9月2012

節電(8-9月)

8月中旬から9月中旬の電気の使用料のお知らせによると 電気使用量は526kwhで昨年同期の789kwhと比べ 約33%の節電となりました。 おひさま発電の発電量は404khw(売電量ベース)でした。

この夏の計画停電期間は実施されることなく過ぎることができましたが この残暑で連日供給可能電気量に比べ消費電力が90%を超える時間帯があります。東北のように発電所のトラブルなどあると不測の事態ともなりかねませんよね。節電は意識も行動も継続してこそ意味があるのでしょう。 園長 東 重満

ワクワクひろばに向けて(芸術の森)

今日はすみれ組が芸術の森に出かけました。みつば組とつくし組は明後日出かけます。

ワクワクひろばへの取り組みの一環で 展覧会「交差する視点とかたち」を美術館のルールに従ってきちんと鑑賞してきました。それから いくつかの工房や有島武郎の自邸もたずねて楽しみました。「展示する」ということは 「展示物を楽しむ」ということは どうゆうことなのか体験してきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして 芸術の森には素敵なひろばも…。広い芝生では ついつい駆け回りたくなりますね。今日も暑い一日でしたが 子どもたちはすこぶる元気です。

 

 

 

 

 

 

絵について話すこと

今朝のバスでのこと 乗り込んできたかと思うと お使いカバンからお家で描いた絵を取り出して その絵のことを次々と語り出している 年中の男の子がいました。

16日 三連休の真ん中でしたが 東京大学の秋田研究室が主催する講演会を聴きに出かけました。講師はドイツの幼児教育研究のリーダーで政策決定にも深く関与していた フリード・リリアン博士でした。内容は幼稚園、保育園から小学校移行期のリテラシー(読み書き算数などの基礎学力)を中心としたコンピテンシー(行動特性)における縦断研究についてでした。東大の会議室での講演会でしたので 30名ほどの小さな会でしたが 日本の幼児教育の政策決定にかかわっている研究者が何名も参加していました。

その中で 移行期のコンピテンシーの評価フレームの一つである「物語る力」の3つの柱の一つとして「絵について物語る力」を紹介していました。難易度ではちょうど真ん中に位置するものですが とても重要な観点として報告されていました。

子どもが 絵や写真 自分が観たもの記憶しているものについて 語ることがありますね。時には子どもの空想(ファンタジー)と混同していたり 話し方そのものが成熟していなく 聴く方にとっては理解が難しいこともありがちですが まずはしっかりつきあってあげて 相槌を打ちながら聴いてあげることが大切です。説明する言語能力は 話しているうちに徐々についてくるものですから…。

講演の中でフリード先生は 様々な環境要因が子どもの発達に影響しているが 最も影響があり重要なのは親や保育者のかかわりかた と報告していたとが印象的でした。

それにしても 自分が描いた絵について 口角泡を飛ばしながら語れることは 本当に素敵なことですね。

敬老の日に思うこと

数年前まで 敬老の日はその年の曜日に関係なく 9月15日と定められていました。その9月15日は私の父の誕生日でもありました。その父は11年前 86回目の誕生日を病院のベッドで祝った直後 体調が急変し 9月18日に他界しました。その数日前 9.11 世界の状況を一変させる事件があった年です。

私が幼児教育の世界にはいったのは 1991年 70歳を過ぎて胃がんを患った父と学園のことを考えての急な決断でした。この年は湾岸戦争が始まった年でした。

当時の私は、東海大学の学務部で教務を担当しながら恩師の元で野球部のコーチをしていました。そのまま勤務をしていれば大学人として あるいは大学野球か高校野球の指導者として 今にいたっていたかも知れません。しかし 私は幼稚園の「経営者」となることを選択しました。

経営者を志向していた私は数年後 ひょんなことから数ヶ月間、幼稚園の現場を離れました。

現場にもどる決心をした時に 「経営者」であること以上に「園長」として幼児教育の現場に 子どもや保育者に向き合いたと強くおもいました。そして 子どもについて 幼児の発達について 歴史を含めた幼児教育そのものについて きちんと学び研究するために 1998年から2000年にかけて 当時 すでに日本の中では幼児教育を専門とする講座を有する大学院が3大学しかなかったため その中で通学する可能性が唯一あった 上越教育大学の大学院に入学しました。奇しくも 園長に就任し個人的には結婚をした年でした。

