3月2017

平成28(2016)年度が終わりました

幼稚園の卒園式・修了式がおわりなんとなく物悲し日が続いていました。

最終の保育日には この一年のメインキャラクター?だった サボテンとティラちゃんが玄関を飾り 離任する職員が揃って出勤できる最終日まで 預かり保育で保育者の個性が輝く美晴らしい保育に取り組んでいたり 美晴の家保育園では一期生のきりん組さんの卒園に際し有志の保護者がお別れ会をカフェで開いてくださったり…。

そして 今日(31日)は ドンリュウが行ったり来たりアタフタしながら必死に年度替りの仕事をしているにもかかわらず カタツムリが卵を産んでいる瞬間を動画で撮影できた と嬉々として知らせに来る どんなに忙しくても美晴幼稚園の保育者らしい様子に癒されたり…。

そうしている間に年度末日が終わりました。

真面目なふり返りはこの週末に かかせていただこうか と思っています。

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最後までありがとう

昨日(27日)で今年度で退職する保育者の出勤が終わりました。

卒園式・修了式後も 預かり保育や わざわざ 顔を見に来る子どもやお母さんがたがいましたね。

退職した職員は それぞれ違ったタイプで 美晴幼稚園にとってはかけがえのない保育者でした。

さみしいですが 新しい仕事と生活が充実して幸せであるように 卒園生や転園した子どもたちと同じく 遠くから応援します。

そういえば 夕方 速達郵便を投函しに郵便局に行ったら 少し前に幼稚園でお見送りしたお引越しで転園する子どもとお母さんに 駐車場でバッタリ(お友だちはチャイルドシートで熟睡だったけれど)…。縁やつながりって不思議ですね。

年度末の仕事や研究 引き継ぎの仕事をやり遂げた先生方 ありがとう!

 

第53回卒園式・修了式

今日は快晴のもと 第53回卒園式・修了式を挙行しました。

ここ2週間インフルエンザが蔓延していたので 皆が式に参加できるか心配でしたが 今年の年長児は皆強運の持ち主なのか 全員参加で当日を迎えることができました。

今年は例年になく練習などに取組む機会は少なかったと思いますが それぞれ過ごしてきた幼稚園生活での経験が 今日の姿にしっかりといかされていて立派でした。

そして お見送りする年中黄色バッチ 年少ピンクバッチのおともだちも同じ様に卒園式に取組む機会は少なかったけれど 心がこもった真剣な態度がみられて立派でした。

みなさん ご卒園 修了おめでとうございます。

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つながり

今日は通常の保育最終日でした。この3月末でお引越しで転園するお友だちが朝のホール集会でみんなにあいさつしました。(お休みした友だちも多かったのでけれど…)

そして 小学校が卒業式でした。2組の親子が幼稚園にスーツ姿であいさつに来てくださいました。

思いのつながりってうれしいですね。いつまでもいつまでも大切にします!!

ドンリュウ園長は 月寒小学校の卒業証書授与式に列席させていただき午後は北海道大学の研究会で美晴幼稚園の保育の今後に示唆をうけてきました。不在にしていて本当にごめんなさい。

その様子 ポートフォリオを添付しますね。

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いよいよ 残すは春分の日の卒園式・修了式のみとなりました…。

あと2日−2

玄関に掲示している きょうのいちまい のポートフォリオには2つの話題が…。

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ひとつは カタツムリの卵がかえっていたこと。(まだ一匹だけだけれど) とってもとっても小さな でも カタツムリのかたちをした赤ちゃんが虫かごの壁面にはりついているのを 子どもが発見して 伝え聞いたお友だちもびっくり。でも嬉しかったね!

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卵を発見してから 先生方と子どもたちがいろいろ調べてみると 孵化する予定日は3月14日だったはず。そういえば おととい 年中黄バッチのお友だちが シゲシゲと卵たちを観ながら「なんか いろがかわったたまごがあるよ!」って言ってたっけ…。

子どもの観察力はすごいね。

それから もう一つの話題は 年長青バッチの子どもは今日がお母さん お父さんがつくったお弁当の最終日。子ども以上にお母さん方が特別な思いだったかも知れませんね。

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美味しいお弁当ありがとう!!

あと2日

通常の保育は今日を入れてあと2日。子どもたちは作品のバインダーを整理したり 卒園式の練習に取組んだり…。

そんな中で園長として大きく心が動いたのは 卒園アルバム係さんのお手伝いに学年をこえて多くのお母さん方が助っ人に来てくださったことです。そして 明日も可能なお母さんは早めに幼稚園に来られて作業をするとのことです。本当に頭が下がります。

アルバムの納品が製造業者さんの都合で遅れたこともあり 例年より短期間で仕上げなくてはならなくなった上に 先週からの美晴幼稚園でのインフルエンザの蔓延…。

そんな悪条件が重なってもあきらめる事なく なんとかされるお母さん方のパワーに私たち職員はしっかり見習わなければいけませんね!(あたりまえのことではありませんから)

