記録とは?

私たちの幼稚園では、記録をとても大切にしています。たとえば、長年の事故のデータを保存しておくことは、似たような事故が起こったときに役立つばかりでなく、(考えられる)リスクを、あらかじめ、排除しておこうという考えにもつながるからです。

この数日、この10数年間のケガのデータを見直す時間をもちました。そこで、大きな発見が二つありました。気づいたことは、改めて言うのもはばかられますが、記録には、大きく分けて、二つの種類があるということでした。①は該当年度が終われば、倉庫の片隅に積み上げられるもの(死んだ記録)、②は、該当年度が終わっても、次年度以降に引き継がれて行っているもの(生きた記録)があるということです。

さて、勤務していただいている教職員数の事務量が増えることは、決して望ましいことではありません。多くの幼稚園・保育所では、残念なことに、①で事足れりとせざるを得ないのが現状でしょうか。

しかし、それでは、過去のデータが生きてきません。それでは、その報告書を書いてくれた担任たちの労力が無為になります。データは、来るべき未来に向けて活用してこそ、生きた記録となるのでしょう。

データの整理中気づいたことは、やはり、言葉を統一せねばならないということでした。たとえば、人間の部位の一つである前頭部を何と表現するのでしょうか、ひたい、額(ひたいと読む)、おでこ、前頭部、頭などがあろうかと思われますが、この語彙を統一しておかないと、将来、まったく活用できません。なぜなら、おでこと額を同一のものだということを、現在の“検索機能”では、引き出すことは不可能だからです。また、将来、AIがデータ処理をしてくれるようになっても、この事実を覚えさしておかないと処理はできません。

すべての人が、今まで生きて来た人生において、一人ひとりが文章(言葉)の表現法を持っておられます。それを曲げて均一化の道をとらないと、リスク予防のデータとしては役に立ちにくいということです。個性の尊重がうたわれる時代ですが、それに反する要求も時と場合には必要であろうと思っています。                          園長