語りの重さ

情報のインプット(入力)は 耳で聞いて得る情報より 目で見て得る情報の方が有利(優位)なのは 乳幼児期の子どもに限ったことではありません。 ドンリュウ園長が学生時代(芸術工学部)の視覚情報の授業で受けた記憶が間違いでなければ(30年近く前の話なのであやしいですが…) 数量化すると 目で見て得る情報の方が 耳で聞いて得る情報の64倍になるのだとか…。

だから お話しを聞いて 話し手の伝えたい内容を理解する ということは とても難しい作業(手続き)といえます。確かに 人の話しや語りは 時間と同時に流れてゆくもので とらえどころがないものです。一方で目で見えるものは 文字や絵 写真など自らの意思で再生可能にすることができるし 絵本や紙芝居など最初からそのようなものも多いです。二次的な伝達も容易と言えるかも知れません。

でも 子どもたちは素話(道具を使わない語りだけのお話し)を聞きながら ファンタジーの世界を旅することはいとも簡単にできるし この時期になると 幼稚園の保育の中でも多くのことは話し言葉で伝えるようになっています。子どもどうしも会話でのコミュニケーションがどんどん豊かになっています。

今日 東日本大震災において沿岸部で甚大な津波の被害にあった幼稚園の園長はじめ教頭や主任 教諭にインタビューした記録映画の編集会議がありました。被災された保育者のお話しを聴きながら 事実のお重さが 語りの中でより重たくなって 聴く人に訴える力になることを実感しました。

日常の他愛のない会話はとても大事ですが 全身全霊で思いを言葉にかえて(のせて)伝えることも 子どもとのかかわりの中で大事なのだと思います。