どんりゅう園長のひとり言

絶対の信頼感

今日は1月うまれのお誕生会でした。

 

 

 

 

 

 

帰りのバス ちょっとした行き違いで年少の男の子がバス停で降りることができず 幼稚園に戻ってお母さんのお迎えを待たなければならない状況になりました。

そうしたら それまでヤンチャな話しをしていた年長の男の子が突然 「ぜったいだいじょうぶだよ…おかあさんおむかえにきてくれるから…」「おかあさんが こどもをほったらかしにすることなんか ぜったいないから…」と口々に断言しながら 心配しない様に励ましていました。

今日のこの子どもたちの言いぶりは ふざけた様子はまるでなく 真剣そのもの でした。(あまりに真剣で 聞いていて微笑ましく感じるくらいに…)

子どものお母さんお父さんにたいしてもっている絶対の信頼感。本来当たり前のことだけれど 昨今では その大切さを考えさせられます。

信頼されることも 信頼できることも 互いに幸せなことですね。

 

 

冬休みの学び

北海道や東北の多くの地域は学校・幼稚園の冬休みが長く 保育者は1月のこの時期 園内や園外の研修に励みます。

8・9日は新任教員の研修会 10日は北海道私立幼稚園連合会と北海道幼稚園教諭養成連絡協議会の研修会があり 美晴の保育者もそれぞれに参加し理論と実践を深めました。

ドンリュウは10日は秋田県の幼稚園の保育者がいくつかの研究班を組織して 継続期に学び合っている研修会のお手伝いに出かけました。県内の遠くからも足を運ばれて 3つの園の圏内研修で取り上げられた保育実践報告を学び合いました。そのまま秋田から岩手県の花巻に移動し11日は岩手県の私立幼稚園総合研修会で教頭・主任の保育者の研修会のお手伝いをさせていただきました。

保育の現場は毎日の保育に専念しているからこそ 日々の保育を立ち止まってふり返ったり 新しい知見にふれたり 自らの能力を高めたり 保育者がチームワークを発揮する関係性を醸成する努力が大切になります。

秋田県の保育者からは 園の枠を超えて学び合いの場を継続的につくっている姿。岩手県の保育者からは非常に広い地域 ましてや震災で甚大な被害をうけた沿岸部の園の先生方も 厳しい状況下でも地域の園が連携協力して学び合いの場を求めて研究研修体制を再構築して取組んでおられる姿。いずれにもリスペクトされました。

北海道 とりわけ札幌市内では 単発の企画された研修会への参加はあっても 園の枠や幼保の枠をこえて 保育者自らが学び合いの場をもつことを怠っている現状と 秋田や岩手の保育者の姿勢との乖離に 問題意識と大きな反省をもった一週間でした。

 

6歳

「6歳まで、自分は自分自身のものです。それは、もっとも美しい時代です。でも、学校に行きはじめると、自分を社会に取られちゃうんです。そこからしばらく、自分のものではなくなる。「プロデューサーになる」とか「パフォーマーになる」とか。歳をとると、どんどん自由になります。真面目な自分は脇に追いやってしまって、本来の自分、6歳までの自分にもどっていくんです。」ージル・サンクロワさんが「ジルは友だち。」の中で

この一文はドンリュウが愛用している ほぼ日手帳の1月3日の欄に書かれていたものです。

くまのプーさんの原作者の A.Aミルンは

1つに なった時 ぼくは 何もかもが 初めてだった

2つに なった時 ぼくは まるっきり 新米だった。

3つに なった時 ぼくは ようやく ぼくになる

4つに なった時 ぼくは 大きくなりたかった

5つに なった時 ぼくは 何からなにまで 面白かった。

6つに なった時 ぼくは ありったけ おりこうです。

だから ぼくは いつまでも 6つで いたいと 思います。

という詩を書いています。

6歳までどのように生きるか、生かされるか。どのような時間を過ごすことが、人生を通してみたときに大切か…。

美晴の保育はそのことを妨げてはいないか…。

ドンリュウは年初にいつも 「今」 を生きている子どもたちのために 見誤らないように 間違ったおこないはしない様にするため 自らに問いをたてて確かめます。

 

 

今年もよろしくお願いします

昨年中は美晴幼稚園の保育運営に多大なご理解とご協力を賜り誠にありがとうございました。

去る12月 私が北海道で最も尊敬していた保育実践家が他界されました(先生が園長をされていた幼稚園に勤務されていた方からの賀状で知りました)。

難病を患っていらしゃった先生は園長を退任される直前 先生が敬愛されていた幼児教育の父といわれるペスタロッチーとフレーベルゆかりの地を訪ねられた際に手に入れられた ペスタロッチーの生誕祭の記念メダルを 先生の思いを添えられながら私に手渡されました。

