5歳児

「見るではなく、視る」

 

園庭の片隅に置かれ(忘れられ?)ていたタニシを拾い、

生きているかどうか観察している、

5歳児の男の子。

 

「死んでんの?」

「どうだろうね。」

「触らずじっと見たらわかるかもよ。」

触りたい感情を抑えて、じっと様子を見ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、動いた」

「なんか出てきた。目かな。」

タニシが出した触角に驚いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この男の子は、ただなんとなく「見た」ではない。

つぶさに観察しようとして「視た」のである。

主体性がとてもある「観察」である。

この「視る」にこそ、学びがある。