どんりゅう園長のひとり言

未来へ向けた旅−2

ドンリュウ園長は 土曜日の深夜 無事 スウェーデンからかえってきました。

今回 スウェーデンの首都ストックホルムから南西に鉄道で3時間ほど入った内陸の町 ヨンショービング市のヨンショービング大学とプレスクールを会場に開かれたカンファレンス(ミニ学会)には アメリカのニューヨーク市立大学ブルックリン校 オハイオ州立大学 カリフォルニア州立大学サンディエゴ校 ニュージーランド フィンランド スウェーデン そして 日本から発達心理学や幼児教育の研究者と実践者が参加しました。

 

 

 

 

 

 

スウェーデン全体が無数の湖が点在している国土ですが その中でも大きな湖に隣接するヨンショービングはとても美しい街です。

カンファレンスは大学の研究者の研究発表とプレスクール(日本の保育園と幼稚園が一体化した施設で現在は教育省が所管しています)の教師が実践研究の発表をする時間が均等のプログラムでした。加えてワークショップというスタジオでの全員参加の形式を交えたプログラムが展開されました。

大学のカンファレンスの後は必ず街のプレスクールに出かけて 保育環境を視察し教師の詳しい保育についての説明を受けました。

これから何度かに分けて このブログで報告します。

未来へ向けた旅

先週の金曜日の夕方 キリスト教会系の幼稚園保育園の園長先生や主任の先生と 新しい保育制度の勉強会をして 翌朝早くスウェーデンに向けて出発しました。途中 成田 フランクフルト(ドイツ)の空港で乗り継ぎ スウェーデンのストックホルムに着くまでちょうど24時間の旅程でした。

日曜日はヨンショービングという人口10万人弱の小さな町の大学と幼稚園で行われる小さな学会に参加するために ストックホルムから鉄道で約3時間かけて移動しました。

この学会は 北欧とアメリカ そして 日本の 幼児期のあそびを研究している研究者のネットワークが行うものです。2003年から共同研究をしてきた立教大学の石黒先生がその研究ネットワークのメンバーで 今回の学会参加は その石黒先生のお誘いを受けてのものです。

ヨンショービングには今日から3日間の滞在となりますが ホテルではなく 一般のアパートに宿泊します。

ローカルなスウェーデンの生活に触れながら 研究者と保育実践者の共同研究の報告を中心に多くの学びの機会にしたいと考えています。

ここまでの旅程で さっそくですが スウェーデンの皆さんの生活スタイルに示唆を受けています。どこでも子どもの姿をたくさん見かけるばかりでなく 家族はもとより周囲のあたたかなまなざしにみまもられながら 繁華街や駅の群衆の中でも 電車の中でも 親も子どももいきいきとしている様子は 現在の日本ではなかなか観られない光景です。

バギーを押したり やんちゃをしている様子を少し離れたところでやさしくも少し威厳をもって見守るなど 子どもの一番近くにいる大人が父親である場合が多いのも 以前から知ってはいましたが 今にはじまったことではない文化であることは 一目瞭然でとても素敵な光景です。

金曜日の夜の日本の新しい保育制度の議論と重ね合わせると 心底 日本の近未来を心配せずにいられなくなります。

雪が降り始めそうな札幌のことが気がかりで仕方ないのですが 未来に向けた大事な旅であると思い ここでの時間を大切にしたいと思います。

 

追悼

昨晩 長く麻生明星幼稚園の園長をされ 札幌の私立幼稚園全体を牽引されてこられた 榮 英彦先生の前夜式が札幌教会で営まれ私も参列し献花させていただきました。

牧師でもいらした榮先生は 絶えず威厳(威張るということではなく)があって 私のように年齢が相当に離れた後輩にも 穏やかに敬語を使って話される先生でした。

尊敬する先輩が また一人ご他界されました。

助詞と形容詞の使い方

本日発行のみんなの保育の≪前週の様子≫欄で 助詞の使い方が間違っている個所があります。

幼児期の子どもは 爆発的に語彙を獲得して行きます。 小学校就学前には獲得している語彙数が1万を超えるとも言われています。

その中で 助詞(てにはを…)の用法を覚えることで 語彙のつながりに相互の関係性が出てきて 話し言葉に連なりがうまれ 文章での表現も豊かになってきます。

その意味でも 保育者が 正しい日本語で話すことは とても大切なことです。

もうひとつ 子どもたちのことばが豊かになるために欠かせないのが 形容詞です。

子どもが豊かな形容詞を覚えるには 傍らにいる人(親や保育者)の感性や価値観が豊かであることが必須の条件となります。 子どもは傍らにいる人に共感し影響を受けながら 形容詞の意味と使い方を覚えてます。