以来 私は私立幼稚園団体で研究研修の重責を担う時 先生の思いにそむくまいとそのメダルを絶えず携えて仕事にのぞんで 今に至っています。

私が小関祐一先生に出会ったのは 私立幼稚園団体の仕事でではなく 私が幼稚園の仕事について間もなく 北海道私立幼稚園教育研究大会北見大会で小関先生が園長をされていた北見のぞみ幼稚園の公開保育研究に参加した時でした。

北海道ではまともに保育を語ることができない園長が少なくない中で 保育の意味を明確に示され その日の保育にどのような意図と子どもの学びがあるのか そのことが子どもの育ちにどのようにつながっているのか…。自らの実践に基づきながら温和に語られる姿を目のあたりにした私は いつかこのような保育実践家になりたいと決意しました。

その時の保育の様子と先生のお話し そして自らの思いは 20年の時を経た今でも鮮明によみがえります。

美晴幼稚園の営みはとてもささやかなものですが 今年も子どもの育ちに真摯に向き合う あたりまえの保育の充実に専心努力したいと存じます。職員一同よろしくご指導ください。

園長 東 重満

学び続けるという意志

 間もなく年が明けて年賀の交換があるのですが 師走のこの時期 久しぶりの便りをいただく時期でもあります。

 ドンリュウの大学院時代の指導教官であった恩師からメールをいただきました。その先生は国立大学を定年退官された後 いくつかの大学の新設にご尽力され 今なお 新潟県のご自宅から山形県の大学まで片道4時間かけて通勤されている 来年喜寿を迎えられる現役の大学教員です。

 教育哲学・思想がご専門の先生が 今取り掛かられている仕事は 近代教育の基礎を築いたといわれ18世紀から19世紀初頭にかけて活躍した教育実践家ペスタロッチーの仕事の中で 現代にも通じる理論をドイツ語で書かれた原書30点から論文にまとめる という仕事だそうです。

 この週末 東京で行われた幼稚園教諭を対象とした教員免許状更新講習の講師をしてきました。この講座の講師をするのは おそらく最後になるかと思いますが 講師の私が受講されていた保育者に学ぶことが多い 数知れず行った講習の中でも思い出に残るものになりました。

 教員免許の更新は基本的に 年齢で 35歳 45歳 55歳になる年度に30時間(試験つき)の講習を受講して更新される手続きです。幼稚園教諭の場合 一度 子育てをされたり 子育て中の方が復職されて受講するケースが多く 今回も約150名の半数近い方が そのような先生方でした。

 講習の後の試験の答案には 東京の幼稚園の保育者ならではの現実の難しさを吐露されながら 自らの子育て経験を踏まえて 子どもにとって望ましい幼児教育のあり方を 回復しなければいけないという強い意志を表明されていたものがとても多く また どれだけ経験を重ねても 現場で保育に従事する以上 「学び続けなければいけない」 という決意をつづられている方が多くいました。

 「先生」と呼ばれる以上 現役中は弛まぬ学びと研究研鑚が不可欠だということは 私自身十分理解しています。しかし 恩師と幼稚園の保育者仲間の真摯な姿勢に 自分自身を今一度ふり返えざるを得ませんでした。

 学び続けるという意志は 教師の誇り(プライド)そのものなのかも知れません。

 

クリスマスに

ドンリュウ園長が親しくさせていただいている 保育者養成課程のある大学の先生が NORADのサンタクロース追跡webサイトをおしえてくださいました。

NORADは北米の航空宇宙防衛司令部(NORAD)で その前身だったCONADが1955年以来 ちょっとした間違いからサンタの飛行経路追跡の情報提供をしています。というのは 「サンタへの直通電話」を開設したという民間会社の広告に掲載された電話番号が 当時のCORADの司令長官へのホットラインの電話番号と間違っていて 子どもらから司令部に電話がよせられたのでした。その司令官がサンタが北極から南下した形跡がないか部下にレーダーを確認させ 電話を掛けてきた子どもたちにサンタの最新情報を伝えたことから 以来 CORADとNORADOの関係者がボランティアで この仕事?を継続し 今ではインターネットを利用して世界中の人々が利用できる サンタ追跡システムとなったそうです。

前に紹介した かつてのニューヨーク・サン新聞の社説のように 100年の時間を経過してもなお語り継がれる 「サンタクロースってほんとうにいるんですか?」という子どもの素朴な問いに対する 素敵な大人の対応があります。

