4月2017

今日のポートフォリオ(4・12)

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保育第2日目

すみれ組とみつば組が身体測定。つくし組はお道具の紹介をして粘土であそびました。

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今日のポートフォリオ(4・11)

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保育第1日目−2

新入園児も進級児も一見大きな混乱なく過ごしていた様ですが 戸惑いや不安 わかりずらさは 子どもの様子の節々からみてとれました。

子どもの思いを敏感かつ丁寧に受けとめながら 行動予測を的確にして明日からの保育を進めてゆきます。

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保育第一日

しばらくはスナップのみの掲載で…

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今日のポートフォリオ〜生命(いのち)のバトン〜

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2月のバレンタインデーに産んだ卵が 卒園式間近に孵化して 小ちゃな小ちゃな赤ちゃんが動きだし 子どもたちに驚きと希望を与え 年度末の31日(この春卒園した年長児の在籍最終日)には 産卵する瞬間を見せてくれた昨年の夏から幼稚園で飼育していたカタツムリの生命のバトンパス…。

新しい年度の保育がスタートする朝 そのカタツムリが一匹命をなくしました。

入園式 始業式の朝なので みんなで共有することはかなわなかったけれど 子どもと共にしずかにとむらう保育者の姿がありました。

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とてもささやかな出来事だったけれど とても大切なことだと思います。

 

 

平成29年度 第54回入園式・始業式

いよいよ新しい一年の保育がスタートしました。

朝は北風が肌寒く感じましたが快晴のお天気にめぐまれ何か良い予感を感じる始まりです。

ご入園 ご進級 誠におめでとうございます。

新入園児に不安や戸惑いの様子がみられたり 進級児に気持ちの高ぶりがみえたり…。新しい一年の幕開けらしい一日でした。

この一年 よろしくお願いします!

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カオスモスの運動と逆教育=美晴の保育

園長(私)が美晴幼稚園の創設者であった父から遺志として引き継いでいる唯一最重要の保育者としての在り様は「子どもから学べ」ということです。

昨日 小学校から届いた礼状の中に平岸高台小学校の学校だよりが同封されていて 大牧校長先生がご自分のお母様からの言葉も引用されて「親は 子どもと一緒にしたり 見守ったり じっと話を聞いたり 伝えたりと その時々で『今 必要な支援は何か』を直感的に判断しながら 子どもと関わっていくものです。私も昔 わが子が生まれ試行錯誤していた頃 『親というものは わが子とのかかわりから学び 子どもから親にさせてもらっているようなものだよ』と母に言われたことがあります。実は教師も同じで 児童への指導や保護者との関わりによって 教師として日々育ててもらっているのだと思います。」(一部抜粋)と書かれていました。

真理は 専門書や専門家あるいは上司の助言ではなく いつでも どこでも 子どもの中に 子どもとのかかわりの中にあります。

私たち保育者が 子どもやその周辺から発信されている真実を うけとめる準備ができているか そして 受けとめたことを 保育の中で具体にいかすことができるか が大事です。

世界のかわりめに生きる子どもたちの未来を見据えながら 幼児期の「いま」「ここ」を大事にする保育を矛盾なく実現するには 「一人一人の子どもが学びの主人公」 となる様に 保育者が意図と柔軟性を合わせ持ち 保育のかたちを多様に展開してゆくことで その可能性がひらかれるのでしょう。

保育者が

・一斉的な活動場面でも子どもの自由感を尊重すること。

・子どもの自由選択が可能な活動場面でもあそびを選ぶことが難しい子どもを注意深く見守り場やお友だちとのつながるチャンスを探ること。

・その子の発達の特性や段階を理解し自己課題と向き合うあそびや過ごし方を共に試行すること。

・クラスやグループ(集団)で過ごしたり一緒に活動することを嫌がっている様子の子どもでも遠くから聴こえる歌を一緒に口ずさんだりつながろうとしている子どもの思いを感じとれること。

・一見集団適応が難しいと認められる子どもを 取り出したり分離する支援ばかりではなく 幼稚園に共に居る意味を尊重した 情緒の安定を保障しながら 平行(並行)保育から共につながる道筋を模索する。

…。

多様な子どもたちと多様な保育を同時に展開してゆくと 子どもの動きに翻弄されてしまい 自分の存在位置がわからなくなったり 子どもが成長発達の道筋をどのようにして前に進んでいるのか わからなくなるものです。

