作品展のもうひとつの楽しみ

早いものでもう12月がやってきますね。作品展から一週間が経ち、各保育室は活動しやすいように

上部だけを残し、絵を外してあるので“夢のあと”のようですが、子ども達の作品は見てくださった方々に

感動を与えてくれました。

作品展の日には、保護者の皆様はもちろん、たくさんの方が来てくださいます。旧職員や他園の先生、そして卒園児さん達も。

私達にとりまして、卒園児が顔を見せに来てくれることは大きな喜びです。小学校の高学年になっても…中学生になっても…

仲良しだった友だちと約束して会いに来てくれる。その懐かしい笑顔に私達は幸せを感じます。

中でも30年前に卒園したTくんに今年も会えました。

甥っ子・姪っ子のSちゃん達が在園されており、昨年の作品展で再会したのですが優しい彼は

ひいおじいちゃんと共に今年も来てくれたのです。

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私のように年を重ねますと、卒園児さんが成長され、父となり、母となって“広野”に来て下さることほど

嬉しいことはありません。現在も何人かいらっしゃいますが、よく似た可愛いお子さまが幼い時の○○ちゃんの姿と重なります。

Tくんも近い将来“お父さん”になられることでしょう。

テスト前だった中学生の皆さんも、無事テストは終わりましたか?

また、いつでも会いに来てくださいね。楽しみにしています。

乗り気コラム

新設、御所東小学校が建てられているという発掘調査を見学

家を出ようとしてくぐり戸を開けた瞬間、びっくりしました。一台のカメラが

自分をを撮ろうとしていたからでした。何事かとびっくりしましたが、

撮影者が言うことに、門口が古風であることと合わせて、電話の局番が

〇-.〇〇〇と昔ながらの一桁台であることに気づき、

撮らせていただいているということでした。

 

10時に河原町の丸太町の元春日小学校の跡地の遺跡説明会が

行われるということで少し急いでいましたので、そのまま別れたのですが、

後で思ったことは、あまり有名な写真家では少し困ったなぁと思い始めているところです。

 

さて、現在は、京都市内の小学校では御所南小学校の人気が高く、

この校区への転入希望者の多さがかなりの問題となっていました。

京都市政も重い腰を上げ、一度は近隣の五つの小学校が合併して造られた

小学校を再度分割すると言うことになり、そのパートナーに

元春日小学校の跡地が選ばれたようです。

 

建築に先立ち、グラウンドや校舎の跡を掘り返し、昔の京都の姿を

明確にしておこうということで、恒例の遺跡調査が行われ、その現地説明会が

行われるということなので、折からの休日を利用して出掛けたのでした。

 

市バスで東へ五つ目、降りたところは、2か月ほど前にこのブログ欄で書いた、

同志社の創設者、新島襄の旧宅の真東に当たります。

 

遺跡で出現したのは、豊臣秀吉がその当時の京都を水害などから守るため、

洛中洛外を分ける御土居を22余キロメートル築いた際に、お寺を

寺町通に集めましたが、宝永5年の京都を焼き尽くした大火災以後の町の

変遷を、調査、記録として後日に残すためです。

 

今も京都の仁王門当たりに転居して現存するお寺の跡や、

天皇家の文書管理を担当していた高辻家などの豪華な井戸跡、

その後に建てられた民家の人々の暮らしをイメージしながら、

久々に御所を東から西に横切って帰宅の道につきました。