これから サンタクロースが日本に移動してくる時間になりました。

いつも以上に 子どもの気持ちに寄り添う日。

今晩 札幌は冷え込みが厳しい夜になりましたが 心はあたたまる一夜ですね。

 

子どもの視点から状況を見つめて…

昨日のお話しの続きです。

ドンリュウ園長は大学までチャンピオンスポーツ(大会での勝敗を競う学生競技)として野球をしていました。高校、大学とそれなりの実績を残したこともあり、卒業後は母校の大学の学務部教務担当の職員として勤務しながら野球部のコーチをしていました。

マンモス大学系列の地方大学だったので 学生係と教務係が同じフロアーで仕事をしていたので オフィスのカウンターで日々学生の様々な問題にも直接・間接にかかわっていました。

大学に勤務していた5年間で少しずつ顕著になってきたのが 学生の自律神経系の体調不良や疾患への対応です。端的にいえば 一見普通にみえる学生が食事や睡眠など生活リズムに変調をきたし その当時では数少なかったのでしょう 大学病院の専門医にケアーしてもらっているケースです。学生から直接申し出られるケースは稀で 健康管理室(学校の保健室)などと内々に連携する場合の方が多いわけですが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この絵本、摂食障害の体験がある作者が自らの体験をベースに書いたお話しです。お母さんやお友だちに嫌われたくなくて、自分の気持ちをだれもがもっている心の中にある水色の小ビンに閉じ込める…。そして…。

人間もしょせんは動物 意識(自覚)でき自らコントロールできる領域は全体のほんの僅かで 大部分は意識や自覚の及ばない無意識(無自覚)の領域に支配されているのでしょう。だから 良いことも悪いことも 自覚のないまま無意識の領域に蓄積されてゆく。

そして 時間がたった後で 本当のダメージは 自らのコントロールが及ばない身体の部分や機能に なんらかの かたち となってあらわれるのでしょう。

この絵本の中で 学校でつらいことかなしいことがあった時に お話ししたい相談したい相手の家族がいない家に帰ることの 切なさ寂しさつらさが描写されています。

公的な小学生の学童保育は午後6時まで。しかし 最近 夜の8時9時まで子どもを預かる学童保育屋さんが出始めています。パンフレットに書かれるには 宿題のケアーや楽しい専門講師によるプログラムがいっぱい…。でもそこで 子どもの気持ちを家族にかわって引き受けることまで できるのでしょうか…。

札幌市では今年の10月から 保育所の待機児童対策の一環とて私立幼稚園での認可外保育所(幼稚園保育室)が始まり 認可保育所や一定の基準を満たした認可外保育施設より著しく安価な運営費でまかなわれる保育施設ができてしまいました。そして 幼稚園の預かり保育も保育所並みの開所をする条件で整合性を欠く運営費が補填される制度もはじまりました。

いずれも 保育の運営費が安価でもなんとかなる という悪例を既成事実化するもの。これは 長期的にみると私立幼稚園の経営を弱体化させるばかりでなく 保育士や幼稚園教諭の労働環境を不安定化させると同時に 専門職の雇用を流動化させてしまいます。

たぶん このまま進めば 行政も私立幼稚園関係者も 知らず知らずのうちに 保育の現場は蝕まれ弱体化してしまうでしょう。でも そうなっても誰も責任はとろうとしないだろうし 事実とることもできないものです。ただ その悪影響が行き着く先は 子どもたち。美晴幼稚園はこのような動きに 距離を保ちながら 子どもからの視点で状況の変化に対応して行きたいと考えます。

 

 

勤労感謝の日

今日は勤労感謝の日。

ちょっと変わった視点で考えてみたいと思います。

ドンリュウ園長が大学の学部を卒業して社会人になった年が1986年。いわゆる男女雇用機会均等法の施行元年。円高など経済状況で新卒者の就職状況に波はあったものの 日本は後のバブルに向かって上り坂(妄想)の時代です。

1999年に改正施行された同法で、求人を含む男女差別は撤廃に向かい職業名称も改められました。看護婦・保母➡看護師・保育士、スチュアーデス➡客室乗務員…。同時に夜間勤務についても特定の業種(医療、運送業など)以外の一般業種でも差別?は撤廃され女性の夜間労働(勤務)が当たり前になりました。その結果どうなったか…。

日本の2,100時間を超えていた年間実労働時間は 2010年実績で1,787時間に短縮されました。この数字は北欧・ヨーロッパよりは多い数字ですがアメリカを逆転しています。(これはOECDの国際比較調査なので様々なファクターをコントロールしている可能性がありますがある程度実態は反映しているといえるでしょう)

