ましたので、長蛇の列をつくってられる方々を尻目に、お賽銭を奮発したあと、横目でお参りします。

 

先とは別の道を引き返すと、御所人形らしき人形に出合いました。値段は?とたずねますと、まずますの値段。家までどうして持ち帰ろうかと考えましたが、欲望には勝てず、購入しました。

 

こうなると、“長居は無用”です。先に購入を決めていた露店に戻り、皮(皮ではなくラシャ地?)が半面だけ張ってある太鼓を右手に、左手には偽の御所人形をもって早々に引き上げました。花より太鼓でした。

保育バカ

休みの日にも、くるまに乗る癖がつきつつある?こわい!

土曜日・日曜日は絶対くるまに乗らないはずが、いつの間にか、乗る機会が増えているのに自分自身が驚いています。

この日も午前中は出勤し、昼の2時ごろには帰宅していたのですが、“あっ、そうだ。病院へいかなくちゃ”と思い出したのが、午後4時。すぐにくるまのキーを取り出したことに愕然としました。土日もくるまに乗るようになれば、必然的に歩く機会は激減します。

“そうはならじ”と一念発起し、ズボンを履き替え、歩いて病院に向かいます。片道は2,5キロほどです。

東へ東へ、途中、数日後に広野幼稚園が研究発表する“ホテルルビノ”の横を通り、京都府庁へ出向きます。仕事はお休みですが、桜のシーズンは休日でも午後5時まで開いています。“堅いのはお役所仕事”と一般に定評ですが、近年の不調は、府民に優しいのでしょうか、チラシまでつくってPRに余念がありません。

それに迎合する訳でもありませんが、チラシに誘われて道草し、(第二回赤の前の)威風堂々とした正門から入ります。平成16年に重要文化財となった、京都では比較的少ない洋風の堂々たる建築物が見えます。桜にこだわるのではなく、これを見るだけでも訪問する価値はあります。

この中庭には、由緒ある桜の木が5・6本植わっています。中でも、中央の少し枝垂れている桜は“満開近し”を思わせます。周囲の桜の開花はもう少し先のようですが、広野幼稚園の発表日の27日には、ほとんどの木が満開となっていることでしょう。私たちの発表も、心ある全国の保護者の方々にインパクトを与え、満開のように咲き誇ることを期待していますし、また、そうなるであろうことを信じています。

園長

☆ “あいうえお積み木”に付加価値をつける方法として?

ある年のこと。かなりの数がある“あいうえお積み木”で子どもたちが自分の名前を集める活動をしていたときのこと、濁音や半濁音が入った氏名を持つ子どもが非常にとまどったという話がありました。

そこで、さっそく、私は動いたのでした。薄い透明なファイルをその積み木の大きさ(広さ)に切り、それに濁点( )だけを書いたもの、あるいは、それに半濁点( )だけを書いたものを造り、それをこの積み木の周辺に置いておけば、賢明な子どもたちは、“か”の上に“ ”を載せれば“が”ができ、“さ”の上に“ ”を載せれば“ざ”、“た”の上に“ ”を載せれば“だ”、“は”の上に“ ”を載せれば“ば”、“は”の上に“ ”を載せれば“ぱ”ができると、自らの頭を働かせた活動を展開するであろうと思ったのでした。ところが、残念なことに、私の思いは、教材造りを担当する職員たちには、正確には伝わらなかったのでした。

それでは、どう伝わったかと言いますと、“か”という文字に“ ”を直接打って“が”を、“さ”という文字に“ ”を直接打って“ざ”を、造ろうとしていたのでした。この方法では、ものすごい量の文字板を用意しなければなりません。また逆に、用意ができた暁には、子どもたちは大量の文字に囲まれ過ぎて、自分が必要とする文字を捜し当てるのに、相当以上の時間を費やすことになります。まったく子どもたちは文字探しに終始してしまい、疲労するばかりでなく、時間の無駄でもあります。

このところ、小学校の生徒達の一部で盛んに行われつつある5色100人一首は、一度に100首に取り組むことは子どもたちの集中力が続かないので、100を5で割ったところに、望ましい教材としての価値が生まれたのです。膨大な数を造ることによって、子どもたちの意欲が減少するとすれば、骨折り損のくたびれ儲けになります。なんと残念なことでしょう。  自称 保育バカ