3月2014

ごめんなさい

本日 各家庭にお手紙を配布しました。もう一度 精・皆勤賞授与式を行うお知らせです。

昨日の精・皆勤賞授与式で園長を含めた保育者のミスで 一人の園児に授与することができませんでした。

本人にも保護者にも あやまりましたが 取り返しのつくことではありません。本当にごめんなさい。

私の判断で昨日の保育中に 欠席して受賞できなかった園児も含め 全員でもう一度 精・皆勤賞の授与を行うことにしました。

あやまちや間違えは はじめからきちんとやりなおすこと。

ご理解ください。

園長 東 重満

 

いつもの一日に

こころとからだを整え 幼稚園や学校 仕事にのぞむ。

そして 一日の業をおえて お家にかえりくつろぐ。

そんないつもの一日の積み重ねの貴さを 3月11日に実感します。

卒園・修了式に先立ち 今日 精・皆勤賞授与式を行い 園長からの挨拶でそのことを子どもたちに伝えました。

幼稚園を信頼して「子どもの命を託す」 ということは 生き死にだけのことではないでしょう。私たち保育者は子どもの存在(消息)を絶えず意識し 自らの実感の中で関係を織りなすことをこころして保育しなければ…。

私たちは まだまだ至らず今日も大きな反省の一日となりました。

しかし 前への歩みは絶やさずに 一日一日努力を重ねて行きます。

そう どんな一日もないがしろにせず 一歩一歩前に歩みを進めたいと思います。

園長 東 重満

 

精皆勤賞

ドンリュウは昨晩遅くに東京に移動して 今日は朝から川崎市の宮前幼稚園さんで砂場をフィールドにした研究の予備調査と打ち合せ会議をしていました。

今週末に卒園式を控えた子どもたちは 晴れてはいたものの肌寒いお天気の中でも園庭でいきいきとあそんでいました。

昨夜は千歳に向かえば向かう程 雪の降り方が強くなり この様子だと飛行機は欠航になるかも知れないと思いましたが 運良く乗る飛行機をキャンセル待ちで変更することができ 遅れはしたものの羽田空港に到着することができました。

札幌も朝方まで大雪で 朝の除雪や通園バスの運行が大変だろうと心配していました。昨日のブログが悪かったのか…。幼稚園前の道路はこの雪でまた状態が悪くなっていなければ良いのですが…。

しかし 札幌は例年3月一ヶ月間で約1mの降雪がある街です。春の日差しが雪解けを進めてくれるでしょう。

明日は精勤賞、皆勤賞の授与式です。

 

 

 

 

 

 

 

 

賞状には子どもたちの名前が記され 園長印も捺印され 明日それぞれに渡されるのをまっています。

幼稚園での精・皆勤賞は 子どもが体調の不調をおして無理に登園することを促しかねないのでやめた方が良い という考え方があります。私も間違えではないと思います。

また 幼稚園自体 行きたい時に行けば良い という考え方もあります。それも ある意味間違えではないと思います。

そもそも 通院や療育との平行通所 家庭の事情等で 毎日幼稚園に通わない子どももいます。

美晴幼稚園では賞状ほしさに 短い時間だけ幼稚園に顔をだして出席扱いにするようなことは皆無です。みんな自然体で日々生活し その一年を通した積み重ねが 精勤賞 皆勤賞につながっています。

年長になると年度当初から 自ら精・皆勤を目標にして過ごしている子どもの話をよく聴きます。幼稚園での毎日の出会いを大切に生活することの意味は 子ども自身が理解しているのでしょう。

実は 賞状に園長印を捺印している時 「この子が!!」と意外に感じる子どももいます。

精・皆勤賞は子どもと家庭(特にお母さんお父さん)の共同作業?でなし得るものともいえるのでしょうね。

そして クラスでは担任の保育者から全員に一年間共に過ごして成長したことを認めて賞が贈られます。みんなこの一年間 しっかりじっくり成長したね!!

 

安全確保を!

