どんりゅう園長のひとり言

敗北者をうまない勝利

オリンピックなでしこジャパンの健闘をたたえる記事の中に

「敗者」はいなかった

優勝と準優勝、金メダルと銀メダルには、もちろん違いがある。しかしこの日ウェンブリーのピッチに立った両チームに、「敗者」はいなかったこの大会の後半、選手たちはなでしこらしいサッカーを貫き、決勝戦では技術的にもメンタル面でも最高の試合を実現した。「なでしこはすごいな」と、早朝のテレビ中継を見ていた人もみんなが感じたはずだ。選手も、監督も、日本のサッカー界も、そして日本人も、すべての人が誇りにできる決勝戦だった。

というものがありました。

その記事を読みながら 芸術家の故岡本太郎氏のことばを思い出しました。

挑戦する。

勝利者でありたいと激しく熱望する。

しかし その勝利のために、ひとりの敗北者も生まれない勝利だ。

この言葉は幼児教育の真髄をあらわす一つの表現だと思います。

私も この挑戦者の一人でありたいと強く思っています。

 

生命は

生命は (吉野 弘)

生命は

自分自身だけでは完結できないように

つくられているらしい

花もめしべとおしべが揃っているだけでは

不充分で虫や風が訪れて

めしべとおしべを仲立ちする

生命は

その中に欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分他者の総和

しかし互いに欠如を満たすなどとは

知りもせず知らされもせず

ばらまかれている者同士

無関心でいられる間柄

ときに

うとましく思うことさえ許されている間柄

そのように 世界がゆるやかに構成されているのは なぜ?

花が咲いているすぐ近くまで

虻(あぶ)の姿をした他者が

光をまとって飛んできている

私も あるとき

誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき

私のための風だったかもしれない

 

私は吉野弘さんの「生命は」という詩が好きです。どんどん窮屈になっているようにしか見えない子ども達の育つ道程、そして近頃の社会のあり様を含めた子どもを取り巻く状況を思うとき、この詩の意味が胸に深くしみます。

「…世界は多分 他者の総和…」依存や支え合い、「お互い様」の関係がそれぞれの生活を豊にし互いの関係に潤いを与えてくれるのでしょう。その事が、今どきの子育てにも教育にも社会にも欠如していることだと私は考えます。そして、富や危機危険の偏りも世の中を歪ませているのかも知れません。夏休みはそれぞれにご予定があると思いますが、レジャーの合間にも家族どうししっかり互いに向き合う団欒の中で過ごしたいものですね。その事実の中でわかってくることがたくさんあると思います。

「寛容さ」と「謙虚さ」

生命は不完全さを互いに補い合い、全体の総和の中で成立するもの…。吉野弘さんの「生命は」という詩は、現代の風潮の対極にあるのではなく、その悩ましさをも包含する大きな寛容さと謙虚さがあります。夏休み中、いつもにも増して子どもと共にする時間がふえることと思いますが、その中で、必ず新しい気づきや発見があるはずです。(それは親にとって良い面も悪い面も…両面あるはず)。もし、今まで自分が見過ごしていた子どもの姿があった時には、いちいち指摘し叱るのではなく、そこを仲間に補われ支えられて今の子どもの姿があることに思いを寄せてほしいです。

そんな一面はどの子どもも必ず持ち合わせていますから…。

【春日山 7月20日 第13号から】

 

強制的な文字指導は慎重に…

札幌市の幼稚園は区毎に保育者の研修会を組織しています。先週、その報告書を読んでいて気になることがありました。

豊平区の幼稚園でけっこうな数の幼稚園が幼稚園の保育の中で文字指導をしていることです。親にとって小学校に入学する前に幼稚園で文字指導してもらえるのは ありがたい とか 安心?の材料になるのかも知れません。しかし 以前も紹介した札幌市幼児教育市民会議の議論の中で 座長をお勤めになっていた北海道大学の先生が 少し古いものの幼児教育の世界ではよく知られた研究成果(知見)を紹介されました。

幼児期の早い段階で「強制的」に文字指導されたグループと 文字指導を受けていないグループに分けて その後 小学校での学習の習熟度を調査したところ 一年生前期では識字の習熟度において文字指導されたグループの方が優位であるものの 一年生後期(9月ないし10月ころ)には ほぼ差がなくなること。また 作文においては一年生の後期以降は早期の文字指導を受けてないグループの方が優位であることなどが、確度の高い統計検定の有意差として示されています。(シビアな問題なのでちょっと難しい表現を用いましたスミマセン)

もし このセオリーともいえる研究成果を知っていれば 幼稚園の設定保育の中で半ば強制的な文字指導はしないはずです。また、文部科学省の幼稚園教育要領でも幼稚園で文字指導を行うことになっていません。

