どんりゅう園長のひとり言

緊急地震速報

昨日の夕方 美晴幼稚園ではちょうど職員会議の最中 緊急地震速報が携帯電話(ガラ携)とiPhoneに入りました。ほぼ同時に園舎に揺れを感じました。

ガリバーに向かうバスの中でも 昨日の地震のことが子どもたちの会話にたくさん出ていました。

東日本大震災の地震が発生した時 私は東京の文京区のホテルでの会議に出席していました。震度5の長い揺れがおさまってから いったん市ヶ谷にある全日本私立幼稚園連合会の事務所で待機した後 地下鉄が動き出した翌日早朝に羽田へ移動し空路札幌に戻りました。

地震発生直後は携帯(スマートフォン)は電話もインターネットも通信が途絶しましたが 通信が回復しはじめた翌朝3:00頃からは 飛行機に搭乗するために携帯の電源を切るまで 余震毎に緊急地震速報のアラームがなり続けました。

昨日はその記憶がよみがえりました。

幼稚園は毎日毎日 園児というかけがえのない大切な命を預かります。

あの日 被災地の幼稚園が子どもの命を守りぬけたのは 日頃の備え 保育者の高い意識と使命感 そして 適確な状況判断に基づいた行動力によるものです。

ひるがえって美晴幼稚園は今日 わんぱくタイムに参加する子どもを通園バスに乗車させるミスを…。

安全管理は 当事者の高い意識の維持と 地味で細かな確認の積み重ねでしか徹底できません。

今一度 足元をしっかり点検し地道に改善してゆきます。

 

「36.6℃だったよ…」

今日は公認会計士の監査があり 午前中はほとんど保育をみることができませんでした。

(公認会計士さんが監査している間 隣のホールでお母さん方が玉入れの練習をされていて 美晴幼稚園のかけ声の 「いち にっ ソーレ、 いち にっ さん ソーレ」 が響いていました)

公認会計士さんをお見送りして部屋にもどろうとした時 入院してしばらくお休みしていたお友だちが 「えんちょうせんせい 36.6℃だったよ…」と手で3と6をつくりながら教えてくれました。

検温したときの体温なのでしょう。きっと自分自身にも言い聞かせているのか 「平熱だったよ 元気だよ…」という思いが表情にあふれていました。

そうやって元気になったと伝えてくれたこと ドンリュウはとってもうれしかったよ!

 

「きょうのえんちょうせんせいなんかおっかない」

昨日 降園前ホールで子どもたちとたのしくあそんでいたら トコトコと近寄ってきた年中の女の子から 「きょうの えんちょうせんせい なんか おっかない!」 と言われました。

感受性の強い子どもには どんなにとりつくろっても いえ 自分で自覚していなくても こころの中はしっかり見透かされているものです。

少し反省しながらも そのように子どもから直々に伝えられて すくわれました。

子どもたち全体に落ち着きがみられ 保育のリズムが整ってくるこの時期 われわれ保育者の課題も浮き彫りになってきます。

そのことにどう向き合うか 乗り越えるか…

ドンリュウの内面は多少トゲトゲしくなっていたのでしょう。

ありがとう○○ちゃん この週末に 園長先生のこころのとげは抜いてみるから…。

 

うれしい文句

今朝 なんとなく朝の通園バス(黄・緑コース)に添乗しました。

一便目の黄色コースを終えて 園内で用事を済ませてバスに乗るために玄関を出て 砂場に寄ったら「えんちょうせんせ なんで あさ そとにでていなかったのさ(門のところにいなかったの?)」とふくれっ面で文句を言われました。

その口調と表情からは 「どうして いつもみたいに門のところで待っていてくれなかったのさ(待っていてほしかったのに)…」というかわいらしい不満がにじみ出ていました。

その気持ち ドンリュウはなんともいえずとっても嬉しかった…。

彼女はバスを利用せずにおとうさんおかあさんに送ってもらうのですが 立礼するドンリュウを上目遣いで一瞥しても けっして「おはよう」と声を出して挨拶することはありません。

でも 幼稚園でいろいろなことを話しかけてくれる彼女の気持ちは よくわかっています。

幼児期の発達には きまり?があります。

心情 意欲 態度を養うことで様々な面で成長・発達を遂げて行きます。しかし 気をつけなければならないのは この3つには「順序」がある ということです。

生涯にわたる そのひとらしさ 人格 風格 ふるまい … は 型からはいって(上からの強制で)身に付くものではありません。 心情の豊かさが → 意欲を高め → その人らしい自然な振る舞い(態度)につながるのです。

