自然幼稚園から広隆寺へ

昨日の祝賀会に誘発されて思い出残る自然幼稚園へ行ってみようかと思い立ちました。

この幼稚園は今を去ること50年以上前、自分が広野幼稚園にやって来たとき、

初めてか第2番目に参観させていただき、豊かな環境に心を打たれたことがあったからでした。

 

福岡毎日マラソンで旭化成の佐々木悟選手が健闘よく2時間8分台でゴールインし、

評判が高かった公務員ランナー川口選手が後半よく盛り返し、8位でゴールインした姿をテレビで見届けた後、

今にも雨が落ちてきそうな空模様の中、出発しました。

 

市バスに乗って丸太町通りを西進し、子どもたちに人気の高い太秦の東映映画村で下車、その門前を通り過ぎますと、右手にあるのが目指している幼稚園です。

 

幼稚園の門前にたたずみますと、広々とした門へのアプローチ、その両側には木の温もりを感じる縦板の壁、

子どもたちの目線に合わせ、彼らの遊びを刺激するような実用を兼ねた室外室内のデザイン、上品さが感じられます。

 

この自然幼稚園のお隣にあるのが京都の有名寺院の一つ広隆寺、当然のごとく立ち寄ります。

門前に立ち止まり、中をうかがいますと、近年爆発的に増えている観光客の姿もまばら、一昔前の京都がここにはありました。

境内には、もみじやイチョウの黄葉は見られますが、ところどころにしかないのが、静寂さを保っている要因のようです。

霊宝殿に保管されている弥勒菩薩は半跏思惟像、日本の仏像中の特級中の特級品、

数ある国宝の中で第一号として指定されているものです。右手を右頬に、左手をご自分の左膝に、

静かに物思いにふけってられるお姿は、第一号にふさわしいものです。

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小一時間ほど滞在した後、嵐山に向かおうと思っていたのですが、せっかく、身も心も洗われた思いが充満しているのに、

わざわざ、混雑の中にあるストレスを吸収することもないかと、さっさと帰路につきました。

すがすがしい身と心、明日からもがんばるぞ

 

園長

自然幼稚園の80周年記念式典に出席して

幼稚園で行われた、来年入園される予定の子供たちに対する半日保育の日、

心を残しながら11時前に幼稚園を後にしました。京都市右京区の自然幼稚園の

創立80周年と新園舎完成記念式典にお招きを受けていたからでした。

 

一昔前は、周年記念行事はかなり盛大に行われることが多かった幼稚園業界でしたが、

近年は目立って減ってきました。反面、新園舎完成記念イベントは結構行われているのですが・・・。

 

近年、新園舎完成記念式典にお招きを受けて残念に思うことは、多くの園で周年誌が

発行されないことです。地域の幼児教育・文化の一端を担ってきた幼稚園として、

また、自分たちの歩んできた道を記録として残すのは非常に意義のあることではないかと思うのですが・・・。

 

この式典で最も感銘を受けたのは、昭和7年の創立以来、信じられないほどの自園の

いろいろな行事などの映像を残して来られたことです。それも、今の言葉で言うなら動画でです。

現在と違い、非常に高額の出費を必要としたでしょうに・・・。

この映像は、京都の幼児教育の黎明期の証人として、非常に貴重なものではないか、

そうであるがゆえに、毎年、新卒者を対象に行う京都私立幼稚園連盟の研修会などで、

将来の幼児教育の一端を担う先生たちの卵に見せていただけたらとも思いました。

 

広野幼稚園も比較的慎重に記録を残しているほうだと思うのですが、それも言うなら、写真や冊子程度です。

比較すれば“月とスッポン”の違いがあり、恥じ入るとともに、今後の参考にさせていただきたいと思いました。

 

お土産として、“美乃里”という80周年記念誌をちょうだいいたしました。

中でも目をひいたのは、“保育の取り組みの改革”というページでした。

小見出しを引用させていただきますと、

昭和7年頃の「家なき幼稚園」は自然保育園として活動を開始した頃

昭和24年頃 14年に幼稚園として認可されて以降、栽培・飼育・観察を基礎

とした自然保育が充実して行く時代

昭和30年 幼稚園教育要領が発効される前年度

昭和33年  文部省の指導書自然編に当園の意見と資料の大部分が採用された頃

昭和37年 (当時の自然幼稚園の)日案

昭和40年 (当時の自然幼稚園)の月別指導内容と月案

平成元年頃 幼稚園教育要領改訂(6領域が5領域に)

平成15年頃 (自然幼稚園では)保育計画と記録を分ける形へと改良

とありました。    広野幼稚園としてもいろいろと参考にさせていただきます。

ありがとうございました。

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園長