カルタ遊びに一枚のシートを導入!

!マークを付けるほどのことはないと思いますが、先週末、ちょっとおもしろいものを考えました。

一枚の不織布(折り目がつきにくい化繊紙)に、縦3段、横8列の24区画、基盤目状に直線を引いたシートを、年少児の子ども一人ひとりに持たせてはどうかということです。

線が引かれたシートは、上段8マス、中段8マス、下段8(7)マスになっていますので、年少児でもカルタをこの上に置くだけできれいに並べることができるでしょう。

 

さて、ご存じのように、広野幼稚園では、文字教育の基本にカルタという遊びを置いていますが、この取り組みの初期、子どもたちが一本のビニールテープしか

印のない床にカルタを並べることは、意外と難しいことだったようでした。

 

最初の5月には、“あ”段を、次の月には、“い”段をとゆっくり進めていくのですが、

“あ”段は“あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ”の10文字、

“い”段は“い・き・し・ち・に・ひ・み・(い)・り・(い)”と“い”が3回出てきます。

8文字なので、10枚+8枚を対戦する二人に、平等に9枚ずつに分けるのですが、この時、二人が受け取った5枚と4枚を

床の上にどのように並べるかについては、担任間で検討されることがなかったのでした。ただなんとなく、上の段に5枚、2段目に4枚を並べることが多かったようでした。

 

何の問題もないようですが、年長児・年中児でも、常に、カルタは源平(1対1)方式で取り組んでいます。(これが、子どもたちの集中力の育ちに役立っていると考えています。)

また日本語の清音(濁音・半濁音を除く)は46文字ですので、これを2で割れば23枚ずつとなります。そのため、平等に、自陣に3段、相手陣に3段、

お互いに、8枚・8枚・7枚と並べるのが普通です。

 

このように先のことをイメージしますと、年少児の6月にも、5と4に並べるよりは、上段に8、中段に1と並べる方が、以後の取り組みにおいて、

子どもたちが戸惑う率が少ないのではないかということです。さっそく、今週からはこのような方法で進めたいと思っています。

P7130236  P7130239

自称 保育バカ

(西陣を襲った)一枚の空襲写真が

先日、京都の教育文化センターの方から電話がありました。今を去ること70年前、太平洋戦争が終わる直前の6月26日、

自分が住む西陣の一角にアメリカの爆弾機、B29が3発の1トン爆弾を落として立ち去ったのですが、その当時、厳重な報道管制が敷かれていましたので、

正確な情報は、隣近所に住んでいる者にとっても、なかなか伝わりませんでした。死者は推定44人(?)。

直後は、50メートルほど離れていても、1メートル先が見えなかったほどだったと聞いています。

 

このようなことで、70年経った今でも、この被災の様子は、たった一枚の写真しか、世の中に出回っていません。

地元の学区の100年を記念して昭和44年に出した“正親100年”、続いて京都新聞が連載した“防人の詩の銃後編、京都空襲”、

2002年の福音館書店の月刊誌、母の友で出した“京都に落ちた爆弾”の記事中にもこの一枚だけが使い回されています。

 

その後も、岩波書店から出た“戦争の中の京都”では、この一枚の写真の掲載許可を得るために、著者の中西宏次氏が私宅を訪問され、断片の情報とともに、

写真の持ち主に対して、仲介の労をとらせてただいたこともあります。

 

このように、時折、社会のニュース顔を出すことはあるものの、現在の教職員たちも詳しく知る方も少ないであろう、また、中高生の中に、京都に空襲があったことを

どれだけの方が知っているだろうということで、今回、社団法人京都府教教職員互助組合さんが毎月出しておられる冊子上に、中西宏次氏の著者を中心に記事にされるということになったようでした。そこで、またまた、たった1枚の写真の連載許可を求めようとされたのですが、その写真の持ち主の名前を忘れてしまったので、再度、私にお鉢が回って来たのでした。そこで、やむなく、城南地区を勝ち抜かれた保護者会のバレーボール大会が大将軍の体育館(通称島津アリーナ)で行われるこの日の朝、この回の執筆者(?)とお会いしたのでした。

あいにく、写真の持ち主とはお会いできませんでしたが、運よく、通りに出ておられた旧知の方々から、その当時の一端を直接耳にされ、短時間ではありますが、お互いに有意義な時間を過ごすことができました。

2・3か月後には、この掲載誌が送られてくる予定です。

IMGP0029

 

<写真は、京都新聞より掲載>

園長