なぜ 絵本は 子どもが文字面を拾い読みすることよりも 読み聴き(読み聴かせ)が大事かといえば 大人への信頼感の中で絵本の中の物語のおもしろさにひたれることや 繰り返し繰り返し読むたびに新しい発見や新しい物語と出会う世界の中で 「情操」がはぐくまれるからです。文字を書けない子どもどうしでもお手紙のやり取りが成立するのは何故か ちょっと考えてみるだけで子どもの「ことばの世界の豊かさ」を理解できると思います。

算数の壁ともいえる 分数や小数計算でいかされるといわれるのは ドリルや計算シートでトレーニングしたことよりも 幼児期からのあそびで実体験した豊かな概念を再構成することだと言われています。その力は 生活やあそびの中で おもちゃや道具や自然素材を 分けたり 分かち合ったり 自然や社会現象を興味をもって観賞することなどで こころの深いところで記憶に残ったものです。

半強制的な一斉活動は 子どもによっては大きな弊害を与えかねないことを 十分理解した上で取組む責任が 私たち保育者にあることを自覚したいものです。強制的、一斉的に指導しなくても 子どもの文字への興味を誘発する方法は 家庭でも幼稚園でもあるはずですが いかがですか?

 

 

元気で登園

運動会は3名のお友だちが体調不良でお休みしましたが、代休明けの今日元気に登園しました。はやく元気になってよかった! 運動会は参加できませんでしたが、当日までの取組みは必ずこれからの生活やあそびにいきてくるからね。

さて、どんりゅう園長は昨日から京都に出張しています。今回は、財)全日本私立幼稚園幼児教育研究機構が今後数年をかけて行う、縦断的(数年の時間軸で経過を追って行く)研究のプロジェクト会議に出席することと、京都の太秦映画村のすぐ隣にある「自然幼稚園」さんの公開保育研究会に参加するためでした。とてもすばらし環境と保育実践でしたので、美晴の保育にもいかすことがあると思います。

さぁ、明日は誕生会。6月うまれのお友だちは少しドキドキしながらも楽しみにしているんだろうなぁ。

 

東北にて

昨日 ガリバーでのちゅーりっぷの活動を終えて 帰りバスの送迎後 空路仙台経由で山形へ移動しました。今日、東北地区の私立幼稚園設置者・園長研修会の教育の分科会で指導助言を担当させてく仕事がありました。この研修会は東北6県から私立幼稚園の設置者や園長先生方が集まって毎年開催されるものですが、昨年は東日本大震災の影響で中止となったそうです。

昨年、(財)全日本私立幼稚園幼児教育研究機構と文部科学省の仕事で、8月以降 岩手、宮城、福島の被災3県に調査に来ることがあり、交通機関の関係で何度も仙台空港を利用し、北海道と東北間を移動しました。

震災後はじめて仙台空港に降り立ったのは、空港とその周辺はアメリカ軍により復旧されていましたが、いたるとことに地震と津波の傷跡がのこっている惨憺たる状況だった、昨年9月のことです。あれから、一年も経過していないのに、空港から仙台駅を結ぶ鉄道は復旧し、空港の周囲もよほど注意しないと、被害の痕跡を認めることができない程です。

しかし、昨年9月、実際に訪ねた津波により壊滅した名取市の閖上地区は、今私が飛行機の搭乗を待っている仙台空港から数キロしか離れていません。今日、分科会の司会を担当された先生の幼稚園は、福島でも宮城県にほど近い相馬市にあって、今なお見えない放射線との格闘が毎日続いています。

山形駅から仙台駅に向かう高速バスは週末ということもあってか、仙台市内に入る前から渋滞で遅れ、市内の繁華街は最近の札幌にはないほどの賑わいに見えました。それから、地元なのか地方からの来訪者なのかわかりませんが、学校の先生らしき一団は、震災の話題を大きな笑い声を上げながら話しています。自分の気持ちがひねくれているのか、震災に対する感性がはやくも鈍りはじめているのかなぁ と複雑な思いにとらわれます。しかし、これも現実…。

私は、被災地の幼稚園は、今なお困難な状況の中でも、仲間と先生とで織りなされる「いつもの幼稚園」が昨日も今日も、そして明日からも、多くの犠牲と献身的な働によって営まれていることに、思いをしっかり寄せたいと思います。

札幌は夕方から雨模様のようですね。この雨は明日まで残るようですが、日曜日にはあがってくれることを祈りながら、これから飛行機に乗って雲の上を飛んで札幌に帰ります。

 

早生まれどうし

疋田先生が昨日のちゅーりっぷの活動の最中足をくじいてしまい、整形外科で診察を受けたところじん帯に損傷があり一週間ギブスで固定することになりました。保護者の皆さんや子どもたちに迷惑をかけてしまいますが、少しだけ助けていただけるとありがたいです。

