生誕100年

敬老の集いにご来園いただいたご祖父母の皆様に お祝い菓子としてお渡ししている紅白まんじゅうを 今日は園児と職員にも配らせていただきました。

美晴幼稚園の創設者である 故 東 重孝 氏の生誕100年に際して故人の家族から子どもたちなにかをしたい との心遣いを紅白まんじゅうというかたちにしました。

一昨日 小学校6年生の娘が 「おじいちゃんは 30歳の時に戦争が終わったんだね…。」と私に聞きました。少し考えて「そういえばそうだね。どうしてわかった?」と答えたら「だって 今年はおじいちゃんの生誕100年で戦後70年でしょう。ひいたら30じゃない。」

私の父でもある 東 重孝は 徴兵され南方戦線に従軍し激戦地ビルマ(現ミャンマー)で終戦を迎え抑留された後 復員(帰国)しました。その後 結核を患った後 私の母と結婚しました。そして 長女の成長にあわせて地域の子どもたちのために1952年(昭和32年)美晴幼稚園を創設しました。

父は自らの戦争体験について私には多くを語りませんでした。いえ 語りたかったのかもしれませんが 私が尋ねることがなかったから あえて語ることがなかったのかも知れません。

通信兵だったので テレビで流れるモールス信号を翻訳してくれたり 落花生を食べながら「戦地で疲労困憊の時 一握りの落花生をもらって元気になったものだ…。」と ごく断片的に戦争体験を伝えてくれました。

その父が 様々な場に出かけて 戦争体験を語り継ぐ活動をしていたことを知ったのは他界した後でした。

父が存命であれば 先ほど国会で可決された 安保法案について どのような見解を示したのか…。死線を越えてきた人間ならではの達観したところがあったので 最近の国際情勢をみればやむを得ないとするか 先見性があった人なので若者や子どもを戦争の危機にさらすのはやめるべき とするのか…。

粗野であっても卑ではなかった父であれば これまでの動きに危惧を抱き 残念に思ったことは間違いないと思います。

政治が劣化したのか もとにもどってしまったのか わかりませんが 市民のありかたは進化していると考えます。私もその一人として考え行動していきたいと思います。

園長 東 重満