どんりゅう園長のひとり言

岩手県 大槌町にて

ドンリュウは 昨日 今日と岩手県盛岡市と大槌町で行われた SIあそびの全国園長研修会に講師をかねて参加させていただきました。今回の研修会は今後の幼稚園保育所のあり方を真剣に語り合い 東日本大震災で被災された大槌町のおさなご幼稚園さんを訪問するものでした。

昨日は盛岡市で講演とパネルディスカッション。今日は盛岡市から遠野を経由して大槌町のおさなご幼稚園さんを訪問し 子どもたちと保育者の皆さんにお会いし 箱山園長先生 小笠原主任先生と再会しお話しを伺うことができました。

 

 

 

 

 

 

子どもたちはとても元気でイキイキしていました。SIあそびの様子も参観することができました。

箱山園長先生が「どんなに厳しい状況でも この大槌に残らなければならない子どもとそのご家族のために 幼稚園として幼児教育をこの町で担い続けることが 私たちの使命です…」とお話しになられていたことに 深く感銘しました。

ドンリュウは文部科学省の委託調査研究で震災の年に2度おさなご幼稚園さんに伺い 記録映画の撮影と編集にかかわりました。その時も 今回も 保育者として 一人の人間として 深い学びがありました。

昨日は遠足にいっしょに行けずにゴメンナサイ。でも この2日の経験は必ず美晴の保育にいかしてゆきます。

 

 

こどもへの約束−2

[みんな笑顔で ありのままで…]年度末に行われたクラス懇談会で、何人もの保護者の方が美晴幼稚園らしいこととして「美晴の子どもは“みんな笑顔”で毎日過ごしていること」と「子どもがありのままで育ってゆけること(ありのままを受け入れてもらえる)」をあげていました。このことは幼稚園であれば当然のことだと私たち保育者は考えますが、これからも大切に継続して行かなければならない、美晴の良さだとあらためて気付かされました。

上記の一文は昨年度の春日山2号からの引用です。

先月 北海道の若手幼稚園長(ないし予定者)が中心に園経営ではなく保育につて特化した研究会で話をする機会がありました。その時 九州のある幼稚園を調査した時に 必ずクラスに数人 情緒不安な園児がいることの問題を紹介した時に 「うちの園でも 不安な子どもがいなくはないですから…」とサラッと話した参加者がいました。

園の中に 不安でありのままの自分で過せずにいる子どもが居続けることがなによりも重大な問題であると認識できない保育関係者の鈍感さは もしかすると彼だけの問題ではないのかも知れません。美晴でのあたりまえは 保育の専門性からいえば最低限のことなのですが…。

幼稚園の玄関に こどもがまななんかプロジェクトの「こどもの日が制定されてから65周年」のポスターが掲示されています。こどもの日制定から3年後の1951年 国民の総意としての子どもへの約束である「児童憲章」が制定されました。(詳しくはちょうど一年前 昨年5月5日の本ブログをご覧ください)

そこにはこのように記されています。

児童憲章(昭和二十六年五月五日)

われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。

児童は、人として尊ばれる。

児童は、社会の一員として重んぜられる。

児童は、よい環境の中で育てられる。

.すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保証される。 以下略

今日はこどもの日。一年で一番子どもを大切にしようと意識する日のはずです。しかし 出かけ先で子どもが暴力的なことばを浴びせかけられ 蔑まれる場面を見かけました。

一年に一度。家庭で 幼稚園、学校、保育所などの施設で いえあらゆる場で大人(社会全体)が 62年前に取り決めた子どもへの約束を 本当に履行しているか。問い直し 確かめてみる必要があるのかも知れません。

 

 

 

 

今日は出張でした

ドンリュウ園長は朝のホール集会後 そのまま東京へ出張しました。まえのブログの更新は東京に着いてからだったので 保育が終わってからになってしまいました。ゴメンナサイ。

春日山でもお伝えしましたが 昨年5月まで私立幼稚園の研究機構の仕事を担い毎週のように道外出張がありました。任期は終えたのですが 今でもいつくかの仕事を手伝わせていただいています。ありがたいことです。