ここからの話は保育所関係者や保育所利用者の批判ではないことを明確に断っておきます。

一方で日本は1990年代以降、少子化の傾向が著しく進展したこともあいまって、子育て支援よりも就労支援策として保育所の量的拡大(施設定員数の拡大と開所時間の拡大)が進みました。当初から役所は「保育所の開所時間の延長は在所時間の長時間化とイコールではない。」と繰り返していましたが、結果どうなったかは言わずもがな でしょう。

保育所新設には多くの市町村で年間300日以上、一日10時間以上の開所が求められています。単純に計算すれば年間3,000時間以上の開所となります。

現行法でも日本の年間労働時間は変形労働を採用しても最長でも2,100時間を下回ります。

保育所が親の就労時間より長時間にならざるを得ないのは親の送迎時間があるからという理屈は詭弁ではないでしょう。しかし、その理屈はワークシェアリングの進展を阻害しかねないでしょう。

ドイツでは社会が早朝(6時、7時)から機能しはじめます。保育所や幼稚園も早朝から受け入れ朝食を提供する場合もあるほどです。しかし ドイツに限らず北欧やヨーロッパの国々はワークシェアリングと働き方が家庭中心に組織されていて 両親のどちらか あるいは家族の誰かかが午後には子どもを迎えにきて 家族で夕食を囲み団らんし 夜の8時には公共放送民放ともにテレビに共通のキャラクターが登場し「良い子の時間はおしまいです」というお知らせが流れるのだそうです。

一方 日本では今でも小学生以下の子役のテレビ等の出演時間は午後8時まで可能です。(人気子役が夜8時で画面に出なくなりましたよね)収録番組もあるでしょうが 8時まで仕事をした子どもが自宅に帰り就寝できるのは何時なのでしょう…。

いやみ ではなく 日本は子どもに対して間違った勤労感謝をしつづけている国なのかも知れません。

 

巻き戻し

今日は入園願書受付開始日。いつもより早く幼稚園に来ました。

昨日のブログを読み返していて ちょっと気になりました。

iPS細胞の発見につながった実験の発想は 子ども時代の砂場や色水あそびと同じ地平線上にあるけれど、これは子どもが自らあそぶプロセスを経験しなければ あの発想着想はうまれてこない…。

というのは 最初から少しの絵具と程良い水の調合を教える という行き過ぎた?指導では まずごちゃごちゃに混ぜてしまって真っ黒になる状況を体験できない ということ。でも こんなふうに何でも先取りしてしまう幼稚園や保育園や学校は増えていないかな…。

組み立てが大好きな子どもは まずモノを壊すことから始めます。つまり 巻き戻しの発想。

そういえば 昨日ちょっとだけ参加した市立幼稚園の公開保育でお会いした月寒小学校の校長先生から「130周年記念式典の時のホームページのコメント 子どもからの視点で書かれていて嬉しかったです…」とお声を掛けていただいたので 先程 読み返しました。(10月5日付)

そうしたら 5年後の自分への手紙のこと思いだしました。5年後の自分への手紙をボックスにしまって 1年生が6年生になった時に責任をもって皆の分投函するんですって。きっと5年後思いがけず 5年前の自分が 5年後つまり今の自分にあてた手紙を受け取るわけですね。(本当に素敵な企画です)

その時 どんな思いがよぎるのか…。これも巻き戻しの発想ですね。

あざやかな振る舞い

昨日 入園願書受付前としては最後の保育説明会を終えて 今日午前中の会議に間に合わせるべく 飛行機と電車で移動しました。

日曜の夕方だったので 地下鉄の車内は混み合うほどではないものの 長椅子の座席はうまっていました。駅で数人のお客さんが入れ替わり電車が発車しはじめたその時 長椅子の真ん中あたりにお母さんと二人で座っていた高校生ぐらいの女性がスッと立ち上がったかと思うと 目の前に進んできたお年寄りに とても自然に席を譲りました。譲られた女性も素直?にお礼をして腰をかけました。

その一連の振る舞いが 二人ともとても爽やかで本当に素敵でした。

そして二駅ほど進んで向かいの座席が空いた時 譲られた女性は高校生に再度お礼をのべられてから あいた座席に移動されました。

席を譲った高校生は 制服のスカートを短くして 耳にはピアス?…。どこにでもいる女の子でしたが まなざしや話し方は落ち着いていて好感が持てました。

飛行機や電車の乗り降りで 年代を問わずマナーを守れない人たちに辟易とすることが少なくないだけ そのような振る舞いはとてもあざやかに目にうつります…。

日曜日 説明会に来てくださった保護者のみなさんも とても真摯に説明を聴いてくださりうれしかったです。気持ちのいい日曜日でした。