そして 心から深く感謝します。

園長 東 重満

中学校の卒業式

今日は わけあって月寒中学校の卒業証書授与式に列席させていただきました。

月寒中学校はドンリュウの母校ですが 卒業以来はじめて校舎の中に入りました。式の冒頭 校歌を斉唱しますが なぜか2番の歌詞だけ忘れていて式次第を見なければ歌えませんでした。

ドンリュウが通っていた当時から全校合唱コンクールがありましたが 今なお学校行事の中でも重く位置づけられているようで 校長先生の式辞の中でも 生徒の言葉の中でも頻繁に語られていました。

卒業式の中での合唱も見事で 学校の文化として継承されていることがうかがえて嬉しかったです。(当時ドンリュウは体育会系で 音楽はからっきしでしたが なぜか合唱コンクールでは指揮をとっていたので…)

卒園生の姿もみることができました。9年の歳月はこんなにも人を成長させるのだという現実に思うところがありました。

中学生の皆さん そして ご家族の方々 ご卒業おめでとうございます!!

園長 東 重満

 

インフルエンザ

先週 毎日15名程インフルエンザに罹患してお休みしていましたが 今週にはいり終息することなく20名を超える園児がインフルエンザでお休みしています。

先週の金曜日に今週月曜日からの臨時休園を検討しましたが 園長の判断で昨日から通常保育としました。

昨日は今年度最終の英語あそびがあり 澤本はるみ先生とご挨拶をして終えました。年長青バッチの子どもの中には3年間いっしょにあそんだお友だちもいたね。

今日は卒園式の総練習をしました。全体を通しての取組みは初めてでしたが とまどうところはありながらも 卒園 進級への意識をもって式にのぞんでいる姿が印象的でした。

インフルエンザは金曜日までに終息することはむずかしそうですが 卒園式 修了式では皆が顔を揃えて参加できるといいのですが。

お別れ会

10日はお別れ会がありました。

一年を振り返ってお歌をうたって お別れ会かかりのお母さん方のシルエットクイズ(先生方の小さな頃の写真も登場したよ)を楽しみました。

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この後 発表会のメーキンギビデオを観て 先生方からの出し物の大きな株の劇(運転手さん方も登場したね)を楽しみました。

その後 年中さんと年少さんのお友だちから ペンダントとことばのプレゼントがありましたね。

昼食はお母さん方にお手伝いただきながら みんなでホールでいただきました。

園長からおはなしした時 「青バッチさんやお引越しするお友だちとおわかれだね…」と言ったら 「せんせいともだよ…」と応えていたお友だちがいました。

子どもたちは この春に 誰とおわかれするのか きちんとわかっていて 気持ちも整えているのだと感じました。

3.11

直接 被災しているかいないかにかかわらず 被災し苦労されている方々 亡くなったり行方不明になられた方々やご遺族に 3.11の前後は どのようなかたちであったもしっかりと思いを寄せたいものです。

この春の卒園児がうまれたのは 平成22年4月2日〜平成23年4月1日。この子たちは 震災からの年月と同じだけ年齢を重ねることになります。

平成23年度は私にとっても 美晴幼稚園にとっても 大きな分岐点となった一年でした。

その一年間 私は美晴幼稚園の園長職を離れていました。さまざまな理由があったのですが 公財)全日本私立幼稚園幼児教育研究機構の仕事や 文部科学省の委託研究の責任者として震災後の調査研究を担っていたため被災地に調査に出向き 園を不在にすることが多く そのために子どもにも保護者にも そして職員にも十分なかかわりや対応がもてずに 不快な思いや不安な気持ちにさせていまう事が少なくありませんでした。「園長が幼稚園に居る意味」を深く考えさせられました。

あの一年間の経験を通して いかに 日常あたりまえにしていることが尊いことなのか。そのあたりまえのことに あまえていてはいけないということを 無意識のうちに身に染み込ませていて 自分自身の在り様もかわっていったのだと思います。

6年前の3月11日 私は東京にいました。私立幼稚園の各都道府県の代表者が集まる会議があり その終了間際にあの地震が発生しました。直後に通じた電話で幼稚園の様子は確認できましたが 震度5強の揺れで東京の都市機能はマヒしたため 電話やインターネットは通じなくなり その後は帰宅難民となって 翌朝 羽田空港にたどり着くまで 緊急地震情報が鳴り止まない携帯と季節はずれの寒さに凍えていたことは 今でも鮮明に覚えています。

その後 1年ほどの間 東京は公共施設やコンビニエンスストアー 電車や駅構内の照明は最小限の明るさまで消灯され異様な風景でした。

時間をかけ 被災三県の沿岸部へ現地調査に赴き 視察やインタビューを重ねるたびに 自分の中に重たいものが残り 今でも消化しきれずにいて 先ほども書きましたが 自分の有り様に何かしら影響し 保育における価値観や 職員への指導や助言につながっています。

明日 午後から研究機構の会議があるため 幼稚園のお別れ会は最後まで参加できませんが 3.11のことを子どもたちや職員に何らかのかたちで伝えたいと思っています。

追伸 このブログ 美晴の家保育園で書いているのですが 保育者がとなりの部屋で「3.11のこと0〜2歳の子どもたちと共有することは難しいけれど 私たちはそのことを心にとめて保育しようね」 と語り合っています…。

園長 東 重満