1月うまれのお誕生会

1月うまれのお友だちと 12月に皆でお祝いできなかったお友だちのお誕生会でした。

 

 

 

 

 

 

先生方からのプレゼントのジャックと豆の木のお話しをじっくりと聴いていたね。

クラスごとの記念写真は保育アルバムで。

雪あそび

先週 ドンリュウは雪あそびの様子をみれなかったのですが 今日 朝と帰り 年長青バッチグループのスキーをみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の段は朝と帰りの雪あそびの様子です。一番左の写真は幼稚園の脇のナナカマドの樹ですが赤い実がすっかりなくなっています。鳥にとってもおいしくないのか真冬になってやっと樹上の枝から実がなくなります。それは 渡り鳥の中でこの実を好む鳥がいるのだとか…。 車の往来がない静かな時間は この時期でなければ聞くことができないたんさんの野鳥のさえずりが聞こえます。

スキー(下の段)では これまでの経験がいかされているのでしょう 年長青バッチさんはスキーの着脱もスムーズでドンドンコースに出て滑っていました。途中から新雪をかきわけて 砂場のアップダウンを楽しみました。

 

まどぎわさん

ドンリュウは23・24日 公財)全日本私立幼稚園幼児教育研究機構の研究研修担当者会議があって京都に出かけていました。

23日の朝 会議の前に札幌から参加していた先生二人といっしょに 嵐山にほど近い幼稚園に視察に行きました。

宿舎からタクシーで幼稚園に向かったのですが 偶然にもそのタクシーの運転手さんのお子さんがかつてその幼稚園に通っていた とのことで行き先を告げると一つ返事で向かってくださいました。

道中 40歳を過ぎた娘さんが通っていた当時のお話をされて

「うちの娘は幼稚園では『窓ぎわさん』でね 友達の中にはいらずに少し離れて過ごしていて ほとんどおしゃべりをしない子どもだったんです…」

「… 今ではそんな面影もなく 二人の子どもの母親ですけれどね…」

「そんな娘と私たち親に本当によくかかわってくれた幼稚園で ありがたい思い出深い幼稚園なんです…」

大正時代に設立された嵯峨幼稚園は 大正・昭和の各時代の骨組みを残して耐震補強工事をかねて全面改修された園舎と工夫された環境の素敵な幼稚園でしたが きっと子どもと保護者への関わりは 長い歴史を大事に受け継いでいるのだと 感じられました。

私立幼稚園ならではの良さを再確認する機会となりました。

 

ホワイトジャンボフェスタ

月寒中央公園を主な会場に 今年もホワイトジャンボフェスタが開催されています。

美晴幼稚園も毎年参加させていただいています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

職員を中心に土台となる雪像(今年は設計者のこだわり?でかわいい”うま”)をつくり 任意参加の子どもたちとご家族が持ち寄ってくださった 様々なかたちと色のアイスキャンドルで装飾しました。

今日は暖気であたたかな一日でしたが 日が沈むと急に冷え込んだ感じで主催者から振る舞われたココアがおいしかったです。

 

ありがとうございました

本日の保育参観へのご参加ありがとうございました。

寒波が居座り朝方は雪がちらつく足元の悪い日でしたが 幼稚園の中は賑やかな歓声が響き とてもあたたかな雰囲気でした。

ホールで集会が始まる前 年長の女の子が「お母さんまだかなぁ〜」とつぶやいていました。

その口調に不安は感じられず 親しみと期待がにじみ出ていました。その様子にその子の三年間の成長を実感して嬉しかったです。

年長さんは幼稚園生活最終の保育参観となりましたね。保護者の皆様のご参加とご協力本当にありがとうございました。

身体測定

年長 青バッチグループは幼稚園で最後の身体測定となりましたね。

 

 

 

 

 

 

年少・中のお友だちも衣服の着脱がしっかりできるようになったね。

測定を待っているクラスでは 豆まきに向けて升をつくっていました。そういえば「鬼は誰がやるの?」ちょっぴり不安そうに訊いてきた いつもはワンパクな年中黄バッチの男の子がいました。

このびみょ〜な感じが子どもらしくて面白いですね。

 

 

詩人 吉野 弘 さん

今日 詩人 吉野 弘さんの訃報が報じられました。

毎年 夏休みの直前の春日山(園長便り)で必ず保護者の皆さんにお伝えしているこの詩の作者です。

「生命は」

生命は

自分自身だけでは完結できないように

つくられているらしい

花も

めしべとおしべが揃っているだけでは

不充分で

虫や風が訪れて

めしべとおしべを仲立ちする

 

生命は

その中に欠如を抱き

それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分、他者の総和

しかし

互いに欠如を満たすなどとは

知りもせず

知らされもせず

ばらまかれている者同士

無関係でいられる間柄

 

ときに

うとましく思うことさえも許されている間柄

そのように

世界がゆるやかに構成されているのは

なぜ?

