PTA玉入れ大会優勝!!

今日行われました 札幌市私立幼稚園PTA連合会ふれあい交流玉入れ大会において 見事 美晴幼稚園のチームが優勝しました。予選でもダントツの一位。予選上位10チームによる決勝戦でも第一位となり優勝しました。

今回 出場した2チームとも 第1回目より第2回目の方がたくさん玉が入っていて、美晴のお母さん方の底力はたいしたものだとつくづく感心しました。そらから 練習からず〜っと 息のあった様子は本当によいふれあいの機会となったことと思います。優勝は嬉しいけれど お母さん方の親睦が一層深まったことが何より嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参加された皆さん 応援してくださった皆さん ありがとうございました

それから この会を運営してくださった PTA連合会の役員の皆様 準備から当日の進行まで 本当にお疲れさまでした 心から感謝です。

打ち上げを兼ねた昼食会を開きますので お楽しみに!!

 

 

強制的な文字指導は慎重に…

札幌市の幼稚園は区毎に保育者の研修会を組織しています。先週、その報告書を読んでいて気になることがありました。

豊平区の幼稚園でけっこうな数の幼稚園が幼稚園の保育の中で文字指導をしていることです。親にとって小学校に入学する前に幼稚園で文字指導してもらえるのは ありがたい とか 安心?の材料になるのかも知れません。しかし 以前も紹介した札幌市幼児教育市民会議の議論の中で 座長をお勤めになっていた北海道大学の先生が 少し古いものの幼児教育の世界ではよく知られた研究成果(知見)を紹介されました。

幼児期の早い段階で「強制的」に文字指導されたグループと 文字指導を受けていないグループに分けて その後 小学校での学習の習熟度を調査したところ 一年生前期では識字の習熟度において文字指導されたグループの方が優位であるものの 一年生後期(9月ないし10月ころ)には ほぼ差がなくなること。また 作文においては一年生の後期以降は早期の文字指導を受けてないグループの方が優位であることなどが、確度の高い統計検定の有意差として示されています。(シビアな問題なのでちょっと難しい表現を用いましたスミマセン)

もし このセオリーともいえる研究成果を知っていれば 幼稚園の設定保育の中で半ば強制的な文字指導はしないはずです。また、文部科学省の幼稚園教育要領でも幼稚園で文字指導を行うことになっていません。

なぜ 絵本は 子どもが文字面を拾い読みすることよりも 読み聴き(読み聴かせ)が大事かといえば 大人への信頼感の中で絵本の中の物語のおもしろさにひたれることや 繰り返し繰り返し読むたびに新しい発見や新しい物語と出会う世界の中で 「情操」がはぐくまれるからです。文字を書けない子どもどうしでもお手紙のやり取りが成立するのは何故か ちょっと考えてみるだけで子どもの「ことばの世界の豊かさ」を理解できると思います。

算数の壁ともいえる 分数や小数計算でいかされるといわれるのは ドリルや計算シートでトレーニングしたことよりも 幼児期からのあそびで実体験した豊かな概念を再構成することだと言われています。その力は 生活やあそびの中で おもちゃや道具や自然素材を 分けたり 分かち合ったり 自然や社会現象を興味をもって観賞することなどで こころの深いところで記憶に残ったものです。

半強制的な一斉活動は 子どもによっては大きな弊害を与えかねないことを 十分理解した上で取組む責任が 私たち保育者にあることを自覚したいものです。強制的、一斉的に指導しなくても 子どもの文字への興味を誘発する方法は 家庭でも幼稚園でもあるはずですが いかがですか?

 

 

「無関心の関心」

新潟県佐渡のトキが自然繁殖して巣立ちをしたニュースは、これまでトキの飼育や研究にかかわった人々ばかりでなく、地域全体がえさ場となる水田や水場の確保をされた まさに関係した人々の英知と具体の協力を結集した結果であることに感動します。

そのトキの飼育や繁殖に際しては「無関心の関心」という鉄則があるのだそうです。

言葉をかえて「無関心を装った関心を寄せながら育てる」と言った方が分かりやすいかもしれませんね。この鉄則、幼児期の子どもをしなやかでたくましく育てる場合にもそのまま当てはまります。「過干渉(よけいなおせっかい)」とは対極をなすといえるでしょう。

本当は大人にしっかりまもられていながらも、当の子どもたちは大人の関与や視線を意識しない状況の中であそんだり生活することで、「自分の力でつくりあげた」とか「自分たちだけで解決した(仲直りした)」といった実体験を重ねることができま。この様な経験は子どもの「自立(自分のことは自分でする力)と自律(自分を状況にあわせて調整する力)」をしっかり育みます。2学期に向けてそんな様子を、この紙面やブログで紹介したいと思います。