このことも これからの時期 大切にしたいものです。

「檻の中で管理することは簡単なこと」

今日 美晴幼稚園は昨日の日曜参観の代休でした。

ドンリュウ園長は 全日本私立幼稚園連合会の設置者・園長研修大会に参加しました。

記念講演での旭山動物園の坂東園長のお話しから

「動物を檻(おり)に入れて管理することは飼育する立場からいえば簡単なこと。でも それぞれの動物本来の姿は失われてしまい 生きにくい環境に子孫を残すことはしないので繁殖しなくなってしまいます。 動物の立場になって環境を整えるとその動物本来のあり様がでてきます。人間も今の時代 同じ事がいえるのではないですか? 幼稚園も同じではないですか?」

核心をついています。

行き過ぎた管理を好む幼稚園の保育者と保護者は少なくないでしょう。

子ども本来のあり様が保障されている幼稚園は だんだん少なくなっているのかも知れません。

それから 蛇足ですが 昨日の参観日の園長からのお話しの中でドンリュウ自身の子どもの頃に触れて ず〜と野球をやっていて… ということをお話ししました。 たまたま昨日 保護者の方から偶然読んだ北海高校野球部OB会の100年史にドンリュウがでていた ということを聞いたので そんことにも触れました。

ことばが足りなかったのですが ドンリュウは北海高校ではなく東海大四高校で野球をしていました。高校時代 野球に青春をかけたこと 当時監督であった三好先生のことは ドンリュウ園長の在り方に大きな影響を与えているので 近いうちにこのブログでも書きたいと思います。

国連 子どもの人権委員会の勧告

国連は子どもの権利条約に関し 日本に対してこれまで1998年 2004年 2010年の3度 勧告を行っています。 しかも その勧告での懸念事項は22項目にも及びます。

先進国といわれる国々の中で このような実態の国は他にありません。

日本の社会にあって子どもが安心安全の中で成長できる環境は いつごろから脆弱化したのでしょうか。 なぜ日本と言う国は国連の勧告に対して迅速に改善することができないのでしょうか。なぜ日本のマスコミはこの問題をクローズアップして取り上げないのでしょうか…。

愚痴を言ってもしょうがない…。

まずは 足もとから。とにかく自分の幼稚園から。自分の家族から…。

お配りした「生活の中の子どもの権利」 是非 読み直してください。

「対話」の一つのかたち

幼児期の子どもが対話(双方向のかかわり)の中でこそ 豊かな育ちがある事は 様々な機会でお伝えしていることでもあり 美晴幼稚園の保育で最も大切にしていることです。

ヒトが地球上の生命体であって 自然の一部である以上 周囲の環境との双方向のかかわりがあってこそ その生命は維持されます。

そのことを前提とすれば 時間と空間とかかわる対象という条件がそろっていれば 子どもは自ら周囲の環境と双方向にやりとりするものです。

しかも 自然を相手にしていると その厳格な秩序を内在した多様性と複雑さに 人間の力では如何ともしがたい現実があることも 自覚の有無にかかわらず 意識します。

ここまで 簡単なことを難しく書いてしまいましたが 今年の秋の遠足は お天気という自然の気まぐれで延期となりました。そして 翌日 思いがけない好天の中 動物園に出かけることができました。保育者の記録では 子どもたちの期待は延期されたことによって 一層高まったようです。

そう このことだけでも 子どもは自然と対話しているんですよ。

いえ もっといえば 予定は人間の勝手。気まぐれなのは自然ではありませんよね。本当は お天気と対話しながら人間が行動すればいいだけのことです…。

運動会もそう(というか運動会という行事をどの様に位置づけて保育しているかで見解は違いますが) 雨で中止や延期になることで 大人の予定や思惑は大きく狂わされますが 子どもは どんなに多くの人々の願いや思いが寄せられても 自然の気まぐれを操作することはできないことを思い知らされるでしょう。 

そして 気持ちをたてなおして 自然にあわせた日の運動会にのぞむ…。

長~い目で見ると この様な経験も人生の中では貴重です。

様々な事情や理由があって 運動会を体育館などの屋内で予定通り行う園が増えているようですが ドンリュウは どうしても ツマンナイことしているなぁ と思ってしまいます。

「ともだちって…」

今朝 平和公園のあそびからもどってくる 年長青バッチグループの男の子が年中黄バッチグループの男の子と手をつなぎながら 「えんちょうせんせい ともだちって だいじにするひとのことだよね… それなのに○○くんは(手をつないでいる子) あそぶひとのことだっていうんだよ…」と訴えるように問いかけてきました。