挨拶も同じことですよね。 ドンリュウが門のところで出迎え立礼することをうれしいことと受けとめ好意をよせてくれることが なにより大事な挨拶の意味です。

そのように思いのキャッチボールができれば 大げさに言えば 文化や国境を超えて互恵の豊かなコミュニケーションをとれる人間に育つ基礎が身に付いたといえるでしょう。

型は いつでも どうにでもなります。幼児期に培いたいものは 型 以前のものではないでしょうか。

彼女は そんな大事なことを 再確認させてくれました。

初々しさと凛凛しさ

今朝 通園バスの試運転があり 門の出口で見送った後 月寒小学校へ登校する小学生を見守っていたら 3月まで小学生にまじって中学校に向けて通学していた卒園生が同じように歩いていて 少し不思議に思いました。(彼女はこの春に中学を卒業したはずだから…)

近づいてきた ゆいちゃん(さん)の姿を見て気づきました。似たような制服で同じ時間帯同じ方向に歩いているけれど 違う真新しい制服に変わっていました。「そうか今日から高校生だね…」と声をかけたら「昨日入学式でした」とこたえてくれました。「○○高校か。ほとんど同じ通学路だね…」と言ったらニッコリ素敵な微笑みを残して歩いて行きました。

その僅か後 今度は反対方向に向かって 卒園生が制服ではなく若者らしい学生風の爽やかな服装で颯爽と歩いて行きました。双子の姉妹で美晴に通っていたころは とても仲良しの姉妹だったのであえて別々のクラスにしたけれど 高校からは本人たちが希望する別々の道を進みはじめたと聞いていました。

進入学児童の初々しさを微笑ましく見守りながら 卒園生の凛凛しい姿に感動しました。

幼児教育・保育の潮流

ドンリュウ園長は 29日(土)30日(日)と東京に出張しました。

ここ4年程恒例となった 東京大学乳幼児教育研究会と公財)全日本私立幼稚園幼児教育研究機構が共催している国際シンポジウムに参加することと 幼稚園の砂場に関する調査研究の会議があったからです。

 

 

 

 

 

今回はカナダオンタリオ州教育省の幼児教育担当の副大臣と ニュージーランド教育評価局の幼児教育担当の責任者がゲストスピーカーでした。

美晴幼稚園の保育内容や体制(平成26年度から保育者の配置が充実します)は 幼児教育・保育先進国といわれるカナダやニュージーランドの現状や将来の方向性と通じるものが多い事が 今回も確認することができました。

保護者の皆さんには5日の保育説明会で 美晴幼稚園の新しい体制を含めて詳しくお話しします。

2日目の今日は 研究機構で進めている 幼稚園の砂場でのあそびの研究についての会議を行いました。この研究については 昨日のシンポジウムの中で ゲストスピーカーの二人をはじめOECDの教育局主任アナリストも強い興味を示され 保育の実践現場で地道に積み上げられた研究成果を日本から発信できるかも知れません。

その後 共同研究で多くの示唆をいただいている 立教大学の石黒先生と短い時間ではありましたが研究室の大学院生や学生にも協力してもらっての共同研究の実施について打ち合せをすることができました。これまで通り 共同研究の取り組みでの成果は美晴幼稚園の日常の保育にいかされて行く事と期待しています。

写真もUPしましたが 東京は桜の花が満開になりました。北国の桜の開花ははまだまだ先ですが 新年度への期待がふくらんできます。

 

 

安全確保を!

告発のようになるので 実態が改善されるまでずっと控えていましたが 行政や地域 学校の少しの配慮で子どもたちの安全を確保することを考えてみたい ということが身近でありました。

 

 

 

 

 

 

美晴幼稚園に通園しているみなさんはご存知でしょうが 幼稚園前の道路の札幌よりの歩道が ここ数週間 除雪の雪で塞がれた状態になっていました。子どもをはじめ通行人がけもの道のように雪山の上を歩いて道をつくり なんとか往来できるようにはなっていました。

除雪で歩道がふさがれた次の日 除雪センターと区役所の担当部署に現場を確認していただいた上で強く改善を申し入れましたが 結局 昨晩この地域の最終盤の排雪作業でやっと排雪され歩道があらわれました。(右の写真が今朝の様子です)

