お泊まり会の保育者としてのふり返り

今回のドンリュウ園長のつぶやきは長いので…

今回のお泊まり会は欠席の子どもを含めて全員で一晩過ごす事できなかったけれど 幼稚園のお泊まり会としては全体を通して良い会だったことを前置きして本音のひとり言をだらだらと書きたいと思います。

と言うのも 前に何かで触れたと思いますが この夏 教員免許状更新講習を 京都 北海道 石川で担当させていただき 北海道の保育者のあそびを構想し実現するための指導計画の内容の乏しさを目の当たりにしたことに強い懸念を覚えています。そして今日 先週担当した石川の講習の試験答案の採点をしていて 他府県(両県とも日本の保育先進地ではありますが…)の保育者が 日常の生活の中で備えられた「常識」という基盤の上に 日々の保育のふり返りと気づきを通して保育者としての力量を充実させ そのことが子どもをはぐくむ保育の充実につながっていることを痛感したからです。

そこで 美晴の保育者の実態を省みたとき 大きな反省をもち課題として今日から向き合わなければならないと強く思っています。

例えば 昨日までのお泊まり会の中でも いくつも課題がみえてきます。

美晴は予めきめられた型にはめ込むのではなく 子どもと保育者の実態やその時々の実態に即してかたちづくる可塑性のある保育をモットーにしています。今回(実は昨年度も)保護者へのお便りでは2日目の起床時刻が実際は6:00なのに6:45と読める記載内容でした。保護者にとっては 夕食時刻 就寝時刻 起床時刻は生活リズムに直結する時間なのでとりわけ知っておきたい情報です。このような事が起きたのは 保護者説明会の段階では計画が十分ではなく”今年の”お泊まり会を一からつくりあげていなかったからです。

つまり お泊まり会を年長のこの時期に行う意味や意図(保育者としてのねらい)をきちんと保育者間で確認し同じ方向をむいて準備や具体の保育を進めていなかったことになります。

その 象徴的な様子は次の写真です。

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私はこの様子をみて ゾッとしました。「保育者に子どもが埋もれてる…」今年は現在入っている教育実習生が3名とも意欲的で宿泊希望(宿泊実習は毎年学生の意向にあわせて任意で行っています)であったこともあり保育者が多すぎます。

このことにだれも気づかず進めようとしていたので 私は年長の担当以外は輪から外れるように指示しました。

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それは お泊まり会は おとうさんおかあさんが一緒でなくても ”お友だちと一緒だから”一晩を越せる体験をすることで 自立心を高め成長の契機とすることに意味があるからです。そう 子どもにとって「ぼくたち わたしたちのおとまりかい」なのです。だから保育者が身近にいなくても2枚目以降の写真をみてわかるように 子ども全員が一体感をもってゲームを存分に楽しむことができていました。

もっと言えば これまで集団(とりわけ同学年の)にはいることを苦手にしていた子どもたちが ここにきて一緒に過ごす時間が長くなりかかわりも豊かになっていたので 幼稚園の生活や活動を考えてもこのお泊まり会を通して子どもが”自分たちの力で乗り越えた感”をもってほしかった。その様な配慮や具体の状況を保育者がチムワークでつくりだすことに期待していたのですが…。

その後 入眠(寝付き)の時間も教育実習生がいたので 子どもの気が散ったり変な依存がない様に 2階の絵本と積み木の部屋(保育者の仮眠室)に行って 実習日誌の記述など実習生の仕事をするように指示しました。

消灯し就寝すると ほどんどの子どもが順調に眠りにつきひとりの子が少し興奮する様子もありましたが 10時すぎには全体は落ち着きました。そこから2時間程が保育者にとっては大切な時間ですが 実習生への指示もなく 子どもに付き添っている保育者以外の緊張感はリラックスの度を超えて緩んでいました。

そのあらわれに 男性の実習生が混じっていたのに 保育者の仮眠室での仕事?がいつまでも終える事ができず 男性の実習生や他の保育者がトイレで着替えをはじめて 朝方の付き添いの保育者が仮眠すべき時間帯になっても 保育者にも実習生には動きがみられませんでした。(ドンリュウが学生の頃であれば この様な状態は”常識”を逸していて同世代の仲間からも奇異にみられたのですが 今はサークル合宿などでは当たり前のことなのでしょう…学生は責められませんが その様な時間帯や状況になっても同じ部屋に異性がいることに違和感や不快感を感じる保育者や学生がいるかも知れないと感じてほしいなぁ…)

その時間 断続的に夜食などの飲食をしながらリラックスしていたのでしょう(メリハリのある休憩や一日目のふり返りは充実させずに…実はホールにもれ伝わる声や物音 カーテンに映るシルエットでドンリュウにはわかっていました)。気をつかってか 中川先生が夜食とお茶をホールに持って降りてきましたが「ここで食べられないだろう…自分が必要なものは持ってきているから…」と断りました。