その2年間 34歳と未熟で週の半分を不在にしている園長の力不足は学園長であった父が支え補ってくれました。

修士課程を修めて戻ってきてから 私立幼稚園の中でも 研究研修に関係する仕事を担うようになりました。そこでの経験や素晴らしい先輩との出会い そして文部科学省との仕事などを通して 世間の風潮に惑わされたり個人的な思い込みではなく 学術的な知見や信憑性が高い調査結果などに基づいた 公教育としての幼児教育における明確な考え方をもてるようになりました。

そして 父は私に園運営のすべてを委ねてくれました。

父の 他界するまでの学園長としての5年間は こぐまの森の寄贈を含めて 美晴幼稚園の今と未来のための おくりものだったのかも知れません。

そして 2年前の同じ9月。母が他界しました。

二人が個人立の認可幼稚園として1957年に創設した美晴幼稚園を美晴らしく充実させたいと切望する9月です。

おもいがけない涙

今日は月寒公民館体育館で第26回を数える親子ふれあいコンサートがありました。どんりゅう園長は月寒地区の青少年育成委員としてコンサートの運営のお手伝いをしました。

月寒高等学校の吹奏楽部、マンドリン部、月寒中学校吹奏楽部、あやめ野中学校ウィドアンサンブル、南月寒小学校吹奏学部、月寒小学校合唱団、月寒東小学校合唱団の子どもたちがそれぞれ素敵な演奏を披露してくれました。

小学校の低学年までは 子どもの顔で卒園生だとわかりますが 小学校でも高学年や中学生になると 子どもによっては面影をたどれずにお母さんの顔をみて 「あぁ ◯◯ちゃんもいるんだ…」と気づくことがあります。今日、何人もの卒園生が出演していましたが、幼稚園のころはたどたどしい話し方だった子どもが自信をもって堂々と歌っている様子や、おとなしかった子どもが部の代表として凛として挨拶し演奏している姿などをみると、本当にうれしいものです。

コンサートの締めくくりに 「つきさっぷの少年」と「ふるさと」の合同合唱がありました。ふるさとの合唱を聴きながら、不意にこみ上げる感激が胸の底からズンと突き上げました。おもわず涙があふれました。

9月は私にとって特別な月ということもありますが、子どもたちの真摯さが私ばかりでなく多くの人々に感動を与えたのでしょう。

いずれにしても蒸し暑い館内で、リハーサルから合同合奏まで長時間がんばった子どもたちは見事でした。

それから 月寒高校の生徒が終始 他の学校の生徒や児童のサポートをしていた姿は このコンサートの意義を象徴していて とっても清々しかったです。

敬老の集い

今日は美晴幼稚園に おじいちゃん おばあちゃん をお招きして集いをもちました。

たくさんのご祖父母の皆様に 札幌市にしては本当にお暑い中おこしいただきました。本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関でお迎えして お部屋で朝の会をしたあと おばあちゃん おじいちゃん からお話しを聴きました。「子どもの時はチャンバラをしてあそんだものだよ…」「昔のレストランといえば三越か丸井百貨店の食堂でお買い物後で食事するのが楽しみだった…」など楽しいお話しをたくさんしてくださいました。

保育室も暑かったのですが みさなさんとても元気に子どもたちあそんでくださいました。けん玉 おはじき お手玉 あやとり めんこ チラシあそび…。その後 ふれあうゲームをして 肩たたきをさせていただきました。

「疲れてないよ 楽しかったよ」とおっしゃってくださいましたが きっとお疲れになりましたよね。日頃、近くにおじいちゃんおばあちゃんがお住まいでない子どもたちも多くいます。楽しい時間をすごさせていただき 敬う気持ちが芽生える機会をいただき 本当にありがとうございました。

 

存在感

美晴幼稚園では 子どもがそこに「いる」ことに その子らしく「ある」ことに 大きな意味があります。そして、未来にむかった もっと素敵なわたしにぼくに「なる」ことに 毎日を愛おしみながら過ごしています。

