3月2016

お支えいただいてこその美晴

30日 美晴の家保育園の竣工式の神事(豊平神社の三橋宮司様)とささやかなお祝いを美晴の家保育園のスタッフと設計施工いただきましたケント・ハウス株式会社の皆様にご臨席いただき終えることができました。

美晴幼稚園の保育は 地域の皆様 卒園生をはじめそのご家族などのご縁のある皆様 保育者養成課程の大学や小学校の先生方 そして 多様な子どもが織りなす保育に共感と理解を寄せてくださる保護者・ご家族の皆様方に支えられてはじめて実現しています。

この4月1日から保育がはじまる美晴の家保育園の立ちあげも 美晴幼稚園同様 多くの皆様のお気持ちとお力に支えられています。

何より記しておかなくてはいけないのは 10月に札幌市の子ども未来局をたずね地域型保育事業小規模保育事業を自主事業で保育施設を独自に新築して行う計画を打診したところ「最大のハードルは短い工期で設計施工を担える建築業者があるか否か…ですね」と最重要課題を示されました。その足でケント・ハウス株式会社様へ出向き社長と工事担当役員のお二人に工事の可能性をうかがったところ 二つ返事で「厳しい日程ですが かならず期限までに竣工させます」と快諾していただきました。この時のご英断がなければ 美晴の家保育園は存在していないといえます。

他のお客様の仕事が集中する時期にもかかわらず 設計から施工まで通常の「三倍速」のスピードで工事を進めていただきました。施主側の事情で限られた工期になっていたにもかかわらず 化学物質の測定でも国の指針値を下回っている状態を確認し 予定通り明日(4月1日)の開設が実現しました。

現在の保育制度と労働環境では 保育園の在所時間が長くなることは避けられません。だからこそ 子どもの成育環境を考えて 少しでも「お家」に近い環境で保育したい 施設のデザインと環境は住宅の中でもクオリティーが高いものでなくてはいけない と考え設計施工の実施者を選定しました。(ガリバーの設計者の小西氏とは両者の円熟期に次の仕事をしようと約束しています)

その他 保育士の求人に際しても 古くからのご縁をつないでくださった多くの皆様のかげのお力が大きかったのです。

明日からは 保育実践において 私たちが建物に魂と息吹をふきこみ 美晴幼稚園と共に 次の時代の美晴の保育をかたちづくってゆきたいと思います。本当にありがとうございました。

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第52回卒園式・修了式

昨日の春分の日 美晴幼稚園第52回卒園式・修了式を終え 2015年度の正課の保育を終えました。

美晴の保育は多様な子どもによって織りなされる生活(あそび)による保育なので 子どもの従順性につけこんだり 大人の思惑通りに子どもをあやつることはできません。

家庭と手をたずさえながら歩調と呼吸をあわせ 共に一日一日を大切におくることでしか 前に進む事がかないません。

その保育を省みれば 保育者としての自分たちの至らなさ力不足にこころが痛みます。しかし 保育者全員が子どものありのままを受けとめ理解し 一人一人の「いま」「ここ」に寄り添いながら一日一日を紡いできたことは確かです。

美晴では小学一年生になったら困らない様に ではなく 子どもが その生涯にわたって自分らしく輝き幸福感の中で生きてゆくための種をまく気持ちで保育してまいりました。

その花を咲かせる「時」は 皆それぞれ でしょう。私たちは その時まで いえ その後もず〜っと遠くから 皆さんを応援しています。

いつか また どこかであおうね。

【園長 東 重満】

「えんちょう どんまい」

今日18日が今年度の実質的な保育最終日でした。明後日は卒園式・修了式の日となります。

しかし 札幌市内の小学校は今日が卒業式。私の3人の娘たちが切れ目無く11年間通った小学校で末の子どもが卒業式を迎え そちらに臨席させていただきました。一学年2学級(6年生は1学級)のこじんまりとした学校ですが 1年生から全校児童が参加して 気持ちが通った そして ずばらしいハーモニーの歌声と一人一人の声が体育館全体に響き渡る すばらしい卒業式でした。 幼稚園は午後から出ました。

