敬老の日に思うこと

数年前まで 敬老の日はその年の曜日に関係なく 9月15日と定められていました。その9月15日は私の父の誕生日でもありました。その父は11年前 86回目の誕生日を病院のベッドで祝った直後 体調が急変し 9月18日に他界しました。その数日前 9.11 世界の状況を一変させる事件があった年です。

私が幼児教育の世界にはいったのは 1991年 70歳を過ぎて胃がんを患った父と学園のことを考えての急な決断でした。この年は湾岸戦争が始まった年でした。

当時の私は、東海大学の学務部で教務を担当しながら恩師の元で野球部のコーチをしていました。そのまま勤務をしていれば大学人として あるいは大学野球か高校野球の指導者として 今にいたっていたかも知れません。しかし 私は幼稚園の「経営者」となることを選択しました。

経営者を志向していた私は数年後 ひょんなことから数ヶ月間、幼稚園の現場を離れました。

現場にもどる決心をした時に 「経営者」であること以上に「園長」として幼児教育の現場に 子どもや保育者に向き合いたと強くおもいました。そして 子どもについて 幼児の発達について 歴史を含めた幼児教育そのものについて きちんと学び研究するために 1998年から2000年にかけて 当時 すでに日本の中では幼児教育を専門とする講座を有する大学院が3大学しかなかったため その中で通学する可能性が唯一あった 上越教育大学の大学院に入学しました。奇しくも 園長に就任し個人的には結婚をした年でした。

その2年間 34歳と未熟で週の半分を不在にしている園長の力不足は学園長であった父が支え補ってくれました。

修士課程を修めて戻ってきてから 私立幼稚園の中でも 研究研修に関係する仕事を担うようになりました。そこでの経験や素晴らしい先輩との出会い そして文部科学省との仕事などを通して 世間の風潮に惑わされたり個人的な思い込みではなく 学術的な知見や信憑性が高い調査結果などに基づいた 公教育としての幼児教育における明確な考え方をもてるようになりました。

そして 父は私に園運営のすべてを委ねてくれました。

父の 他界するまでの学園長としての5年間は こぐまの森の寄贈を含めて 美晴幼稚園の今と未来のための おくりものだったのかも知れません。

そして 2年前の同じ9月。母が他界しました。

二人が個人立の認可幼稚園として1957年に創設した美晴幼稚園を美晴らしく充実させたいと切望する9月です。