そんなわけで 今日は途中から園をあけて東京で会議をして これから飛行機に乗って札幌に帰ります。

明日は 今年度はじめての「おしゃべりタイム」があります。

幼稚園の園長として 保護者のみなさんといろいろなお話しができることは とてもありがたく思います。

 

年度末

29日 30日と 北海道地区のSIあそびの初任者研修会が美晴幼稚園で行われ 40名程の新任予定の先生方を中心に道内各地から集まって 年少ピンクバッチグループの公開保育と講習がありました。

ドンリュウ園長は 昨日30日 東京大学で 韓国 台湾の幼児教育の政策を主導している研究者と OECDの教育局から乳幼児部門のアナリストの責任者をお招きしたシンポジウムに出席するため 29日の研修会を終えてから東京に移動しました。今日2つの会議に出席して札幌に帰ります。

札幌は まだまだ残雪深いですが 東京は桜の季節で 東大の赤門わきの桜も見事な咲きぶりでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

韓国も台湾も 幼稚園と保育所の制度改革が 幼児教育の充実という枠組みで急送に進んでいます。(残念ながら日本はすっかり取り残されています…)

日本も来年度からその検討が国でも市町村でも急ピッチに進む予定です。

今朝 ある新聞のコラムに 若くして病に倒れた母親が男の子に「いっぱいおでかけにつれていってもらうんだよ」という走り書きを残したエピソードが書かれていました。

家族が共に暮らし それぞれの家庭らしい楽しく過す営みが あたりまえにまもられる制度改変であることを望みます。

そして 保育者の一人として そのためにできる事を 職員全員で協力して取組みたいと思います。

今日は 年度末 一年間ありがとうございました。

 

「life…」

今日は毎週末の悪天候 暴風雪と雪解けの繰り返しで 通園バスの経路の道路の状態が悪く 安全運行の見通しがたてられなくて臨時休園としました。自分の中で 無自覚のうちに 3.11の動揺もあったのかも知れません。臨時休園にご理解いただいた保護者のみなさまに深く感謝しています。

今日 突然 ある研修会で アフリカで飢餓の支援活動をされていた講師がお話しされていたエピソードを思い出しました。

「赤ちゃんを抱いた まだ年若い母親が救援キャンプにたどり着き 息絶える直前に支援スタッフから 『今の望みは何?』と聴かれて 一言『life』と答えたそうです。スタッフが聞き返すと『あと一度だけでいいからこの赤ちゃんにお乳をあげるための命(時)がほしい…」と。」

あの 震災の中で 何人の親が もう少しだけ 子どもと共にいる時間 子どもを育てるための命 がほしいと願ったのか…。 親の愛の尊さに思いをはせながらよせながら 今日の一日をおえます。

雪がとけるとなんになる?

今朝 ちょっとした仕事で 愛媛県の幼稚園の園長先生と電話でお話しする機会がありました。その会話の中でのエピソードですが 小学校で 「雪がとけるとなんになる?」との問いに ある子どもは「水になる」 またある子どもは「春になる」と答えたのだそうです。

小学校の理科の時間であれば 「春になる」という答えは×となるのでしょう。しかし、幼稚園であれば両方○となる幼稚園の方が多いはず…。

現在の日本の小学校では 児童の「春になる」という答えは掬(すく)われないで 切って捨てられるかも知れません。しかし 「雪がとけたら春になる」 というのは情緒的な意味ばかりではないはずです。着眼点をかえれば理科的な回答としても意味があることは 誰にでもわかります。

何気ない短い会話の中の話しでしたが 意味深いエピソードではあります。

2月うまれの誕生会

今日は月例の誕生会でした。

2月うまれのお友だちといっしょに ドンリュウもお祝いしてもらいました。誕生会の写真は保育アルバムに掲載しました。

先日 子どもたちと先生方に描いてもらった似顔絵をクラスごとに綴ってもらいました。

 

 

 

 

 

 

この絵は 唯一 ご家庭にかえさない絵。 全員の絵を掲載したいのですが 各学年 それぞれ一枚だけ掲載します。

ドンリュウは毎年 子どもたちが描いてくれた顔は どれも優しさく描かれているのですが 自分が子どもたちのために 美晴の保育のために この絵に値するだけの働きをしているのか 正直 恥ずかしくなります。

