園長通信

園庭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高いところにいる、蝉を捕まえようとするこどもたち。

遊具にのぼっても届かない。力を合わせても、届かない。

 

こどもたち同士で相談し、

ひもや、

セロハンテープでくっつけることに。

しかし、

しっかりくっつかない。

そうしている間に蝉は逃げてしまった。

大人の知恵をかりると、

すぐに捕まえることができたかもしれないが

こどもたちで考えることが、

これからの発想や、成長につながっていきます。

5歳児

年長組の子ども達が、

運動会に向けて準備を始めています。

 

準備グループは、

「ポスター・プログラム・体操・未就園プレゼント・看板」

どんなデザイン・内容にするか。

どんな物が必要か。

それらを自分達で考えます。

 

 

 

運動会を「運営する」事をする5歳児。

行事を自ら作り出してほしい。

七夕笹焼納神事

願いをかなえるために、

七夕の笹を、

川に流す伝統行事を行っている地方が一部あります。

川に流せない場合は燃やす事もあります。

 

その行事にあやかり、

本年度より「七夕笹焼納神事」を行いました。

どうか子ども達の願いが叶いますように。

5歳児

当学園にとって、

組体操は「綺麗な演技をする」のが目的ではなく、

組体操を通して、「関係構築能力」を高めます。

 

まずは自分達で、グループを作ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、

どのポジションに行くのかをその場で決め、

お題の技を作り上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大人が場所を決めません。

子どもが場所を話し合って決めます。

5歳児

体操の時に行った、

逆立ち競争。

最後まで、逆立ちを続けた者が勝ちというルール。

 

負けた悔しさをこらえる表情があふれる子。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるいは勝負に勝って、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

笑顔があふれる子。

 

 

 

 

 

 

七夕まつり会

7月7日が日曜日なので、

本日実施した七夕まつり会。

 

七夕の由来を、

職員劇で説明しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とゆ

子どもに「見て見て」と誘われて、

一緒に砂場側の小屋について行った。

 

見てびっくり、

そして思わず吹き出してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもが完全に自分の想像を超えた時、

私はいつも笑ってしまう。

美的な心を育てる関わり

5歳児の女の子2人に、

「こうすれば飾ることが出来て綺麗だよ」と、

花壇のビオラを使って、

一緒に小さな「一輪ざし」を作った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

材料はゼリー容器や包装紙と、

すべて廃材庫にあるものばかり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「担任の先生に、置いていいかどうか聞いておいで。」

と促すと、

すぐに2人は聞きに行った。

「置いていい?」

「あら、かわいい。 いいの作ったね。 お部屋がきれいになるね。」

女の子は微笑んでいた。

 

美的な心を育てるのは、

綺麗な草花があるから育つのではない。

それらを「綺麗ね。」と、

子どもと共に寄り添ってやる大人がいてこそ育つ。

「感性ある大人の関わりが、美的な心を育てる。」、

と感じた場面だった。

学校関係者委員会

本日、当学園の学校関係者委員会が開催されました。

 

学校関係者委員会とは、

近隣小学校・中学校・民生児童委員・地域代表・学園評議員代表など、

園に関わりのある方々をお呼びして、

当学園の保育をご覧頂きながら、

「今年度の学園自己評価が適切であるか」、

に関してのご意見を頂きます。

 

委員会では、

当学園が「直接体験」や「自然体験」を大切にしている点を、

特に評価頂きました。

 

また、小学校・中学校関係者の方からは、

自己肯定感や意欲・興味関心を、

この0歳~6歳までの時期に育む重要性を述べておられました。

 

また、2月頃に開催する予定です。

大人は見えていない

『大人は見えていない』

 

「ねえ見て見て」

年長の女の子が手招きした。

近くに寄ってみると、

「ほらここ見て」と木の杭の間を指差した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこには、

小さな小さな双葉が、

いつの間にか芽生えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このことは、

「自分はいつもこの場所をよく見ている」、と思っていただけに、

単に「よく発見したね」、

 とは片づけれなかった。

 

本当に「大人は何でも知っている」存在で、

子どもは「何人も知らない」存在なんだろうか。

実は、

大人には見えていなくて、

子どもには見えているものは、

たくさんあるのだろう。

それを、大人が「見えていない」のか、

あるいは「見ようとしない」のだろうか。