告発のようになるので 実態が改善されるまでずっと控えていましたが 行政や地域 学校の少しの配慮で子どもたちの安全を確保することを考えてみたい ということが身近でありました。

 

 

 

 

 

 

美晴幼稚園に通園しているみなさんはご存知でしょうが 幼稚園前の道路の札幌よりの歩道が ここ数週間 除雪の雪で塞がれた状態になっていました。子どもをはじめ通行人がけもの道のように雪山の上を歩いて道をつくり なんとか往来できるようにはなっていました。

除雪で歩道がふさがれた次の日 除雪センターと区役所の担当部署に現場を確認していただいた上で強く改善を申し入れましたが 結局 昨晩この地域の最終盤の排雪作業でやっと排雪され歩道があらわれました。(右の写真が今朝の様子です)

この道路は生活道路で 断続的な排雪が行われる道路ではありません。しかし この地域で生活していたり仕事をしていれば知っていることですが 月寒西地区は旧日本軍の軍用地だった名残ともともとの地形もあってか 現在でも幹線道路が区画整備されていない地域で 西岡や福住方面から札幌方面へ通行する車両の抜け道は 国道の他にはありません。唯一 幼稚園前からあんぱん道路を経由して国道への経路が抜け道となるため 上の写真のように朝夕や国道の混雑によっては 幼稚園前の道路の通行量が多くなります。

この冬から 月寒小学校の通学路が変更になり この道路を利用する児童が大幅に増えました。そのことも踏まえ申し入れましたが 普通にみればどうにでもなる理由をならべて直ちに改善できない旨の説明に終始するだけでした。とても残念です。

実は 写真左の様に雪山の内側を歩く状態は ある意味 安全だったとも言えます。しかし … です。

子どもたちの往来を優先して 狭い車道を歩く方が 危ない思いをされているところを何回も見ました。危険な場所は 歩道を含めた道路の幅員をしっかり確保する 本来の道路管理を求めたいものです。

 

 

 

 

 

 

ベストを尽くして

今日 カーリングの日本選手権が終わりました。

その日本選手権に 昨秋と今年2月 美晴幼稚園に教育実習に来ていた札幌国際大学の学生が出場していました。

彼女は オリンピック予選 ユニバーシアード そして 日本選手権 などの合間をぬっての厳しい日程の中 大変だったと思いますが きちんと教育実習のプログラムをまっとうしていました。

この日本選手権 予選リーグを 北海道銀行 中部電力 と共に最速で決勝トーナメント進出を決め 今日の決勝トーナメントでも社会人チーム相手に善戦しましたが 延長戦を含む僅差で 優勝することはできませんでした。

札幌国際大学チームは今大会でチームを解散し それぞれが社会人となって新しい道を歩むそうです。

美晴幼稚園で実習した学生は 保育の仕事につきながら カーリングを続ける決意をしているようです。

最後までベストを尽くした彼女たちなら それぞれが社会人として自立し より充実した競技者となることでしょう。

カーリングは 第一線の競技者として長く続けられるスポーツのようです。

保育者がオリンピックで活躍することがあるかもしれません。これからが楽しみです。

 

 

今シーズン最終の雪あそび

今日で平和公園での雪あそびはおしまいになりました。

 

 

 

 

 

 

雪山や木立とも いったんお別れですね。年長青バッチは最後となりました。

 

 

 

 

 

 

使い終わったスコップを これでもか という位きちっと箱につめている年長青バッチのお友だちがいました。

卒園/修了進級まで 残り2週間となりました。

 

東日本大震災の記録(憶)