ドンリュウは 「園長先生は どっちも 友だちにちがいないと思うよ」とこたえました。

年長の男の子は「ふ~ん」という感じで 園長のこたえは 今一つしっくりきていない表情を浮かべていましたが 年中の男の子は ニコニコ顔でした。

ドンリュウは「ともだち」のことを 上下関係なんて関係なしに そんな風に真剣に考えられる二人とも とっても素直で素敵な子どもだと思います。

「ともだち」って いろいろな関係があっていいけれど かけがえのない大切な人のことだよね。

子どもの安心と安全

石巻市の日和幼稚園の裁判については 自分の考えと思いを整理してから ここに書きたいと考えています。

今日は2つの報道についてドンリュウの考えを書きたいと思います。一つは 学校での教諭の体罰について社会問題化している最中で先週末の部活動での体罰の様子がインターネットに掲載されたこと。二つ目は静岡県知事が統一学力テストの結果の下位校の校長名の公表求め教育委員会ともめていること。

ドンリュウの懸念は いずれも 子どもの教師への従順性と 教師の子どもへの権威づけの弊害です。

部活動での体罰はいわずもがな ですが 統一学力テストの上位県では 過剰な宿題(家庭学習)を課すことや 教師の生徒児童への関わりが権威的であることに支えられている実態が少なくないという現実です。

このような学校生活は 確かに狭い意味での学習成績を向上させることは出来るかも知れませんが 子どもの人格や社会性を歪めたり 創造性や自律性の芽を摘みかねません。

しかし 保護者やマスコミを含めた社会も 声だかに体罰や静岡県知事の手法に批判的な意見を寄せながら 一方でもてはやしている実態も否めません。

日曜日に ペスタロッチー・フレーベル学会のシンポジウムにシンポジストとして招かれ 保育園の園長先生と大学の研究者と席を共にしましたが 打ち合わせの席で 子どもに寄り添って丁寧な保育を長年実践されてきた現場の園長先生が 今後の保育所制度改革や保護者意識の変容への懸念の中で 保育の現場から身を引かれるようになってしまっている現実を知りました。非常に残念でなりません。

一方で 乳幼児期の発達にとって懸念される施設が急増している実態も…。

子どもが安心安全に過し 学べる環境を維持し充実させることの重大さを あらためて考えています。

2020東京オリンピック決定

このブログはドンリュウの個人的な出来事や想いが多くなってしまいますこと 予めお許しください。

 7日 お泊まり会を終えたその足で 末の娘の小学校のバザーに向かい 父の会の出店(かき氷とチョコバナナ)をお手伝いし 夜は 前の週に行った 上二人の娘の中学校のバザー(こちらは本格的で ラーメンに焼きそば お好み焼き 焼き鳥にから揚げとフライドポテトの出店)の父の会の慰労会に出かけました。

深夜帰宅し うたた寝の後 なんとなく目が覚めるとオリンピックの特別番組がテレビで…。ちょうど第一回目の投票のタイミングで その後 東京に決定するまで見続けることになりました。

前回の東京オリンピックは1964年。美晴幼稚園の設立年で 同じ年の2月に私は生まれました。

自己紹介の時 「東京オリンピックの年に生まれた…」とお話しすると 目上の人はすぐに何時頃か何歳ぐらいかイメージされます。

それと同時に 東京オリンピックは戦後の復興と共に 日本という国にとっては高度経済成長のピークと重なり 様々な生活基盤も整備されたこともあって 大きな意味をもつ時期であったのでしょう。

さて 2020年の東京オリンピック招致と開催を後ろ向きにとらえ発信する識者と呼ばれる人々や論調もありますが 様々な意味で難しい時代を迎えた国 東日本大震災からの復興と原子力発電所事故への対応に取組んでいる国 という意味からも 日本にとっては意義深いものであることに違いはないでしょう。問題はこの機会を どのようなかたちでいかしてゆくのか ではないでしょうか。

また 様々な問題を包含する世界の祭典である以上 他国や多様な状況におかれている人々への配慮が不可欠であることも十分理解した上で 人々 とりわけ 子どもたちの未来に希望の灯りをともす契機にすることが 大人である我々の責任でもあるといえるでしょう。

誰かが勝手に推し進めたと批判することは簡単ですが 開催が決定した以上 他の国々の人々や子どもたちへの責任は この国の国民である以上 意識していかなければならないのだと考えます。

それにしても これからは簡単に 「東京オリンピックの年の生まれです…」とは言えなくなるなぁ…。