例えば 今週のわんぱくタイムで子どもたちが「熱中」して砂場であそんでいる様子は…

 

 

 

 

 

それから ちょっとした隠れ家的 基地的場所では…

 

 

 

 

 

仲間と秘密のあそびを潜行?したり 自分だけの時間を過ごしたり。そんな中で自分を自分たちをかたちづくります。

【春日山 6月29日 第10号から一部引用】

 

 

 

ウィンブルドン

園庭の芝生に水をあげていたら 向かいの小学校6年生が硬式テニスの壁打をしていました。そのうちお父さんが帰宅され少しだけ家の前で相手をされていたのですが じきに2人で平和公園に向かいました。幼稚園の前を通る時に、お互いに挨拶を交わした後、私から「硬式テニスしてるんだね…」と声をかけると、お父さんが「ウィンブルドン目指していますから…」と。その後ろを歩いていた彼女は笑いながら顔をしかめていました。

彼女は小学校で児童会長をつとめています。周囲から慕われる人間性とリーダーシップがあるのでしょう。毎年、近隣の小学校から運動会のプログラムが送られてきますが、学校によっては児童会長の挨拶も載っているので、年によっては美晴の卒園生の名前を確認することができます。ちなみに学校は違いますが、昨年も一昨年も女子が児童会長をつとめていました。

毎年のように、どこかの小学校で児童会長をつとめている卒園生がいることは、なんとなく嬉しいことです。

あそびの構えと着想のやわらかさ

今日は朝から水あそびを初めてするには絶好のお天気でしたので(水あそびの準備は今日まで整う予定でもあったので) 活動の中に水あそびを入れました。もちろん 子どもたちは大喜び!! (予定になかったじゃない。とか、早速 着替えを汚して持ち帰るなんて…などとつまらないことを思う保護者は美晴にはいないはず)

 

 

 

 

 

 

ガリバーではないので 園庭に小さな家庭用プールを出してのあそびでしたから せいぜい容器の水鉄砲で水の掛け合いぐらい と思われるでしょうが 初日からちょっと違うおもしろいあそびもしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上段左から花壇のトマトと枝豆にお水をあげている様子。中央は門扉の手前のくぼみにたまった泥水を足でバジャバジャして感触を楽しんでいる様子。右と下の段の左はピロティーのコンクリートブロックに水で模様を描きながら水が暖かくなっていることを不思議に感じている様子。下の段の中央と右はクラスが違うのでメンバーも時間も別々なのに、予め打ち合わせでもしたかのように芝生のくぼみに何回も水をはこんで同じ様な水たまりを作って「どろんこ温泉…」と見立ててあそんでいる様子です。

子どもが自ら気づき広げる着想は本当におもしろいです。もう一つ、注目したいのは上段の3人の子どもの身体の構えです。幼児は頭が大きく重たいので成人とは多少バランスが異なりますが、身体の側面(横側)からみて、足のくるぶしと肩を結ぶ線が垂直であると子どもの身体は安定します。しゃがんだ時も同じです。右の子は立ち上がろうとする瞬間なので少し前掛りになっていますが、右足と右肩を結んだ線は垂直な関係です。つまり、美晴の子どもたちは身体のこなしの構えが自然とできているこどもが多いです。

それから、保育室では七夕に向けた制作や実習生の活動の中でメダルを制作していました。その一コマから…。

 

 

 

 

 

 

イチゴミルクバスケットに使うメダルをつくりましたが、こんなイチゴのデザインのメダルを作った女の子曰く、「このイチゴはまだたべられないの…」

なぜだか分かりましたか? そうイチゴの実の一部が青いことに気づくでしょう。そんなたおやかな着想がホンモノの「かしこさ」といえるでしょう。

イマジメイト

年長青バッチグループは運動会でイマジメイトという表現に取組みました。

イメージとメイト(仲間)で織りなす表現の今年のモチーフは「魔法」でした。平和公園周辺を住処としているカラスは「マジョリーナ」という魔法つかいの化身?。

年度当初から表現や運動あそびの中で取り上げて来た 「魔法の世界」は子どもたちの中にしっかり根付いていた(今でも)ようです。しかし、運動会のようなたくさんの人々が見守る中で表現するには 子どもたちなりの思い入れがある一方で戸惑いや難しさも感じていたはずで 男の子たちがふざけたり 中に入らずに遠くから眺めている時間が多い子どももいました。

運動会当日の数日前 最終的な位置や順番そして表現の仕方が決まってから グランドで練習した様子をビデオにおさめてその映像を皆で観てみる機会をつくりました。

 

 

 

 

 

 

自分たちの姿を映像を通して観ることで 互いの善し悪しに気づき「こうゆうところをなおしたいなぁ〜」と再度取組みたいポイントが何カ所かあった様です。例えば、入場する時はしっかり手足をあげてみよう とか。