 

花が咲いている

すぐ近くまで

虻の姿をした他者が

光をまとって飛んできている

 

私も あるとき

誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき

私のための風だったかもしれない

 

私は 大学院時代 先輩に勧められて読んだ 浜田寿美男さんの「いま 子どもたちの生きるかたち」のまえがきに引用さていた 「I was born」という詩で吉野さんの詩に出会いました。

その後 吉野さんの詩集や論評の「現代詩入門」を読むうちに 詩集に掲載されていない(はず) この詩にも出会いました。

 

「動詞『ぶつかる』」

ある朝

テレビの画面に

映し出された一人の娘さん

日本で最初の電話交換手

 

その目は

外界を吸収できず

光を 明るく反映していた

何年か前に失明したという その目は

 

司会者が 通勤ぶりを紹介した

「出勤第一日目だけ お母さんに付添ってもらい そのあとは

ずっと一人で通勤してらっしゃるそうです」

「お勤めを始められて 今日で一ヶ月

すしずめ電車で片道小一時間……」

 

そして聞いた

「朝夕の通勤は大変でしょう」

 

彼女が答えた

「ええ 大変は大変ですけれど

あっちこっちに ぶつかりながら歩きますから、

なんとか……」

 

「ぶつかりながら……ですか?」と司会者

 

彼女は ほほえんだ

「ぶつかるものがあるとかえって安心なのです」

 

目の見える私は

ぶつからずに歩く

人や物を

避けるべき障害として

 

盲人の彼女は

ぶつかりながら歩く

ぶつかってくる人や物を

世界から差しのべられる荒っぽい好意として

 

路上のゴミ箱や

ボルトの突き出ているガードレールや

身体を乱暴にこすって過ぎるバッグや

坐りの悪い敷石や焦々(いらいら)した車の警笛

 

それは むしろ

彼女を生き生きと緊張させるもの

したしい障害

存在の肌ざわり

 

ぶつかってくるものすべてに

自分を打ち当て

火打ち石のように爽やかに発火しながら

歩いてゆく彼女

 

人と物との間を

しめったマッチ棒のみたいに

一度も発火せず

ただ 通り抜けてきた私

 

世界を避けることしか知らなかった私の

鼻先に

不意にあらわれて

したたかにぶつかってきた彼女

 

避けようもなく

もんどり打って尻もちついた私に

彼女は ささやいてくれたのだ

ぶつかりかた 世界の所有術を

 

動詞「ぶつかる」が

そこに いた

娘さんの姿をして

ほほえんで

 

彼女のまわりには

物たちが ひしめいていた

彼女の目配せ一つですぐにでも唱い出しそうな

したしい聖歌隊のように

 

 

あえて 解説はしません。

子どもをしなやかでたくましく育てるエッセンスも この二つの詩に凝縮されていると私は思います。

 

 

 

 

卒園/修了まであと45日

冬休みがあけ 今日から通常保育が再開しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とになく仲良しのお友だちとお話ししたい。冬休み日記のことをお友だちや保育者に伝えたい。そんな様子があちこちで…。それから さっそくお手伝い 給食のパンをかぞえてクラス毎のカゴに分けていました。(ノルトエッセンさんのパンは一個一個包装しています)

始業式では干支のお話しを聴いたり ゆきやこんこの歌を歌いました。クラスにもどって冬休み中の出来事を皆に伝えたり 経験画を描きました。

朝 表情がかたいお友だちが数名いましたが すぐに やわらかな表情で落ち着いて過ごしていました。

今日を入れて 卒園/修了までの保育日数は45日です。あっという間に過ぎてしまいがちですが 一日一日 大切に過ごして行きたいと思います。

 

 

 

明日から保育再開

明日20日から通常の保育が再開します。

今朝 いつもの時間に動物たちにご飯をあげに行ったところ ちょうど平和公園から幼稚園の前の道路の排雪の作業をしているところでした。

明日から 小学校も授業が始まりますね。幼稚園前の道路 あんぱん道路が排雪され道路の幅員が確保されました。

でも 安心しすぎずに 雪道の通行には注意したいものです。

さぁ 明日 子どもたちはどんな表情で登園してくるでしょうか…。

何よりも 元気な顔で再会できることが なによりです。

 

19年の月日

今日 1月17日は阪神淡路大震災が起こった日です。

あの日の朝 ニュースの映像から飛び込んできた神戸の様子は 現実と理解するまでに僅かかも知れませんが時間を要しました。

当時 私は30歳を過ぎたばかり 幼稚園に勤務して4年目でした。

美晴幼稚園は設立30年を経て 現在の園舎に全面改築し 震災があった一月に現在のこぐまの森にあった仮設園舎から引っ越してあたらしい建物で保育が始まりました。

あれから19年。

美晴幼稚園の理念や哲学は変わらないものの 幼稚園の体制や保育の運営形態は大分変化しました。

震災が起きてからこれまで 両手に余るほど神戸に行く機会がありました。ここ数年は 街並みを眺めているだけだと 震災であれほどのダメージを受けたことが 現実であったのか わからなくなるほどの錯覚を覚えます。きっと目に見えないところで 19年前の震災の影響は少なからず残っているのでしょう。

翻って 東北はどうか…。

今月 東日本大震災が起きた年に手がけた記録映画の制作試写があります。一年毎にテーマ別に記録映画を完成させてきましたが 3本目は福島県の私立幼稚園がテーマです。

福島第一原発事故による影響は 今なお続いています。

ひとつの区切りとして この3年間で起こった事実を映像資料としてまとめます。

福島の幼稚園は 美晴幼稚園が起こしてきた変化の何倍もの変化を起こさざるを得ない中 真摯に子どもと家庭に向き合って保育と言う営みを継続してこられた その努力と英知に思いを寄せて今日一日を終えたいと思います。

園長 東 重満