あたりまえの社会… と 美晴幼稚園

リオデジャネイロのパラリンピック競技大会が閉幕しました。オリンピックと遜色ないほど地上波でのテレビ中継があり メダルの獲得数以上に 私には大きな変化を感じる大会でした。

52年前 1964(昭和39)年の東京オリンピックの際にもパラリンピックの競技大会が開催されていたことは 最近まで報道などマスコミで伝えられることはあまりなかったと思います。(今でも開催されたこと自体知らない人も多いでしょう…)

その東京パラリンピック競技大会の選手団長を務めた中村 裕(ゆたか)医師は 当時の日本と外国の障害者スポーツ競技者が置かれている環境と生活の違いに愕然としたと伝えられています。(実はそう言う私も 現在 構成員として参加させていただいている内閣官房の2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて国が進めるユニバーサルデザイン会議の第1回会議の際に知らされました)

中村医師は パラリンピックが終わった後 外国の選手が銀座などの繁華街でショッピングや休暇を楽しみ 自国に戻っても仕事があり納税者として生き生きと生活することが保証されているのに対して 日本の選手は 大会後 施設に戻り社会とは一定距離がおかれた生活環境の中で過ごさざるを得ない実態を目の当たりにします。

中村医師はその後 日本の事実に毅然と立ち向かい 障害者スポーツの振興と 医師の立場で障害者の社会参加と社会変革に心血を注がれました。

この50年で日本はどれだけ変化できたでしょうか。社会インフラの整備といったハード面でも 社会全体の意識(心のバリアフリー)といった面でも 諸外国の進展についてゆけず その差が広がっているのが実態といえるでしょう。

国の会議では様々な障害者団体から 社会変革においては学校教育の重要性が指摘され その期待が述べられる一方 必ず 幼児教育・保育と高等教育(大学・大学院)の制度や現状 そして現場の意識の遅れが厳しく指摘されます。

事実 日本の幼稚園・保育所 大学での受け入れ段階からの不当な差別的対応は従前から変化の兆しさえみえず 今なお 教育の機会さえ平等に得られない現状にあります。

加えて 入園(所)・入学後も合理的配慮といった必要な配慮や支援を受けることばかりでなく 他の関係者から理解を得られず肩身の狭い思いを強いられる現実も否めません…。

ノーマライゼイションを実現するには当然大きな社会的コストがかかります。それは財政的なコストばかりでなく 互いに認め合い 互恵の関係を豊かにする 目に見えないコストもかかります。(だから あたりまえのはずの保育がひろまらないのだろうか…)

美晴幼稚園は在園児の30%がなんらかの支援を要する子どもたちです。これまでもこれからも 美晴の保育理念と保育形態を理解して美晴での保育を希望する子どもと保護者は 園の判断ではなく当事者の判断で就園が可能な幼稚園であり続けます。

一人一人の発達の在りようが際立つ多様な子どもたちで織り成される保育は カオスモスの運動体です。

つまり 多様さと未熟さゆえの混沌さと 赤ちゃんから備わっている自然の一部としての生得的秩序とが絶え間なく絡み合いながら 互いに刺激し影響しあいながら成長・発達の道程を進む保育…。(ん〜難しい!)

美晴の保育は完成形があるというか 正解or不正解(◯✖️)ではかれる保育 ではありません。絶え間なく 子どもと子どもの集団の変化(変容)を理解し その事実に即しながら試行錯誤しながら”最適解(よりよい状態)”を求め続ける保育です。

だから 保育者も保護者も その時々では これでいいのだろうか? 間違っていないのか? と不安や心配がつきまとうし 揺らぐ…。

美晴の保育は 長い時間を要して 子どもがじっくりしっかり育つ保育。並大抵の覚悟では続けられないし 保育者には高い使命感と倫理観が求められる…。

そんな美晴幼稚園に入園を希望してくださる子どもと保護者が今年もたくさんいらっしゃいます。もしかすると 希望されるすべての子どもと保護者に入園していただくことが かなわないかも知れません。

今月末を目途に 募集人員枠を最終的に決定しなくてはならないのは 悩ましいかぎりです…。

【園長 東 重満】