12月2013

陶芸

年中 年少が陶芸に挑戦しました。陶芸でつかう粘土は普段使っている油粘土のように油脂などの添加物がはいっていないので 乾燥とともにあっという間に固くなってゆきます。その普段使っている粘土や戸外あそびで 泥団子づくりなどでふれていた砂や土と違う感覚を楽しみました。

 

 

 

 

 

 

乾燥させたあと ガリバーの窯で焼成するので 今度は カチンコチに固まった粘土の感触に驚くことになるかもしれないね。

グループで

今日から年長青バッチグループが三日連続でCAPのプラグラムに参加します。そんなこともあって午前中はグループでの活動が主になります。

そのグループでの活動の様子をのぞいてみると グループでアプローチの仕方は違いますが 表現あそびをしていました。

 

 

 

 

 

年長グループはフルーツバスケットのゲームを楽しんだ後 クラス毎に列をつくってポーズのリレーをしたり 先生がスケッチブックに描いた絵で物語を楽しんでいました。

年中グループはホールでピアノに同調して表現を楽しんでいました。

年少グループは保育者がパペット(人形)を使って子どもと同調してあそびまそた。

自分一人だけでなく みんなでいっしょに表現や物語(ファンタジー)の世界を広げて行く。その中で共鳴の輪が広がり響き合うことで 子どもどうしの関係もぐっと豊かになってきます。

 

 

クリスマスにむけて

 

 

 

 

 

 

12月になると玄関に飾られるこのお人形は もう20年近く前 園児のお母さんがつくられて幼稚園にプレゼントしてくださったものです。お子さんは既に短大を卒業して保育者になっています。

 

クリスマスに向けていろいろな制作をして 幼稚園全体をクリスマスの街に変身させます。

 

 

 

 

 

 

そして 玄関のお人形をプレゼントしていただいた頃からかわらずみんなが大好きなジングルベルのダンスも踊り始めています。

 

「副園長先生ですよね…」

今朝 玄関に荷物を取りに行って 受取のサインをしてペンと伝票を差し出すと 「あのー 副園長先生ですよね…」とたずねられました。

歳の頃からいってきっと卒園生だとピンと来て 「当時はね…。今は園長だけど」と答えると 「やっぱり そうですか…」  今度は私の方から「お名前は?」「◇◇けんたろうです。妹のあさみもお世話になりました。」 とハッキリと答えてくれました。

彼の事はすぐに思い出しました。子どもらしいワンパクさと繊細な優しさをもった素敵な男の子でした。平成6年度の卒園ですから 27・8歳の彼は凛凛しい好青年になっていました。

その後 お昼頃に 平成13年に他界した前園長(父)時代の園児のお母さんが仕事で来園されました。

「前の園長先生が このお店のお菓子を 子どもがプレゼントしたチョコレートのお返しにくださったので…」とロイズさんのお菓子をお土産にとさし出されました。

9月に亡くなった前園長は その年の6月の運動会が幼稚園で子どもたちの姿を見た最後となったのですが そのお母さんはその事を覚えていらして 「園長先生が最後 運動会を見る事ができて良かったですね」としみじみとお話しくださいました。

こんなことがいつでも起こり得るのが 私立の幼稚園や保育園の良さですね。

三学期がスタートしました

美晴幼稚園は今日から三学期です。

通園バスコースも冬時間コースでの運行がはじまりました。

それから 月寒小学校の通学コースが今日から一部変更になり 国道36号線から「あんぱん道路」を通って学校へ通学していたコースが 美晴幼稚園の前の道を通って通学するコースへと変更になった様です。(これは冬道のあんぱん道路の通行が子どもにとって非常に危険だからです)

今朝 幼稚園の門柱のところで登校する子どもたちを見守っていたら 先週までと比べると倍以上の児童が幼稚園の前の道を利用して通学することになりそうです。

冬道の登降園は車にしても徒歩にしても危険が増します。周囲の状況と道路の状態に十分注意して通行するように心がけましょう。そして 幼稚園の送迎時には幼稚園の子どもと同様に小学生の通行にもご配慮をお願いします。

さて 幼稚園のホールにクリスマスツリーが飾られました。子どもたちは大喜びです。

 

 

 

 

 

 

 

 

師走12月は どうしても早く過ぎてしまう印象を持ちますが 子どもにとっては楽しみの多い月でもあります。幼稚園でも 三学期スタートの月 一年を締めくくる月 として充実した一日一日になるように心がけて保育を進めます。

 

 

恩師−1

この週末 高等学校時代の恩師の喜寿をお祝いする会がありました。

私はものごころついた時から野球というスポーツのトリコになり 放課後の草野球から町内会の野球チーム 中学校の部活動 高等学校での部活動 大学時代の活動と野球に没頭し 学部を卒業したあとの就職は東海大学の学務部で教務を担当しながら野球の指導も担いました。そう これまでの人生の前半分は野球というものが その中心でした。

その野球人生 いえ いまなお 師とあおぐのが このたび当時の教え子で開いた喜寿のお祝い会の主人公であり東海大学第四高等学校時代の野球部の監督である 三好泰宏先生です。

私は市内からの通学生でしたので寮生活はおくりませんでしたが 30人以上の生徒の寮母をつとめ陰ながらチームを支えられたのが 三好先生の奥様です。

土曜日は お二人のために大勢の教え子が 感謝と慰労 そして 末永いご健康を祈り集いました。

三好先生は道教委の教員から私学である東海大学に転身され 野球部監督退任後は再度道教委に転身され社会教育と高等学校の教育を担当された異例の経歴をもたれる教育者です。

三好先生の教育哲学と実践と生き方は 今、幼稚園の園長をさせていただいている私に 非常に大きな影響をあてえています。

具体のことは いずれこの紙面や春日山に書かせていただきますが 「哲学をもって実践にあたること」「具体的方法は国を超えて先進事例と本質(本物)を研究すること」「目先の成果(勝敗など)にとらわれず人間形成をその本分とすること」「それぞれの子どもに寄り添って平等にかかわること」を私は恩師に見習い 少しでも近づきたいと念願していることです。

教え子たちは次は米寿とってわかれました。師とあおげる先生がいることは幸せなことです。