さて、そんなこともあり今日は少しの時間ですが年少ピンクバッジグループのSIあそびの保育に入ることができました。正直、自分が予想していたより、同学年のグループでの活動ではそれぞれが自分のことは自分でしっかりできていて、自分ではまだ出来ないことはきちんと助けてほしい、手伝ってほしい、と伝えてくれることもできていました。

美晴は満3歳児保育を行っていないので(要望はいただきますが…)、ピンクバッジさんも全員学齢3歳児ですので、皆月齢36を過ぎた子どもたちです。しかし、この時期の月齢差は大きく同じ学齢3歳児の集団でも発達の進度には当然大きな幅があります。それでも、異年齢構成のクラスばかりでなく同学年のグループでも集団として着実に成長していることはたいしたものだと感心します。

ピンクバッジグループのお友だちは皆、どんりゅう園長を慕って寄って来てくれますが、その中でも早生まれの子どもが知らず知らずのうちに、どんりゅうの手を引いて自分のペースに引っぱりこんでくれます。(きっと私は早生まれのにおいがするのでしょう)

早生まれの中でも、これ以上遅く生まれることができない4月1日が誕生日の男の子が、昨日のちゅーりっぷの後半、ず〜っとどんりゅう手を引いたり、あそび相手になってくれたりしました。

 

 

 

 

 

葉っぱをケーキの飾りに見立てたり、スパゲッティーやピザパイなどをたくさん調理しながら、楽しい世界を広げていました。あそびに善し悪しはないけれど、見事なあそびっぷりでした。

そう言う どんりゅう園長も2月16日うまれ。当時としてはめずらしい3年保育で美晴幼稚園を卒園しました。「しーちゃん(私の子どものころの愛称)は 夏休みを過ぎても自分のお部屋にはいなかったもんね…」とは、そのころの先生方の言葉。今では幼稚園の園長のどんりゅうはいつも保育室を脱走しては、ホールであそんだり職員室に逃げ込んだりしていたそうです。それからみれば、現役?の子どもたちは立派です!!

いっしょにあそんでくれてありがとう。今度はいっしょにお弁当をいただきましょうね。

 

母校 豊園小学校

先週に続き 今週も多くの小学校で運動会がありましたね。今日は朝方こそ雲が張っていましたが 時間を追うごとに晴天となり気温もあがってさわやかな一日でした。それぞれ、あたたかな応援の中で子どもたちが躍動していました。

今日は 私の母校でもある 豊園小学校に出かけました。

自分の小学校時代は本当に先生や仲間に恵まれて、楽しい思いでばかりの6年間でした。6年生では前期の児童会長もつとめ、大運動会の開会式で挨拶をした記憶がよみがえりました。しかし、けっして優等生ではなく、5年生の時に昼休み6年生と男子同士が大げんかになって、なぜか5年生が勝ってしまい首謀者の一人として校長室に呼び出されました。そして、6年生の卒業式を数日後に控えたある日、体育館の屋根裏に上ってあそんでいて、天井を踏み外し危うくステージ上から転落しそうになり、この時も校長室に呼ばれました。その当時の校長先生は威厳があって、一言二言諭され深く反省し教室に戻ったものです。

1・2年生の担任の川村ちえ先生から、3年生の坂本先生、4年生の今堀先生、5年生の佐藤先生、6年生の朝倉先生まで(なぜか3年生から毎年担任がかわられましたが)先生皆 しげみつ少年をよく理解し適切な指導をしてくださったすばらしい恩師です。

豊園小学校の全体を眺めながら 少し気になることがありました。学校施設の配置は合理的で整備されたものでしたが どこか味気なく無機質に感じました。木陰も少なく、植栽も単調。子どもの記憶に残る風景があるのか ちょっと心配になりました。

豊園小学校は豊平町と札幌市が合併する前の1959年(昭和34年)に開校した学校で、私の通った頃の校舎は木造モルタル2階建てで床は木の床にオイル引き、ストーブはコークス(石炭の燃えかす)ストーブでした。しかし、ロの字の平面計画に配置された校舎には広い中庭があって 北海道の形のした池や登り棒や雲梯があり 中休みや昼休みは低学年の子どもを中心に憩いとあそびのスペースでした。校舎の南側には広い花壇があって、クラス毎に仕切られた花壇をクラスならではに植栽していました。北西側には道路と平行して農業用水が流れていて、校舎側には藤棚や低木が植えられていて児童玄関の他に正面玄関があり趣がありました。ここの風景は校内写生に描いたものです。グランドや隣接の公園を含めて 本当によくあそび 語らい 憩い 運動した思い出深い素敵な学校でした。