その後 11時を過ぎても 保育者にも実習生にも変化はなかったので しびれをきらして 私から教頭の中川先生に 間接的に気づいてほしくて「実習生はせっかく宿泊しているのだからこの時間帯でなければ経験できない子どもの就寝の見守りを実習させて12時には就寝させるように」指示しました。それでも男子学生は最後にホールに降りてきて見守りをした後 再度 仮眠室に自分の荷物をとりに戻るといった行動…。本来であれば 指導担当が子どもと他の職員への配慮をして 子どもが一旦落ち着いたタイミングで学生を就寝場所であるホールに移動させて その場で就寝の見守りを実習させて就寝時準備をし就寝するように指示すべきでしたが…。

私は 美晴幼稚園の園長として どんなに緊張や不安が強い子どもでも2時間あれば(2時間かかっても必ず)入眠できることは経験知として持っています。そして 完全に就寝する12時までの3時間が 大切な子どもを家庭からお預かりして一晩過ごす保育の中でのいわばクライマックスなのです。

お泊まり会は 子どもと直接かかわる保育者と 裏方の保育者のチームワークが大切です。裏方の仕事をしている最中でも いまの子どもの様子に思いを寄せ いつでも対応できるように準備することも大切です。

その時間 教頭は責任を感じていたのか継続的に子どもたちを見守って具体に対応していましたが その時間の担当以外の保育者は他の仕事はそれなりにしていたかも知れませんが 子どもたちの”いま”に気持ちは向いていなかったと思います。

大きなアクシデントもなく過ぎた一夜だったので 起床前に行うべき保育者間での就寝中の子どもたちの様子の情報交換も怠っていました。

美晴の保育者は特別な存在です。いえ 特別な心持ちとあたりまえの人間性(北陸の保育者のように常識を備え毎日の保育の実態に気づきとふり返りをもてる)がなければ 多様な子どもたちと織りなす保育は担えません。

美晴の保育者は 子どもと子どもの周辺でおきている現象を敏感に感じとり 子どもに寄り添い良き理解者となることで紡ぎだされる言動が身についていなければ 日常の保育もままなりません。(閉じられた問いの連続「◯◯してよかったかな?(保)」「ダメ〜(全員の子)「ダメだよね〜(保)」「だから絶対◯◯はしないようにね!(保)「はい!(全員の子)」…で子どもを統制する様な一見子どもが落ち着いているようにみえる保育ではなく 一人一人がいかされる保育なので…)

石川の免許更新の試験中 夏ならではの砂場あそび といった 保育者の統制的でない保育場面の指導計画案を答案としてまとめる時 多くの受講者が 中空にまなざしをやったり 机上で両手を動かしながら まさに子どもが目の前に居て いっしょにあそびを構想しているようにみえました。そして 今日 採点した解答もそのことがヒシヒシと伝わる見事の一語に尽きる(というより憧れる)構想ばかりでした。

受講された保育者の約半分が認定こども園を含めた保育士(保育教諭)で 0歳からの指導案もありましたが 一日の保育場面ばかりではなく3回継続する保育の最終回を想定したものや 翌日の保育へのつながりも明確に意識し指導案に記述されていたもの 子どものへの配慮事項や片付けばかりでなく保育者の評価や反省をカテゴリー分けした記述欄まで用意されたものなどあり 同じ100点でも北海道をベースとすると数十点加点しなければならない素晴らしい解答も少なくありませんでした。

ドンリュウ園長は 自分の幼稚園の保育改善に取組む若手園長に「美晴幼稚園は東先生が理想とする保育を100とするとどれくらいですか?」と尋ねられることがあります。その時は「毎年最善をつくしているけれど 山登りに例えれば4合目にさしかかった感じかな…」と答えます。

それは 理想の保育のかたちは雲間から垣間みることができ そこに向かって着実に歩みを進めている実感もあります。でも頂きは はるか先にあり 近づくとかたちが変わってみえるかも知れないからです。それから 美晴の保育は優劣という意味ではなく いくら条件が整っていても他ではマネのできない特別は保育でもあるからてす。

そして 挑戦的な登山は一人ではできません。いま 美晴に勤務する保育者には 一緒に登山する同僚であってほしいと願います。(美晴の保育者には 石川の保育者のような 子ども(現場)ありきで ”心ある” 保育者を目標にしてほしい…。)

登山しながら力をつけてゆく。ふり返りと気づきは過去へ遡りする後ろ向きのものでなはく 前へ進む一歩(子どもの未来と希望)につなげるためのものとして…。

子どもの成長・発達につながる登山はしんどいけれど楽しいです。

そうそう ドンリュウや若い保育者が使うと浮ついて感じるけれど 石川の保育者が記述式の問題の答案に”保育は愛だ”とか”愛情をもって子どもにかかわる”というような意味を具体的に表す表現が多かったことも印象的でした。

ここに書いたことは マニュアルとか 正解か不正解で解く問題の類いではありません。子どもにとって 保育にとっての ”最適解”は何かを 絶え間なく同僚間で(あるいは自らに)問い続ける営みが私たち保育者の仕事であり 在り様だということです。

このことをお泊まり会から答案の採点を通して 痛切に深く学びました。