そんなこともあり 今日は 昨日とてもこころに残ったエピソードをご紹介します。

いつもながら あたふたと仕事をしていて一区切りついたので フーと息をついていたら ふと 職員室に誰かが入ってきたという気配を感じて 手元のキーボードから視線をあげた瞬間 「えんちょう どんまい!」と 年長の女の子が奔放な表情でニッコリ微笑みながら言ってすぐに部屋を出て行きました。

その時は少し沈んだ気持ちになっていたこともあって まさに不意をつかれました。

しかし 次の瞬間 少しこわばった感じのこころとからだが スッと楽になりました。

「◯◯ドンマイ」という言い回しは アニメかなにかのセリフなのかも知れません。でも 「えんちょうどんまい」というそのときの語り口は 自分にとって絶妙なタイミングの一言でした。

おおげさだけれど きっと昨日の光景は一生忘れないと思う。

もし偶然でなければ 子どもの洞察力って見事の一言につきます。

クロネコヤマトさんの交通安全教室

今日は宅急便のクロネコヤマトさんの皆さんが美晴幼稚園に来てくださって 交通安全教室を開いてくださいました。

たくさんのスタッフの皆さんが準備から携わってくださいました。寸劇を交え具体的に分かりやすく伝えてくださいました。

あそんでいたボールがトラックの下に入っていまったらどうする?という場面での質問では 「おとなのひとにとってもらう」「うんてんしゅさんにとってもらう」「おかあさんにとってもらう」など 適切なこたえを述べていました。

ちょうど雪解けが進み屋外での生活やあそぶ機会が多くなり 車の往来も多くなってスポードも増してきたこの時期に タイミングよく交通安全の知識と意識をたかめることができましたね。

クロネコヤマトのみなさんありがとうございました。

ちなみにスタッフの一人の水橋さんは すみれ組みのとうやくんのおじさんでした。

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あそびをせんとやうまれけん

平安末期の歌謡集 「梁塵秘抄」(りんじょうひしょう) のひとつ 「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。」

16日は今年度最終のちゅーりっぷの活動でした。

子どもたちは高ぶった様子がありましたが じっくり保育者が準備した環境と素材であそびを存分に展開していました。そのようすは 先の歌そのものでした。

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やっとバスに乗れました

子どもたちとも約束していた送迎バスの添乗が 昨日・今日でやっとかないました。

昨日は赤・青バス 今日は緑・黄バス…。短い時間だったけれど 子どもたちといろんな話しができました。バスに乗る度に感じることですが 子どもたち自身の経験がいかされていることばの豊かさと その成長の確かさには目をみはります。

今日 なぜか金魚が食べるエサの話しになって かつて鯉にエサを与えた思い出を話しながら 幼稚園の金魚にもエサをあげてみたくなった年長の女の子がいました。

バスが幼稚園に着くと運転手の田中さんが気を利かせて 朝ご飯をすませた金魚たちに少しだけエサをあげることをさせてくださいました。

毎日の通園バスのなかでのお友だちや保育者とのやりとり 徒歩通園途中の保護者とのやりとりも子どもの成長に大きな意味があると思います。

あと数日となりましたが そんな時間も大事にしたいですね

子どもの本当の良さを引き出す指導・支援って

今日は卒園式・修了式に向けて全体を通しての総練習をおこないました。卒園式で役割のあるPTAの役員のお母さん方にも当日とおなじ動きを確認していただきました。

美晴では毎年 「春分の日に全園児で卒園と修了をみんなでお祝い」しています。その事の意味を 残念ですが若い保育者は十分理解してはいないようで 的確な指導や支援がなされているとは言えない様子があります。

大人が強制的に式典行事らしい状況に子どもたちを追い込むことは 実はそう難しいことではありません。そうではなくて 互いの成長を認め合い喜び合うという場をいかにして子どもたちを主人公に実感をともないながら織りなしてゆくか…。

カギになるのは子どもたちとの「対話」です。一方向での指導や支援ではなく いかにして不安や戸惑いも含めて子どもの思いをうけとめながら気持ちを一にする一体感を醸し出してゆくか…。まさに 保育者の力量が問われます。

保育者のこころの準備や思い入れはまだまだだけれど 子どもたちのなかには すでに卒園式 修了式の意味を感じ取り程よい緊張感が宿っています。厳しい言い方だけれども 保育者の方が気後れしています。