ひとりひとりが天下一品の輝きを放っていますが、その中でもとびっきり存在感のある女の子が お家のお引っ越しで 本日をもって退園しました。

さびしいけれど 新しいところでも その存在感のまま 過ごしてほしいと願います。 存在感は生きている証しだから…。

さようなら でも 冬にあそびにきてくれるの待っているからね。

尊い努力

時折 平和公園の鉄棒で逆上がりの練習(特訓?)をしている親子を見かけます。お父さんが多いかな…。

本来 鉄棒の逆上がり(上がり技)は3、4年生からの課題。たまたま、娘の小学校のPTA野球で一緒の先生に伺ったところ、1、2年生から取り組むこともあるそうです。

失礼な言いぶりですが 器械体操の名コーチが特訓しても 子どもは1日や2日で逆上がりができるようにはなりません。

写真は昨日の月寒公園での一こまですが 上り棒を登ったり ジャングリジムで上下左右デングリ返しのような感覚を楽しんだり 運ていを懸垂で移動したり 鉄棒でぶたの丸焼きなど戯れあそぶ…

そんなふうに手のマメを2、3回つぶす位あそびこんだら 誰に教えられなくても 自分で何度か挑戦するだけで 自分の身長より高い鉄棒でも逆上がりくらいの上がり技はなんなくできるようになるものです

私は お父さんとの特訓で逆上がりができるようになるか、ならないか よりも 自分が困難に挑むときに お父さんやお母さんがそばに寄り添ってくれる つきあって一緒にがんばってくれる ことの方が何倍も大事な意味のあることだと思います。

きっと お父さん お母さん といっしょにがんばった逆上がりの特訓は 一生子どもの心に刻まれる大切な思い出になることでしょう。

オープン クエッション

学校の先生は(幼稚園の先生を含めて) 行動主義的な閉じた問いかけ(答え)を用いた指導を得意としています。いわゆるクローズドクエッション。

例えば「公園から道路に一人でかってに出ていって よかった だめだった?」

「こまっているお友だちがいたら 助けない 助ける?」

と先生が問いかければ 「だめ」「助ける」といったように 教師が求める答えを答えざるを得ない。あるいは ○か× YES or NO  できた できない。といった答えが単純化、限定化されて閉じられている。考えなくても教師(親)の期待にそう答えを簡単に導き出してしまう。そんな、大人と子どもの関係…。

この手法は動物の調教と同じで、動物の行動特性を単純化した教授法。しかし、「この指導法だけ」では 自分らしい思いや考えをもった成熟した人間(大人や市民)には 残念ながら育たない。

幼児とはいえ一人の人間としてその思いが尊重され 多様な考えや意見を主張し合える関係を 対話を織りなす中で育み どんな考えも◯ として受け入れられる関係性を育てる 開かれた問いかけ(オープンクエッション)ができる保育を継続したい。と私は考えています。

今日は そんな一端が 子どもの対話の中でみられた一日でした。

 

感受性

今日 月寒公園でお昼をいただいた後の一こまです。

 

 

 

 

 

何の木かわからないのですが もう 葉が黄色く色づいて パラパラと落ちて地面に広がっていました。それを 長い枝を釣り竿に見立ててあそんでいた子どもたちが見つけました。

ある年長の女の子が「このハッパはきいろくなったら きからおちてくるんだよ…」と言いました。「だって さっききからきいろいハッパがおちてくるところみたもん…」

本当にその通りで 樹の幹や枝についている葉っぱはまだ緑色でした。

その子たちはジッと木をみつめていたわけではありませんでした。何気なく過ごしているようで 子どもたちは周囲の状況にアンテナを張り巡らせているのですね。

木漏れ日 ドングリ 落ち葉 黄色い色 …

それから どんりゅう園長は来客があって あとから月寒公園に追いかけていったので お昼のおにぎりを幼稚園においてゆきました。昼食の間、少しはなれたところからみていたら、子どもたちが食事をとらないどんりゅうを気にして声をかけてくれました。

後から聴いた話ですが 年長の男の子が「えんちょうせんせいのおにぎり コロコロしたのかなぁ」と話していたそうです。今日は パチパチと音を立てながら落ちてくるドングリもたくさんひろっていましたが 月寒公園の森の中や坂道で転がるドングリと「おむすびころりん」のお話しが重なったのでしょうか。

感性を刺激するものを受けとめる感受性が 豊かに育っています。