私が卒業してしばらくして 25年ほど経過した校舎と体育館は 1984年(昭和59年) 体育館の場所はほとんど変わりませんが、校舎とグランドをほぼ入れ替えるかたちで全面改築されました。そして今年、入学児童や転入児童が増加して増築工事が行われ、現在未設置の特別支援学級のスペースも整備されるそうです。

豊園小学校だけではありませんが 1970年代の後半(昭和50年代)からの札幌の学校建築は、様々な面で合理的 経済的ではあるのでしょうが、全ての学校とはいえないものの そこには学校建築としての豊かさは感じられません。このことは子どもたちにも何かしらの影響があるような気がするのは 私だけでしょうか。つい そんなことを感じてしまいました。

小学校の運動会

今週 予定されていた小学校の運動会は今日(日曜日)に行われた学校がほとんどだったことでしょう。娘の小学校の運動会と父の会の片付けを終えて、ウサギたちにご飯をあげに幼稚園にいったところ、卒園児が「赤組が勝った!!」と嬉しそうに報告してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の春 卒園した1年生にとっては はじめての運動会となりましたね。

開会式の宣誓やラジオ体操、徒競走(短距離走)に表現、そしてリレーや玉入れ運命走など…。わずかな期間の小学校生活で一段も二段もギヤチェンジした、ハツラツとした姿がまぶしかったことでしょう。小学校に入学してから、環境の変化や美晴の生活や保育者との関係が子ども主体であったのが、客体というか受け身にさせられる印象が強くあって、戸惑う様子もあったようですね。

日本の小学校の運動会は明治時代の軍事教練にルーツがあって、身体を通して集団行動や規律を身につけさせる手段が程度や内容は変質してきてはいるものの、本質的なものは今なお引き継がれている面が否定できません。でもこのことは、リテラシー(読み・書き・そろばん(計算))教育とならんで日本ならではの良さでもあるといわれます。

一方で他の幼児教育や初等教育先進国から日本が立ち後れているといわれるものは、人権教育とシチズンシップ(民主的な市民教育)といわれます。

小学校と幼稚園(保育所)とは、生活の進め方や指導のあり方にある程度段差があり、かつ、教師(保育者)の子ども観や価値観(文化)の違いもあります。当然、子どもや保護者には戸惑うことがあるはずですが、前向きな学校生活を進めているうちに時間の経過にそって必ず子どもは良くも悪くも小学校に適応してゆきます。

小学校でも幼稚園でも春の運動会を経験することで、「子ども」も「子どもたち」もギアが一段切り替わるものです。これからがある意味で小学校生活の本番といえるのかも知れません。

それにしても肌寒く感じる一日でしたが、週をまたぐような延期にならず、子どもにとって何よりでした。

それから、明日は運動会があった小学校は代休となりますね。よかったら、短い時間でいいので美晴幼稚園にあそびに来てくれるとうれしいなぁ。(どんりゅう園長は最後の会議で朝バスがおわったら出かけちゃうけれど…)でも、お願いが一つ。幼稚園は新しくはいったお友だちがいるので、お兄さんお姉さん先生として、先生のお手伝いや小さな子どもたちと仲良くあそんでくれたら、とっても嬉しいです。

 

ライラックの薫る風にのって

 

 

 

 

 

 

あちらこちらにライラックが紫や白い花を咲かせています。リラ(ライラックの別称)冷えの少し冷たい風にのってほのかなライラックの香りが札幌の街に広がってます。

昨年のこの頃 卒園児の保護者などの有志でつくられた、美晴幼稚園を応援し卒園児や元職員の交流の場をつくっていただいていた「後援会」の発起人で会長でいらした古山貴子さんがご逝去されました。そのおおらかでお世話好きなお人柄は皆から慕われていらっしゃいました。

古山さんの言動ひとつひとつが私の園長としてのあり方にたくさんの示唆を与えてくださいました。

町内会のお役も担われていた古山さんは、この時期になると平和公園の周囲にたくさんのお花を植栽されていたものです(今でも続いています)。これからはライラックの花と香と共に古山さんが偲ばれます。

昨日は 天気予報がはずれ?て、さわやかなお天気になりました。今日はそれほどのお天気は期待できないかも知れませんが、多くの小学校で運動会がありますね。ライラックのようにさわやかな風を吹かせてくださいね!!

 

日食

今日 日本の一部の地域で金環日食が観測されました。

北海道では部分日食でしたが、小学生の登校時間と重なった朝の8時前後、晴天の中で観測できましたね。晴れているのにあたりが薄暗くなる様子は神秘さを感じました。

北海道で金環日食が観測できるのは、2030年とのこと。18年後の日食の日、お天気になあれ!!。