実際 ここ数年 支援員や外部研究者の方々が断続的に保育観察して 保育者に助言をしていただく機会もありますが なかなか美晴の保育(子どもたち)の本質を理解していただくことが難しく 貴重な助言をいただきながらも迷いが深くなることも少なくなかったようです。

それだけ 美晴幼稚園の保育の実態と文化は特別なものといえるのでしょう…。

美晴の保育者にとって必要不可欠な資質は 経験の多い少ない とか 資質能力が高い低いといったことではなく その人の人格や人間性です。言い換えれば 何ができるか ではなく 絶えずこころを動かし自ら感じたことに忠実に具体の行動を考えられる ことです。その出発点や基準が 子ども です。

子どもを原点に周囲や関係に視野を広げれば 子どもや保育の実態が的確に理解できます。そうすると 実践すべき保育と指導・支援の具体の方向性がみえてきます。

あらかじめ解のない課題に向き合い 子どもと共に過ごす中で「最適な解」を求め ささやかな挑戦とふり返りを繰り返し 着実な歩みを続けるという営みが 美晴の保育といえます。

たぶん 無自覚だと思いますが 美晴の保育者は昨年度一年間 それが実践できていました。控えめに言うと できつつありました。

そう 美晴の保育は様々な困難さに挑戦していますが 若いリーダーと若い保育者が懸命の努力を重ね 一定の保育が実現できていて より充実するこの先がみえています。(これはすごいことだ! と我ながら思います)

たぶん 美晴幼稚園の保育スタイルが確立することは未来永劫ないと考えます。絶えず 子どもに寄り添い 子どもたちにとってより良い場になるよう挑戦し続けるのだと思います。

私が20年の美晴幼稚園園長としての経歴の最初の2年間 特別支援教育 幼児教育含め ほとんどの教科領域で思想(哲学)から新しい学校教育を志向していた上越教育大学大学院で学究の機会を得たこと(カオスモスの運動などの思想に出会えたのもこの場でした) また 国の会議の場で様々な知見や現状に触れる度 美晴幼稚園と重ね合わせ問題意識を更新してこれたことも 今とこれからの美晴幼稚園に大きな影響を与えています。

ブサイク(整った体裁ではない)かもしれないけれど美晴幼稚園のような幼稚園が存在しても良いと思うのですが…。

明日から 平成29(2017)年度の保育がはじまります。子どもたちみんなのその子らしい「いきるかたち」が着実にかたちづくられるように 共に過ごすことに幸せを感じながら 一日一日大切に保育を進めてゆきます。

園長 東  重満

カオスモスの運動と逆教育−3

この号は背景を書かないと誤解を招きかねないので長くなります。

私(園長)は障がい児保育が専門ではありません。しかし ここ数年 全日本私立幼稚園連合会の推薦で 文部科学省の会議の委員や内閣官房の会議の構成員として 様々な施策づくりに関与してきました。(その内容は巻末のアドレスにアクセスしてみてください 会議によっては構成委員の名簿ばかりでなく会議録が公開されていて私の発言を読む事ができます)

会議などに参画する中で 様々な障害者団体や家族の会の代表者のお話しを伺い また 日本ばかりでなく世界の先進事例と考えに触れる機会を得て 自分の思いや考えをふり返り 進むべき方向性を再確認させていただきました。(美晴幼稚園の目指すものや 今現在のあり方も間違いはありませんでした)

いずれの会議も 乳幼児の段階の教育保育機関からの参画は私一人だったのですが 障がいのある子どもの受け入れや 教育保育の機会を保障ができていない学校教育段階は義務教育(小・中学校)を除く幼稚園(保育園)と高等学校および高等教育機関(大学など)だ ということが 事ある毎に指摘され 特に幼児教育段階の機会保障の遅れについては厳しく指摘されました。

平成19年に改正された学校教育法で幼稚園を含む全ての学校での特別支援教育の実施が規定され 昨年4月施行のいわゆる障害者差別解消法で 「不当な差別的対応」と「合理的配慮の不提供」が禁止されても 公私を問わす幼稚園での「気になる子ども」へのバリアの緩和は進まず むしろ 悪質化(正面から断らず「学齢毎の入園の基準?」を匂わすなど…)している実態は否めません。

