公開保育の後に

作品展が終わった次の日、泉大津市の晴美台幼稚園の公開保育を見学させていただきました。午前7時30分には泉北高速鉄道の泉ヶ丘に着いていたのですから、京都を出たのは、まだ、市バスも走っていない時間帯でした。

 

公開保育については別の先生が書くと思いますが、非常に有意義な公開保育及び研修会でした。快い満足感を覚えながら、その幼稚園を後にした自由時間。何十年と伺ったことのない堺の町をぶらつこうかと堺東の駅で途中下車したのでした。

 

駅前にあった簡単な町の地図を見て、急に行き先を変更しました。当初は、千利休や与謝野晶子の旧跡をたどるのもいいなと思っていたのですが、見た地図では、日本最大の前方後円墳、第16代の仁徳天皇陵の緑色が飛び込んできました。“あぁ、そうか、まだ体力も残っているから百舌鳥(もず)の古墳群巡りとでも洒落込もうか”と心に決めたのでした。

 

駅前にあった派出所でその位置を再確認し、歩くこと5分足らず、南大阪の名門、三国が丘高校の校門の前に出ました。この北50メートルのところに、18代の反正天皇の御陵がありました。民家に囲まれ、見えかくれする御陵を一周後、お目当ての仁徳天皇陵に向かいます。

 

南へ20分ほど、かなり大きな通りをまたぐ歩道橋に登ると、その一角が展望できました。ほとんどは緑の木々ですが、さすが秋、ところどころに真っ赤に紅葉した木もあります。一時の秋を楽しみました。

 

周囲の景観を配慮して舗装した遊歩道(?)を通って古墳の正面を目指します。この古墳の周囲は、2850メートルとか。京都で言えば、ちょうど、二条城と御所を足して2で割った距離かなと思いました。この御陵は、エジプトのピラミッドや中国の秦の始皇帝の墓を凌駕するほどの大きさです。

 

軽く遥拝してそのお隣の履中天皇(17代)陵を目指そうとしたのですが、天気予報どおり、雨がぽつぽつと降り出しそうだったので、残念ながら、次の機会を待つことにしました。

 

 

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園長