(天下布武)織田信長の居城、近江の安土城趾へ

先週のNHKの番組で安土城について放映がありました。何の番組だったか定かではありませんが、観光中の混雑を避けて久しぶりに旅心を誘われたのでした。そこで、連休の真ん中、早朝から東海道線に飛び乗ったのでした。

 

もう一つの理由は、かなり昔、広野幼稚園のききょう塾で子どもたちと何度か訪れていたからでした。久しく行っていないうえ、先の番組で何かおもしろい発見があったように感じられたので、近々、子どもたちに案内されることもあろうかと思い、その下見を兼ねるという目的もあったのでした。

 

安土駅を降りると、城跡まで十丁の看板が目に留まります。さほどの距離ではありません。都会ではありませんので、さほど高くない山ですが、ビルが視野を遮ることもありません。

 

人影は少なかったのですが、驚いたのは、入山料の高さでした。ここで、子どもたちとともに行動することはできないと決めました。こうなりゃ、自分の思いのままに動くだけです。

 

大手道を登り始めますと、右手に前田利家公の、左手に羽柴秀吉(後年の豊臣)の屋敷跡があります。他所と比べておもしろいのは、階段の石の大きさが一律ではなく、高低が入り交じっているのです。その上、築城を急いだせいでしょうか、それとも、信長の性格を顕著に表しているのでしょうか、階段には結構お地蔵(石仏)さんが使われているのです。そこには、印もつけられていますので、さすが、足を乗せることだけは遠慮させていただきました。

 

本丸跡で信楽製の陶器の丸テーブルに座り、一息継ぎますと、“松風騒ぐ丘の上 古城を一人何思う 栄華の夢を・・・”と昔流行った歌も自然と口の端に出てきますが・・・。

 

息切れも治りますと、良い考えが浮かびました。それは、このテーブルの上で溜まっている原稿の校正をすればよいのではないかということでした。幸い、電車の中での仕事分以上に、持参の紙袋には入っていましたので、爽快な気分で仕事をすることができました。

ラッキー!ラッキー!

 

自称 保育バカ