この 毎年贈られる似顔絵は 園長として最大のプレッシャーなのです。

 

「つららってなに?」

今朝のお迎えのバスは 雪はあがっていたのですが 昨晩の雪の影響と道路の状況が悪化したためか渋滞でコースによっては運行に遅れがでました。

そんなバスの車内で 子どもたちが軒先などの”つらら”の話になりました。そうしたら一人の女の子が「つららってなに?」と言いました。このお友だちは昨年雪が降り始める頃 四国からお引っ越しをしてきました。

他の子どもたちにしてみれば ”つらら”は言葉と現物がつながっている存在。「そんなこともしらないの?」と言う子どもがいてもおかしくはないと思いますが 一緒に乗り合わせていたお友だちは 「あのこおりで…」 「とがった…」 「やねのところにある」 「くるまにもぶらさがっていたりして…」 と親身になって教えていました。

素朴に あ〜 いい様子だなぁ と思いました。

 

似顔絵を描いてもらって

今日は 学年グループの活動に入る前に 子どもたちに似顔絵を描いてもらいました。2月うまれの誕生会でクラス毎に綴じてプレゼントしてくれるそうです。

ドンリュウは明日16日に美晴幼稚園と同じ49回目の誕生日を迎えます。49年前 ドンリュウがうまれた翌日2月17日に開園時の美晴幼稚園の園舎(旧園舎)の建前(上棟式)があったそうです。当時の棟札は旧園舎の屋根裏の柱に掛けられていて 改築の解体時におろして 今も大事に保管しています。

私が創設者である両親のあと園長に就任させていただいたのは 運命というか宿命だったのかも知れません。父がこの幼稚園を開設したのは まさに父が49歳になった昭和39年です。

その49歳に自分が至った今 ほんの少しですが当時の父の気持ちがわかります。

私は幼稚園で仕事をはじめた当初 父が園児全員に似顔絵を描いてもらうのは 他の保育者の配慮のような気がして 正直あまり良いことではないなぁと感じていたことがあります。しかし 年月を重ねるにつれて 父はけっして子どもに自分の絵を描かせてひとり喜んでいたのではなく 子どもたちが担任の保育者よりは少し遠い存在の園長の似顔絵を描く時のこころもちのかわいらしさ素敵さを大事にしたいという思いがあったことが 私なりにわかってきました。

今朝 着替える時 無意識に今シーズン一度も着ていなかった 赤と紺色のボーダーのセーターを選びました。昨年も一昨年も同じセーターで似顔絵を描いてもらいました。年長の子どもは去年と同じ服だと気づいたようです。子どもの気づきと記憶の確かさは おそるべし です。

平穏ってあたりまえのこと ではないと思います

この時期 週明けにインフルエンザなどの感染が広がっていないか気がかりですが 美晴幼稚園では先週からは増える事なく新しい週のスタートが切れました。

今日は今年度最終の出張で東京でした。東日本大震災で大津波の被害を受けた 宮城県 岩手県の沿岸部の幼稚園の先生方へインタビューし得られた貴重な証言の映像記録の最終会議がありました。なんとか来月はじめにはDVDが完成し各都道府県に配布されるところまで漕ぎ着きました。私はかかわらないかも知れませんが 来年度は福島県の幼稚園で震災の年から3年がかりで記録してきた映像を編集します。

被災した当事者の生の声は深く重く 会議に参加された埼玉県の園長先生の奥様は 数十年前に体験された新潟県の地震の記憶と重なり視聴されている途中で見続けることができなくなったそうです。

近頃 震災の風化があちこちで語られます。でも 被害が今なお現実のことである方々へ思いを寄せ 自らの生活をふりかえりできることに取組むことは忘れてはいけないと思います。

日常の生活で 毎日 保護者のみなさんが幼稚園に(私たちに)子どもの命をあずけてくださること。その大切な命をそこなうことなくお家にかえすこと。その意味をしっかりかみしめながら日々の保育にあたりたいと思います。園長 東 重満