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3月11日

この日のことは 一日過ぎてから書きたいと思いました。

昨日 朝洗面所で 「3月11日はめっちゃ出張あるんだね…」と高校2年の娘に言われドキッとしました。

5年前の3月11日も前日から全日本私立幼稚園連合会の会議があって東京に出張しており その会議の閉会の挨拶の最中にあの地震がおきました。その後 都市機能が完全にマヒした東京は異様な光景が翌朝までつづき私も帰宅困難者の一人となっていました。

日が変わってから地下鉄が順次運行を再開したので 羽田空港に近づくために まず地下鉄で有楽町まで移動して 大勢の人が待機していた東京フォーラムの屋内の片隅で時間を過ごし 思い切って屋外に出てタクシーを探し回り やっとの思いで明け方の5時ころにターミナルビルに人があふれかえる羽田空港にたどりつきました。

運良く運行を再開した千歳空港行きの飛行機に乗ることができ12日には帰宅することができました。

しかし その間 連絡がとれない状態が続いたので 家族には大きな心配や不安があったのでしょう。当時 小学校の卒業式をひかえていた冒頭の娘の言葉にそのことがあらわれているように感じました。

当時 私は公益社団法人全日本私立幼稚園幼児教育研究機構の研究研修委員長をしていたので会議や文部科学省の委託研究などの打ち合わせで毎週のように東京に出かけていました。あの時も三日後の月曜日には完全に海水がひいていない三陸や宮城の海岸線を上空から確認し 福島第一原発の真上を南下して(その後航路は西側に移動しましたが)東京に行きました。

その後 一年ほどの東京は電車の車内の電気は消され コンビニエンスストアーを含め商業施設や公の施設も薄暗い中で営業や仕事をしている いまでは想像することが難しいほどに異常な状態がつづきその光景は異様でした。

ここ数日で東北三県のことは伝えられますが あの時は東日本全体が確かに被災地であった事実はどこにいってしまったのでしょう…。教訓とし語り継ぐべきことはたくさんあると思うのですが…。いま 東京に行っても当時の痕跡をみつけることは難しいです。(震災でまがっていた東京タワーの頂上部のアンテナも綺麗に修復されたし…)

その後 文科省の委託研究調査や記録映画の撮影などのために 被災三県 とくに津波による被害が甚大な地域を現地調査させていただく機会を得ました。そのことは 文科省の調査報告や記録映画の完成というかたちにはなっていますが あまりに重たい事実に向き合ってきたので 私の中では未だに十分に消化されていません。自分のことばであらわすことができるのが いつになるのかまだ私自身わからずにいます。

ただ 現地の保育者の 震災時・震災後の在りようや言動に 大きな衝撃と人間としての共感と深い学びを得たことは間違いありません。そのことは 日々の保育の中で大切にいかしてゆきたいと思います。

【園長 東 重満】

 

ごめんなさい

今日はお別れ会がありました。歌やお話で一年間をふり返ったあと年少・中のお友だちから年長青バッチのお友だちへ お別れのことばやこころをこめて作ったフォトプレートのプレゼントがわたされました。

そして お別れ会担当のお母さん方がイントロ当てクイズをしてくださって 発表会の先生方の出し物やメイキングビデオも観ました。

そして ホールで全員が集って給食とおやつでの楽しい会食をしました。

でもドンリュウ園長は一緒に過ごすことがかないませんでした。ゴメンなさい。

文部科学省で来年の2月頃を目途に策定作業が進められている「幼稚園、小・中・高等学校等における発達障害の可能性のある幼児児童生徒等に対する支援体制整備ガイドライン(仮称)」の策定の関する検討会議に出席するため出かけていました。

普通であれば会議を欠席してお別れ会に参加するのですが ガイドラインの試案を決定する最終回の会議だったので 出かけることになってしまいました。

きっと 楽しい会だったことと思います。お別れ会担当のお母様方 ありがとうございました。!!

これから飛行機に乗って札幌に帰ります。

自画像

美晴幼稚園では卒園制作で等身大の自画像を描き コップ(湯のみ)を陶芸で制作します。

等身大の自画像は まず大きな紙に横たわり先生に自分の身体の輪郭を描き写してもらいます

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そして 自分の大きさを実感しながら自分らしく水彩絵の具をのせます。

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今週 卒園アルバムに残す写真を撮影しました。

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この写真 卒園式でお渡しするアルバムにはさめておきますね。