10月2013

4歳児

年中組がバスで伊丹市にある下川原公園にお散歩に行きました。

園庭とはまた違った環境に、普段の様子とはまた違った顔を見せるこどもたち。

くっつきむしをつけたり、草むらに寝転がったり、ドングリを探したり。

昔は当たり前にできていたことが今では経験することが難しくなってきましたね。

子どもたちにはこのような経験をどんどんしてほしいです。

園庭

「次、どうぞ〰」

三輪車のタイヤに水をかけて遊んでいる。

水をかけられた後、

一周してまた並ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「名もない遊び」の中で、

人間関係は育まれてゆく。

4歳児

「思考能力」

 

自分で作った色水に光を当てると、

「色の影」ができることを伝えた。

色々な「色の影」を試す4歳児。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試すうちに、

色があまり出ないものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左は植物の色水で、

右は水性マーカーで作った色水。

 

「なんで出へんのやろ〰」

「何でやろうね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「わかった」

「こっち(植物色水)は、中にぶつぶつが入っているからかな。」

「なるほど、そうかもしれないね。」

 

物体の透過率などはの知識は、

今はいらない。

 

不思議さに出合い、自分なりの考察をする。

「思考能力」は、

「なぜ?」に向き合う経験から育つのだろう。

国際交流事業

本日は、年長児の「国際交流事業」。

ペルーの方が、園に来て頂きました。

 

クラスで、ペルーのお茶をごちそうしてくれました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝とお昼は、子ども達と一緒に遊んでもらっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校に英語の授業が導入され、

国際感覚を身につけることを言われています。

 

この時期は、言語教育という知的教育ではなく、

「外国の方に親しみを持つ」という内容の体験教育の方が、

「将来の後伸び」につながると思っています。

5歳児

園庭に生えていた、

「オオオナモミ(くっつきむし)」を取る年長児

 

 

 

 

 

 

 

 

 

取った後、

「くっつきむし投げ」が始まった。

この後は、年中・年少児に波及していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

絶滅危惧種と言われている「オオオナモミ(くっつきむし)」。

くっつきむしを使う遊びも、

もちろん絶滅危惧になっている。

5歳児

「あっ 橋の下にカエルが隠れている。」

「ほんとや。 出してやろう。」

「あかんで 橋の下の方がいいよ。」

「出られへんやん。」

「いや、出れるよ。」

「触ったら あかんって。」

 

 

 

 

 

 

 

 

園に動物・虫が多くなった為か、

生き物をあつかう時の話が、

「取った」「動いた」から、

「気遣い」をする内容に変わった気がする。

5歳児

籾を、すり鉢で玄米と籾がらに分ける「籾すり」

 

すり棒で擦っては、

やさしく、やさしく息を吹きかけ、

もみ殻を飛ばします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

米に対する愛着を感じます。

5歳児

木のブランコで、二人乗りを楽しむ年長児

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しさをともに共有する経験が、

互いの仲を深めてゆく。

園庭

園庭いっぱいに草を敷き詰めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

草の上を歩く子、寝転ぶ子、埋まっている子、

様々な姿が見られる。

 

また、このように草の上に飛び降りる子もいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

何度も、何度も飛び降り、

草のクッションの感覚を楽しんでいる。

 

「柔らかい」を体験している。

5歳児

「見るではなく、視る」

 

園庭の片隅に置かれ(忘れられ?)ていたタニシを拾い、

生きているかどうか観察している、

5歳児の男の子。

 

「死んでんの?」

「どうだろうね。」

「触らずじっと見たらわかるかもよ。」

触りたい感情を抑えて、じっと様子を見ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、動いた」

「なんか出てきた。目かな。」

タニシが出した触角に驚いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この男の子は、ただなんとなく「見た」ではない。

つぶさに観察しようとして「視た」のである。

主体性がとてもある「観察」である。

この「視る」にこそ、学びがある。