6月2012

「受容」と「毅然とした姿勢」

 そんなまなざしで子どもの姿を捉えると、最近、園生活に慣れてきて、わがままな姿も見え始めています。食事の前に手を洗いたくない、とか、順番をわざと守らないとか…。自分なりの理由を自覚して強情を張ることと、自分や他者に不自由や迷惑、あるいは危険を与えかねない理由なき反抗は、一見同じように見えて大きく違います。

 子どもの思いに寄り添い受け入れる(受容する)こと、と、わがままを含めてその子の成長を阻害しかねない姿には、心を鬼にして受け入れず揺るがない(毅然とした姿勢)でのぞむことの使い分けが、子どものより良い発達のために、我々保育者や親に求められてゆきます。できるだけ具体例とともにこの紙面でもお伝えしますね。

【春日山 かすがやま第6号‘12/06/01から-3】

抱っこはいつまで

 朝、幼稚園の玄関やバス停でしばらくギュ~ッと抱きしめられている子どもが何人かいます。とっても素敵な姿だなぁとお思います。

 子どもが大好きなお母さんお父さんから一定の時間離れて元気に過ごせるのは、親の存在を忘れることができるからではなくて、お父さんお母さんへの想いを大事に胸にしまうことができて、何時でもどこでも会いたい時に会える(思い出す)ことができるからです。

 子どもが「抱っこ」を求める間は、できるかぎりその場で抱きしめてあげたいものです。そう、小学校3・4年生まではそんな子どもでいてほしいと思います。

【春日山 かすがやま第5号‘12/05/18から】

ムシ歯の日と月食

今日6月4日はムシ歯の日で美晴幼稚園では あおもり歯科小児歯科の青森先生に歯科検診をしていただきましうた。その様子は保育アルバムにUPしていますのでご覧くださいね。

内科検診では不安げだった子どもたちも ほとんどの子が余裕の姿で検診を受けていました。後ろで順番を待つ子は横から様子を覗き込んだり、年少・中の子どもは、アゴがいたいんじゃないか と思われるほど めいいっぱい大きく口を開けて青森先生の前に立つ子が何人もいて 可愛らしかったですよ。

帰りの園庭でのあそびで 砂場横の滑り台にまぶたの横をぶつけて 病院で治療を要する事故がありました。不可抗力とはいえ そのような状況にならないよう 今一度 あそび方や子どもの動きについて確認してゆきます。

今日はとてもさわやかなお天気でしたが 夜 東南東に浮かぶ満月のお月様が欠ける月食が札幌でもしっかり見ることができました。天体の不思議さとロマンは特別なものがありますね。

母校 豊園小学校

先週に続き 今週も多くの小学校で運動会がありましたね。今日は朝方こそ雲が張っていましたが 時間を追うごとに晴天となり気温もあがってさわやかな一日でした。それぞれ、あたたかな応援の中で子どもたちが躍動していました。

今日は 私の母校でもある 豊園小学校に出かけました。

自分の小学校時代は本当に先生や仲間に恵まれて、楽しい思いでばかりの6年間でした。6年生では前期の児童会長もつとめ、大運動会の開会式で挨拶をした記憶がよみがえりました。しかし、けっして優等生ではなく、5年生の時に昼休み6年生と男子同士が大げんかになって、なぜか5年生が勝ってしまい首謀者の一人として校長室に呼び出されました。そして、6年生の卒業式を数日後に控えたある日、体育館の屋根裏に上ってあそんでいて、天井を踏み外し危うくステージ上から転落しそうになり、この時も校長室に呼ばれました。その当時の校長先生は威厳があって、一言二言諭され深く反省し教室に戻ったものです。

1・2年生の担任の川村ちえ先生から、3年生の坂本先生、4年生の今堀先生、5年生の佐藤先生、6年生の朝倉先生まで(なぜか3年生から毎年担任がかわられましたが)先生皆 しげみつ少年をよく理解し適切な指導をしてくださったすばらしい恩師です。

豊園小学校の全体を眺めながら 少し気になることがありました。学校施設の配置は合理的で整備されたものでしたが どこか味気なく無機質に感じました。木陰も少なく、植栽も単調。子どもの記憶に残る風景があるのか ちょっと心配になりました。

豊園小学校は豊平町と札幌市が合併する前の1959年(昭和34年)に開校した学校で、私の通った頃の校舎は木造モルタル2階建てで床は木の床にオイル引き、ストーブはコークス(石炭の燃えかす)ストーブでした。しかし、ロの字の平面計画に配置された校舎には広い中庭があって 北海道の形のした池や登り棒や雲梯があり 中休みや昼休みは低学年の子どもを中心に憩いとあそびのスペースでした。校舎の南側には広い花壇があって、クラス毎に仕切られた花壇をクラスならではに植栽していました。北西側には道路と平行して農業用水が流れていて、校舎側には藤棚や低木が植えられていて児童玄関の他に正面玄関があり趣がありました。ここの風景は校内写生に描いたものです。グランドや隣接の公園を含めて 本当によくあそび 語らい 憩い 運動した思い出深い素敵な学校でした。

私が卒業してしばらくして 25年ほど経過した校舎と体育館は 1984年(昭和59年) 体育館の場所はほとんど変わりませんが、校舎とグランドをほぼ入れ替えるかたちで全面改築されました。そして今年、入学児童や転入児童が増加して増築工事が行われ、現在未設置の特別支援学級のスペースも整備されるそうです。

豊園小学校だけではありませんが 1970年代の後半(昭和50年代)からの札幌の学校建築は、様々な面で合理的 経済的ではあるのでしょうが、全ての学校とはいえないものの そこには学校建築としての豊かさは感じられません。このことは子どもたちにも何かしらの影響があるような気がするのは 私だけでしょうか。つい そんなことを感じてしまいました。

幼児期の運動

今日 平和公園で運動会の開会式と綱引きをしてみました。その後、年長青バッチグループはファイティングGOというアスレチック競技を練習しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼児期の発達で大切な(言い換えると生涯にわたっての体力の基礎となる)運動は 調整力(すばしっこさ:俊敏性、バランス感覚:平衡性、手先の器用さ:巧緻性の要素を中心とした力の入れ加減)や協調性(いくつかの動作を連動させまとまりのある動きにする)といった運動要素です。

このことは 逆立ちをする とか 跳び箱の高い段を跳べる といった特別なことではありません。美晴の運動会では全ての動作が調整力や協調性に関係するといえます。例えば、準備運動の傑作といわれるラジオ体操。ファイティングGOの種目、玉入れや綱引きなどなど。でも、もっといえば調整力や協調性はあたりまえの生活やあそびの中に埋め込まれています。

例えば、歩くこと、走ること、電車の中で転ばずに立ち続けること、食器や箸やスプーンを使って食事すること、跳ね回ること、飛び降りること、鬼ごっこ、おままごと、お絵描き、積み木…キリがありません。注意したいのは力いっぱいの粗大運動ばかりでなく、繊細さが必要な微細運動も大事だということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の美晴の保育の様子から例えば、直線ではなくラウンド(丸く)や蛇行しながら走ること。物を持ちながら歩いたり階段を昇降すること。虫等の生き物を優しく触ったりつまめること。じゃ口やつまみを程よくひねること。積み木を積むこと…。(キッチンのつまみをひねっているのはみはるんひろばにきていた弟君です)

そして、子どもの発達は身体と情緒、知性が総合的に一定の順序と方向で進む特性があります。その大切さと難しさ?については またあらためて。