これまで 障がいのことばかり書いてきましたが 今の子どもたちは 国籍や母語 文化や宗教の違いなど 多様性を包含した社会で共に生活し学び合い そして幸福を求めて生きてゆく世代の人たちです。

社会の一部である学校や幼稚園も同様であるばかりか むしろ 現実の社会の半歩先の場づくりをしなくてはいけないはずです。

その時 必要な概念と行動が 「カオスモスの運動」と「逆教育」だと私は考えています。(前の号でカオスモスの運動には触れたので この号は「逆教育」を中心に…)

「逆教育」は 内閣官房の2020ユニバーサルデザイン心のバリアフリー分科会の場で 東京都の2020パラリンピック担当職員がIPC国 際パラリンピック委員会のクレイバン会長が視察の折にお話になったこととして紹介してくださいました。

「教育」は 前の世代から次の世代へ 言い換えれば大人から子どもへ といった方向で語られ実行されるもの といった既成概念がありますが 新しい社会づくりをするような時は 逆の方向性 つまり 子どもから大人へ そして 社会全体の動きへ といったベクトルが作用することで おおきく歯車が動きだすのだ と。

既成概念にしばられていない 次世代を生きる子どもの意識を変えることで 子どもの具体の行動が変わり そのことが 大人に気づきと学びを与え 大きな社会変革の波となる ということです。

「お口にチャック 手はお膝」 は 大人が都合よく子どもに与える教育を前提にしていて そこでは効果的かも知れません。

しかし 変革期を生き抜く子どもへの教育は 子どもが子どもらしく輝く場を準備しながらも 絶え間なく大人が子どもに学び 場をつくり変えて行くようなあり方が求められるのでしょう。

美晴幼稚園は 美晴の若い保育者はそれができます。(至らぬことばかりではありますが…)

それは 表層的な保育技術や技能ではありません。その美晴の保育と保育者のことは次回で。

 

文部科学省 障害者差別解消法対応指針      http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1364725.htm

文部科学省 発達障害を含む障害のある幼児児童生徒に対する教育支援体制整備ガイドライン〜発達障害等の可能性の段階から、教育的ニーズに気付き、支え、つなぐために〜            http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/1383809.htm

内閣官房 ユニバーサルデザイン2020行動計画 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/ud2020kkkaigi/

カオスモスの運動と逆教育−2

前回 社会(広い意味で世界)の大きな変化の真っ只中にある現実と多様な人々が互いに共生する社会で自分らしく幸せにいきるには どのような幼児期を過ごすことが求めらるのか という大きな問題を幼児教育(保育)の現場で考える時 「カオスモスの運動」と「逆教育」の概念を踏まえることで先が見えてくる ということを書きました。

「カオスモスの運動」は丸山圭三郎という哲学者が著書名にした概念ですが 私が美晴の保育でいかすエッセンスは 二項対立の構造や既成概念の枠をこえた保育実践(運動)を実行する ということです。

対立の構図で語られること 「一斉あそび」⇄「ひとりあそび」 「保育」⇄「障害児保育」 「設定あそび」⇄「自由あそび」 「学齢別保育」⇄「異年齢混合保育」 「静か」⇄「騒がしい」 「静的」⇄「動的」 「体育系」⇄「文化系」 枚挙にいとまがありません…。

幼児期の子どもは 本来 理解の難しい存在です。大人が関与しなければ子どもの集団は一見混沌(カオス)として見えます。

しかし 注意深く継続的にこころで寄り添えば 自然な存在であるすべての子どもと周囲との関係には 厳然とした秩序(コスモス)があることに気づけます。

一見 騒がしく無秩序にあそんでいるかのように見えるあそびの中に 必ず 規則性や発展性 系統性があります。ただ そこには「安心安全の中で子ども自身の自発性や主体性が存分に発揮される」 という条件が保証されていなければいけませんが…。

その環境(条件)で 子どもは大人やお友だちとのかかわりを通して 自分の課題に向き合い 自らを自分らしくかたちずくってゆく(教育する)ことが可能となります。

言い換えると 子どもは例外なく 誰もが皆 自分をかたちづくり他者(世界(社会や自然))とつながる力をつける 学びの主人公なのです。

現実の 子どもと 子どもの周囲には カオス(混沌)とコスモス(秩序)が混在しているのですね。

カオスモス(カオス/コスモス)の運動の中で乳・幼児期の子どもを見直してみると 違った見え方や風景がひろがります。

「逆教育」は次回。