母校 豊園小学校

先週に続き 今週も多くの小学校で運動会がありましたね。今日は朝方こそ雲が張っていましたが 時間を追うごとに晴天となり気温もあがってさわやかな一日でした。それぞれ、あたたかな応援の中で子どもたちが躍動していました。

今日は 私の母校でもある 豊園小学校に出かけました。

自分の小学校時代は本当に先生や仲間に恵まれて、楽しい思いでばかりの6年間でした。6年生では前期の児童会長もつとめ、大運動会の開会式で挨拶をした記憶がよみがえりました。しかし、けっして優等生ではなく、5年生の時に昼休み6年生と男子同士が大げんかになって、なぜか5年生が勝ってしまい首謀者の一人として校長室に呼び出されました。そして、6年生の卒業式を数日後に控えたある日、体育館の屋根裏に上ってあそんでいて、天井を踏み外し危うくステージ上から転落しそうになり、この時も校長室に呼ばれました。その当時の校長先生は威厳があって、一言二言諭され深く反省し教室に戻ったものです。

1・2年生の担任の川村ちえ先生から、3年生の坂本先生、4年生の今堀先生、5年生の佐藤先生、6年生の朝倉先生まで(なぜか3年生から毎年担任がかわられましたが)先生皆 しげみつ少年をよく理解し適切な指導をしてくださったすばらしい恩師です。

豊園小学校の全体を眺めながら 少し気になることがありました。学校施設の配置は合理的で整備されたものでしたが どこか味気なく無機質に感じました。木陰も少なく、植栽も単調。子どもの記憶に残る風景があるのか ちょっと心配になりました。

豊園小学校は豊平町と札幌市が合併する前の1959年(昭和34年)に開校した学校で、私の通った頃の校舎は木造モルタル2階建てで床は木の床にオイル引き、ストーブはコークス(石炭の燃えかす)ストーブでした。しかし、ロの字の平面計画に配置された校舎には広い中庭があって 北海道の形のした池や登り棒や雲梯があり 中休みや昼休みは低学年の子どもを中心に憩いとあそびのスペースでした。校舎の南側には広い花壇があって、クラス毎に仕切られた花壇をクラスならではに植栽していました。北西側には道路と平行して農業用水が流れていて、校舎側には藤棚や低木が植えられていて児童玄関の他に正面玄関があり趣がありました。ここの風景は校内写生に描いたものです。グランドや隣接の公園を含めて 本当によくあそび 語らい 憩い 運動した思い出深い素敵な学校でした。

私が卒業してしばらくして 25年ほど経過した校舎と体育館は 1984年(昭和59年) 体育館の場所はほとんど変わりませんが、校舎とグランドをほぼ入れ替えるかたちで全面改築されました。そして今年、入学児童や転入児童が増加して増築工事が行われ、現在未設置の特別支援学級のスペースも整備されるそうです。

豊園小学校だけではありませんが 1970年代の後半(昭和50年代)からの札幌の学校建築は、様々な面で合理的 経済的ではあるのでしょうが、全ての学校とはいえないものの そこには学校建築としての豊かさは感じられません。このことは子どもたちにも何かしらの影響があるような気がするのは 私だけでしょうか。つい そんなことを感じてしまいました。