 

 

 

 

 

 

自分たちのあそびのイメージを仲間と共に 「表現」としてかたちづくり 実際に大好きな家族や応援してくれる人々に観ていただくことを意識して演じることができたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから 美晴のイマジメイトは 先生に怒鳴られながらやらされているのではなく 仲間と自分たちに等身大のイメージを共有したなかで展開されるので 運動会直前までなかなか参加できなかったお友だちでも すぐに表現の輪に入って演じることができました。

この二つの違いは子どもの内面におこる達成感の質の違いにあらわれます。押し付けられた動機付けで得られる達成感はその場限りのもので、達成感と共にもうやらなくてすむという安堵感が子どもを支配します。しかし、保育者に導かれながらも自分たちでつくりあげたという自覚のある取組みは 大人からは一見稚拙にみえる活動でも 子どもたちの内面には次の大きなステップの糧となる前向きでゆるやかな達成感と共に 自分たちへの確かな自信と 大人への信頼感が膨らみます。このことが子どもをしなやかでたくましく育むことになります。

元気で登園

運動会は3名のお友だちが体調不良でお休みしましたが、代休明けの今日元気に登園しました。はやく元気になってよかった! 運動会は参加できませんでしたが、当日までの取組みは必ずこれからの生活やあそびにいきてくるからね。

さて、どんりゅう園長は昨日から京都に出張しています。今回は、財)全日本私立幼稚園幼児教育研究機構が今後数年をかけて行う、縦断的(数年の時間軸で経過を追って行く)研究のプロジェクト会議に出席することと、京都の太秦映画村のすぐ隣にある「自然幼稚園」さんの公開保育研究会に参加するためでした。とてもすばらし環境と保育実践でしたので、美晴の保育にもいかすことがあると思います。

さぁ、明日は誕生会。6月うまれのお友だちは少しドキドキしながらも楽しみにしているんだろうなぁ。

 

あたたかなまなざしに見守られて(第49回大運動会から)

心地よい疲労感の中で、幼稚園で行う運動会の意味を考えてみました。

美晴幼稚園では教育課程の中に様々な行事が位置づいていますが、行事の日のために行うものは一つもありません。言い換えると行事に向けた取組みと行事の体験が子どもの育ちに意味ある経験(体験の積み重ね)となることを目的としています。

例えば、年長青バッチグループの競技や表現は何度かの指導で習得できるような内容ではありません。ファイティングGOの縄跳びや平均台を渡ること、そして網をくぐることは発達が一定の段階に進んでいないと、どんなに指導を受けても何度練習しても出来るよになるものではありません。(人間が二立歩行することや補助輪なしで自転車に乗れるようになれることと一緒です)

《イマジメイトの取組みについては、後日、写真付きで詳しく紹介します。》

5歳ころになると身につくことができる内容を、生活やあそびの中に取り入ればがら、最後の仕上げ?として身近な目標を設定してあげること。前にも書きましたが、幼児期の大切な運動の面でも発達課題である協調性や調整力は、身体機能と知性・情緒が総合的(バランスよく)条件が整ってはじめて実現するものだからです。

他の学年の競技や表現も同じですが、とりわけ年少ピンクバッチや新入園の子どもたちは、上手下手とかできるできないとかではなく運動会の一日を元気に過ごすことで十分花丸に旗を何本たてても良いくらい褒めてあげたいことです。年長青バッチになると、運動会後も公園であそぶ元気が残るほど、本当の意味での基礎体力がついていきます。

人間は、多くの人に見られることを意識できるとストレスを感じ、緊張や不安も増幅されます。そんな姿は年少・中の姿にはっきりとあらわれていましたね。一方でそのような経験を重ねることで、ストレスを良い方向でとりこみ、自分や自分たちの励みややりがいに転化できるものです。(年長青バッチや進級児の姿にあらわれていました)

緊張や不安の体験を苦い思い出とせずに良い経験として次にいかせるには、今日の運動会の雰囲気が必要だとつくつく感じました。終始、どの子どもへもあたたかなまなざしと応援の拍手や声掛け。そして、一人一人の子どもそれぞれのがんばりをきちんと認めて褒めてあげるやさしさ…。ご参観いただいたお一人お一人の思いが、子どもたちに大きな励ましを与えて、これからの成長の糧となることでしょう。

ご参加いただいた親子遊戯やサイコロころころでは、お父さんお母さんと子どもたちの笑顔がはじけていました。そして、祖父競技の整然とした姿。紅組が一矢報いたお母さんの玉入れ。お父さんお爺ちゃん(おまけにお兄ちゃん)の綱引きの迫力は、きっと子どもたちに良い見本として強く印象に残ったことでしょう。

