教育の源流

金曜日 午後から旭川のふたば幼稚園へ出かけ 研究会に参加しました。

土曜日は 私の母校である東海大学旭川校舎(北海道大学芸術工学部)がこの3月で閉校するため 同窓生 旧職員 をはじめ関係者によるおわかれの会に参加してきました。

 

 

 

 

 

 

同期で撮影した記念写真の向かって右から二人目が私(ドンリュウ園長)で同じく向かって左から二人目が こぐまの森のプレイホールガリバーを設計した 小西彦仁(親友なので呼び捨てで…)。

芸術工学部は東海大学の中でも 最北のキャンパスでこじんまりとその教育が営まれていましたが 世界で活躍するデザイナーや技師を輩出しているばかりでなく 東海大学の創設者である松前重義が デンマークでニコライグルントゥヴィーにより実践され 後に そのことに強く感銘した内村鑑三によって日本に紹介された国民高等学校の理念を具現化した大学でした。

国民高等学校は農民の健康増進と学究を保証し 質素であっても文化性のある豊かな生活の実現を目指した運動だったそうです。

この大学のように 小さく地味ではあっても 学生と教授 運営を支える職員が 同じ地平にたって 膝をつき合わせ 手を携え 世界にまなざしを向けて教育と研究が営まれた大学は そう多くないと思います。

当時 700名ほどの学生の名前を ほとんどの教員と職員がわかっていて 学生同士の交流も全学にわたって有機的につながっていた 希有な大学でした。

本当はこれからの時代こそ必要な大学であったように思いますが かたちをかえて東海大学札幌校舎にて引き継がれるようです。

私は この大学で学生としての4年 教務と野球部のコーチ担当の職員として4年 計8年間を過ごしました。

現在 私がリーダーである美晴幼稚園の教育の源流の一つは 間違いなく 北海道東海大学での経験と その大学の根底に流れていた 北欧の国民高等学校の理念といえます。

この時期に このことを再認識できて本当によかったです。