初めてのなわとび大会

今日は、年中児初めてのなわとび大会を行いました。

朝から「先生、今日はなわとび大会の日やろ?」と嬉しそうに聞いてくる子ども達の姿が印象的でした。

前半と後半に分かれて行ったのですが、まずはみんなが好きな地球をぐるぐる体操をし、

ポケットから“魔法のなわとび”を出して30回ジャンプ!身体もほぐれてきたところで次の種目へ…。

次は、縄ではなくフープを使っての縄跳びに挑戦!フープを回してジャンプをしたり、

運動会のサーキットの中でも行ったフープ回しもしました。子ども達は、運動会の後もフープで遊んでいたので

自然と回せる回数が増えている子どもが多くなっていました!

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フープを終えたあとは、縄を自分の横に置きリズムよく左右に飛び越えるのにチャレンジ!

手拍子や、タンブリンの音に合わせてジャンプ・ジャンプと縄を飛び越える子ども達の姿はとても楽しそうでした。

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続いて、各クラス男女別に分かれて並び、コーンのところまで走り跳びで進み、コーンを回って次のお友達に

バトンタッチ!をする走り跳びリレーです。前跳びよりも走り跳びのほうが子ども達にとってはやり易いようで

速く走り跳びが出来ている姿も見られ、保護者の方からも「すごい!速い!」と言う声や「頑張れー!」という

声援が聞こえ子ども達も嬉しそうでした。

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次は、前跳びです。自分の縄を持って前跳びをしますが、広野幼稚園では半分に切った縄や柄の長い縄、

縄にサランラップの芯などを通しているものなど様々な縄があり、子ども一人ひとりによってどの縄が良いかを考え

担任がその子にあう縄を貸して練習に取り組みます。跳べた回数も大切ですが、今は跳ぶことの楽しみを子ども達に

感じてほしいのでそのような縄を使った指導も行っています。

最後の種目は片付けです。縄をうさぎの顔のような形にしてから一重結びをして片付けをします。

縄跳びの活動を始めた際には難しい子どももいたようですが毎日の保育や、休み時間の練習などを通じて

今ではすぐに一重結びができるようになりました!

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子ども達は、縄跳び大会がすごく楽しかったようで「次はいつ?まだ~?」と尋ねてくる子どもの姿が見られました。

次のなわとび大会までに子ども達ともっともっと練習をして楽しみたいと思います。

保護者の皆様、お忙しい中応援に来てくださりありがとうございました。

りんごちゃん

 

出勤簿の大幅な改善

 

 

デジタルが全盛期を迎えています。何事もデジタルでなければ時代遅れと言われそうな時代です。

 

広野幼稚園は、幼稚園としては、かなりデジタル化が進んでいるほうだと思いますが、それでも一般の社会から見れば随分遅れていることでしょう。

 

アナログの代表格としては、講堂の一隅に置いてあるホワイトボードです。この“今日のお休み”欄には、ご存じのように、毎日各クラスから個人の顔写真が提出され、貼られています。これを見れば、すぐに、この園の子どもたちの出欠席状態が把握できるようになっています。これは、デジタルデータだけでは限られた方にしか人目に触れなかったため、インフルエンザのなどの発生状況でクラス閉鎖をするか否かの判断が遅れたという過去の失敗を生かし、デジタルとアナログを平行して行っているという事例です。

 

広野幼稚園の“子どもたちの出席簿”は一応デジタル化されていますが、“先生方の出勤簿”は未だにアナログです。毎日、出勤しますと、個人印を押してもらっています。この出勤簿が完全デジタル化されました。中途半端ではありますが、関心をお持ちの方はお聞きください。

 

ある日のこと、いつものようにボサッとしていますと、“あれっ”と思ったことがありました。出勤簿です。年間の日曜表は、毎年曜日が変わりますので、出勤簿には日曜・祭日が表記されていません。各人は自分の出勤日に印を押すだけではなく、日曜・祭日にも印を押さなければならないのです。この時間をカットできたらと思ったのでした。

 

そこで、広野幼稚園で一番パソコンに強いS先生に相談を持ちかけました。完全デジタル化ではなく、一部アナログを交えてもいいから、ということでした。

 

すると、S先生はその日、数時間のうちに、完全デジタル化した出勤簿を作ってくれました。先生方の中には、自分の保育だけではなく、こんなこともやっていただいているという事例として取り上げさせていただきました。

 

園長

第1回、ブラタモリの跡を追って

豊臣秀吉はほぼ天下を統一した天正19年(1991年)、京都の町を外敵の侵入や河川の氾濫から守るため、本拠地、聚楽第を中心に四方22キロに及ぶお土居と呼ばれる堤防(城壁?)を完成させました。お隣中国の“秦の始皇帝が築いた万里の長城”を小さくしたような考え方です。

 

このお土居は、現在、京都市内の各地(9か所)に点在しています。簡単にわれわれの目に触れるところでは、北区の加茂川中学校の西、大宮交通公園内などがありますが、今にして思えば、高さや幅も“まあこんなものか”と思う程度のものです。

 

11月のある日のこと、千本北大路の西北、左大文字の山ろくで、姿を消していたお土居跡の発掘調査が行われ、その現地説明会が行われるということなので、朝の9時半には、市バスに乗り込みました。

 

現場を見て感じたことは、やはり豊臣秀吉のすごさでした。今まで見てきたものは、やはり飾り物程度でした。本物のお土居の周りは犬走り(幅は2.6メートル)に囲まれ、その下には空堀があります。堀の幅は約8メートル、深さは4メートル以上で、犬走りより上に積まれた土塁の高さは9メートル、堀の底から眺めれば、現代建築では、何とビルの3階以上です。

 

このような工事を聚楽第を中心に四方22キロに及ぶ大工事をたった4か月で完成させたとは、私の祖先も多分この工事で働かせられていたのではないかと思うと、さすが秀吉ファンの私も胸が痛みました。

 

この後、鷹が峰のお寺の紅葉でも見ようかと思い、なおも北を目指しますと、第1回のブラタモリで出てきた一つのお土居に出会いました。ここはスケールの点で少しばかり、往時の面影を残しています。

 

管理されている前のおまんじゅう屋さんでカギをお借りし、お土居の上に登ったり、犬走り的なところまで降りてそのスケールの大きさを体感させていただきました。秋の木々の紅葉も見られ、大満足でした。

 

その後、ブラタモリの映像を思い浮かべつつ、京都の北に点在するお土居を巡り、そのスケールの大きさの一端を体感いたしました。

園長

 

追伸     この見学で、この4・5年内に見た豊臣秀吉の遺跡(の発掘現場)は、自分の家の近くの聚楽第、宇治川右岸の太閤堤、伏見桃山の指月城趾、今回のお土居跡の合わせると4か所、

改めて、豊臣秀吉という人物が京都に与えた影響の大きさを実感しているところです。

 

 

 

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