卒園生ばかりでなくたくさんの小学生にも参加してもらいましたね。それぞれ素敵に大きくなっている姿、とってもうれしいです。

それから、3月に函館にお引っ越ししたお友だちも、いくつかの競技に参加してくれました。皆、再会をよろこんでいましたね。卒園したしないにかかわらず、美晴に関係した皆さんにとって居心地の良い場所であり続けたいと思います。

【写真は保育アルバムにUPしました。】

 

 

 

東北にて

昨日 ガリバーでのちゅーりっぷの活動を終えて 帰りバスの送迎後 空路仙台経由で山形へ移動しました。今日、東北地区の私立幼稚園設置者・園長研修会の教育の分科会で指導助言を担当させてく仕事がありました。この研修会は東北6県から私立幼稚園の設置者や園長先生方が集まって毎年開催されるものですが、昨年は東日本大震災の影響で中止となったそうです。

昨年、(財)全日本私立幼稚園幼児教育研究機構と文部科学省の仕事で、8月以降 岩手、宮城、福島の被災3県に調査に来ることがあり、交通機関の関係で何度も仙台空港を利用し、北海道と東北間を移動しました。

震災後はじめて仙台空港に降り立ったのは、空港とその周辺はアメリカ軍により復旧されていましたが、いたるとことに地震と津波の傷跡がのこっている惨憺たる状況だった、昨年9月のことです。あれから、一年も経過していないのに、空港から仙台駅を結ぶ鉄道は復旧し、空港の周囲もよほど注意しないと、被害の痕跡を認めることができない程です。

しかし、昨年9月、実際に訪ねた津波により壊滅した名取市の閖上地区は、今私が飛行機の搭乗を待っている仙台空港から数キロしか離れていません。今日、分科会の司会を担当された先生の幼稚園は、福島でも宮城県にほど近い相馬市にあって、今なお見えない放射線との格闘が毎日続いています。

山形駅から仙台駅に向かう高速バスは週末ということもあってか、仙台市内に入る前から渋滞で遅れ、市内の繁華街は最近の札幌にはないほどの賑わいに見えました。それから、地元なのか地方からの来訪者なのかわかりませんが、学校の先生らしき一団は、震災の話題を大きな笑い声を上げながら話しています。自分の気持ちがひねくれているのか、震災に対する感性がはやくも鈍りはじめているのかなぁ と複雑な思いにとらわれます。しかし、これも現実…。

私は、被災地の幼稚園は、今なお困難な状況の中でも、仲間と先生とで織りなされる「いつもの幼稚園」が昨日も今日も、そして明日からも、多くの犠牲と献身的な働によって営まれていることに、思いをしっかり寄せたいと思います。

札幌は夕方から雨模様のようですね。この雨は明日まで残るようですが、日曜日にはあがってくれることを祈りながら、これから飛行機に乗って雲の上を飛んで札幌に帰ります。

 

雨の日の思い出

今日は台風の襲来が心配されましたが 札幌は強風が吹くことなく雨も小雨でした。

今週末の運動会に向けて 親子遊戯(ダンス)を行いました。ほとんどのお母さんが来園されて、一緒にお遊戯や道具作りを楽しく行いました。中には、せっかくお母さんか来ているのになぜか浮かない表情のお友だちもいましたが、本心はどのお友だちも嬉しい一日だったと思います。

前に 私は当時としては珍しく 年少3歳児から幼稚園に通っていたと書きました。実は、私には12歳と10歳上の姉と 学年で一つ違いの3人の姉がいます。私が幼稚園に通っていた頃は 年少3歳児のみのクラスはなかったので 今で言う姉がいた年中4歳児のクラスの中に潜り込んでいたわけです。

私が3歳から幼稚園に通うことになったのは 当時 両親ともが働いていて 母は自宅と店舗を兼ねた建築金物店を営んでいたからでもあると思います。当時の美晴幼稚園には通園バスは無かったので 皆 徒歩か家が遠い子どもは路線バスで通っていたものです。しかも、現在とは交通事情が全く異なりますが、保護者が一緒ではなく 徒歩の子どもも 路線バスの子どもも 子どもたちだけでトコトコ通っていたものです。

子どもが幼稚園にいる間に雨が降った時は 保護者がカッパか傘を持って幼稚園に迎えに来ていました。しかし、私は母が迎えに来ていないことがままあって 一人で雨に濡れて家まで帰ったものでした。しかし、母を恨んだことも 他の子どものことをうらやましいと思ったこともたぶんありませんでした。それは、ずぶ濡れになって帰った私を、母が手ぬぐいを用意して玄関先で待っていてくれて頭の先からつま先まで とっても気持ちよく丁寧に拭いてくれることが とても嬉しかったことの記憶しか残っていないからです。

幼稚園が仕事場の私は 幼稚園にいる間に雨が降ると フッと 当時の記憶と共に一昨年他界した母のことを思い出します。