昨日は幼稚園を留守にして 東京へ出かけていました。

公益財団法人全日本私立幼稚園幼児教育研究機構の仕事で 

震災が起こった2011年から撮影を始めた 岩手 宮城 福島の3県の

私立幼稚園の記録映画の最終版である福島編の映像がほぼ完成し

ナレーションの録音に立ち合いました。

あえてここに書くまでもなく 福島県の幼稚園は福島第一原子力発電所の事故により

地震 大津波 の他に みえない放射能との戦いを余儀なくされています。

様々な面で環境が激変(場合によっては喪失)している現実は 

報道などで知らさせるものとは比較にならない程 過酷で複雑です。

しかし その現実の中で 懸命にいき 保育を営む事実は

たとえようもない やさしさと 強さに満ちています。

その事実をみえるかたちで残す事ができ まずは大きく重たい仕事に 

一区切りつけることできました。 園長 東 重満 

お楽しみ会

PTA会で資源回収や特別会計での食材販売の収益で 年に一度のお楽しみ会を開いていただきました。

今回はお楽しみ劇場ガウチョスさんが美晴幼稚園に来てくださいました。

 

 

 

 

 

演目は チンドンのリズムと音色にのった大道芸のナンキン玉すだれと ぶんぶく茶釜の人形劇でした。

 

 

 

 

 

 

ホールからお部屋に帰る時 とても精緻な操り人形にふれさせてもらいましたね。

ガウチョスさん素敵な公演ありがとうございました。

みはるんのお友だちも楽しんでいましたね。

 

 

 

 

 

 

 

「先生…」

秋谷先生の告別式で 茶道の社中の代表の方が弔事を述べられました。

その弔事の最初の言葉は「先生…」という思いがこめられた呼びかけでした。

その「先生…」の一言がずっしりと重たく響き 代表の方の秋谷先生への敬愛の気持ちがしっかりとこめられていたのです。

それから 茶道のお仲間が多いとはいえ 女性の多くの方が和服(喪服)をきちんと着て 身なりを整えていらっしゃいました。

私たち幼稚園の保育者(教諭)も子どもや保護者 そして一般の方々から「先生」と呼ばれます。

しかし それが単なる職業上の呼称であるのと 子どもや保護者の皆さんの思いが込められて そう呼ばれているのとでは まったく持つ意味が違ってきます。

本当に敬愛されて 「先生…」と呼ばれるには その人の教師としてのあり方 普段の言動やふるまいにあらわれてしまう その人の人間性も問われるのでしょう。

そのことを 私を含めて現在の美晴の職員に重ね合わせてみると 遠く至らない現実を思い知らされます。

秋谷先生には 最後の最後まで 足もとを照らし導いていただきました。

今一度 私たちのあり方を見直して 子どもたちに向き合い保育に取り組みます。

追悼

3月1日 美晴幼稚園の草創期に主任教諭をされて 退職後も学園の理事としてご尽力いただいておりました秋谷愛子先生がご逝去されました。享年90の天寿をまっとうされました。

秋谷先生は戦前の滝川高等女学校で学業を修められた後 故郷の上砂川の小学校の教諭として奉職され ご結婚後 縁あって お二人の子育てをされながら美晴幼稚園の主任教諭としてお務めいただきました。

秋谷先生が美晴の保育の礎を築かれたといって過言ではありませんし 先生のご人徳により当時の同僚後輩で「美晴会」という元職員の親睦会をもたれて 創設者の父が他界するまで数十年にわたり親睦を続けられました。

美晴幼稚園在職中から 茶道と華道をたしなまれ 退職後は裏千家の教授として多くのお弟子さんを育てられ社中を主宰したり 裏千家の支部会の役員としてご活躍されたようです。

ご葬儀はお通夜も告別式も 90歳の方の葬式とは思えない程 ご本人の縁の方々がたくさん参列され 最後のお見送りにも皆さんが思いを寄せられ別れを惜しむ 見事なお別れの会でした。

「し~ちゃん!! あらやだ 40過ぎた立派な園長先生にちゃんづけなんてごめんなさい でも やっぱり し~ちゃんだわよね…」

お会いするたびに 凛としたハリのある声で 幼少期の愛称のまま名前を呼んでいただいた あの響きは 生涯忘れることはないでしょう。寂しいかぎりです。

秋谷愛子先生に謹んで哀悼の念を捧げます。