この道路は生活道路で 断続的な排雪が行われる道路ではありません。しかし この地域で生活していたり仕事をしていれば知っていることですが 月寒西地区は旧日本軍の軍用地だった名残ともともとの地形もあってか 現在でも幹線道路が区画整備されていない地域で 西岡や福住方面から札幌方面へ通行する車両の抜け道は 国道の他にはありません。唯一 幼稚園前からあんぱん道路を経由して国道への経路が抜け道となるため 上の写真のように朝夕や国道の混雑によっては 幼稚園前の道路の通行量が多くなります。

この冬から 月寒小学校の通学路が変更になり この道路を利用する児童が大幅に増えました。そのことも踏まえ申し入れましたが 普通にみればどうにでもなる理由をならべて直ちに改善できない旨の説明に終始するだけでした。とても残念です。

実は 写真左の様に雪山の内側を歩く状態は ある意味 安全だったとも言えます。しかし … です。

子どもたちの往来を優先して 狭い車道を歩く方が 危ない思いをされているところを何回も見ました。危険な場所は 歩道を含めた道路の幅員をしっかり確保する 本来の道路管理を求めたいものです。

 

 

 

 

 

 

「先生…」

秋谷先生の告別式で 茶道の社中の代表の方が弔事を述べられました。

その弔事の最初の言葉は「先生…」という思いがこめられた呼びかけでした。

その「先生…」の一言がずっしりと重たく響き 代表の方の秋谷先生への敬愛の気持ちがしっかりとこめられていたのです。

それから 茶道のお仲間が多いとはいえ 女性の多くの方が和服(喪服)をきちんと着て 身なりを整えていらっしゃいました。

私たち幼稚園の保育者(教諭)も子どもや保護者 そして一般の方々から「先生」と呼ばれます。

しかし それが単なる職業上の呼称であるのと 子どもや保護者の皆さんの思いが込められて そう呼ばれているのとでは まったく持つ意味が違ってきます。

本当に敬愛されて 「先生…」と呼ばれるには その人の教師としてのあり方 普段の言動やふるまいにあらわれてしまう その人の人間性も問われるのでしょう。

そのことを 私を含めて現在の美晴の職員に重ね合わせてみると 遠く至らない現実を思い知らされます。

秋谷先生には 最後の最後まで 足もとを照らし導いていただきました。

今一度 私たちのあり方を見直して 子どもたちに向き合い保育に取り組みます。

おしゃべりタイム

今日は おしゃべりタイム。

じっくり4時間 保護者の皆さんとそれぞれお話しさせていただきました。

子どもにまつわる話が中心になりますが ドンリュウはどんな時も皆さんのお話しを丸ごと受けとめて 自分の思いや考えを率直にお話しします。

その時 何か正しいことを とか 何かアドバイスになることを お話ししなければ とは考えないようにしています。

そして 誤解を恐れずに言えば いつもお話しを終えた後はさわやかな気持ちになります。

それはなぜか…。

きっと どの方も 本当に真剣に子どもの事 ご自分の事 互いのことを考え 時には悩み 行き詰まりながらも 前をしっかりみつめているからだと思います。

子どもは必ず育ちます。そして 親も子どもと歩みを同じくして親として人間として育ち続けます。

そして 私は幼稚園の園長として 育てていただくのでしょう。

子どもが育ち可能性を広げることを信じ続ける事。その事に触れられることは幸せなことだと思います。

 

 

教育の源流

金曜日 午後から旭川のふたば幼稚園へ出かけ 研究会に参加しました。

土曜日は 私の母校である東海大学旭川校舎(北海道大学芸術工学部)がこの3月で閉校するため 同窓生 旧職員 をはじめ関係者によるおわかれの会に参加してきました。

 

 

 

 

 

 

同期で撮影した記念写真の向かって右から二人目が私(ドンリュウ園長)で同じく向かって左から二人目が こぐまの森のプレイホールガリバーを設計した 小西彦仁(親友なので呼び捨てで…)。

芸術工学部は東海大学の中でも 最北のキャンパスでこじんまりとその教育が営まれていましたが 世界で活躍するデザイナーや技師を輩出しているばかりでなく 東海大学の創設者である松前重義が デンマークでニコライグルントゥヴィーにより実践され 後に そのことに強く感銘した内村鑑三によって日本に紹介された国民高等学校の理念を具現化した大学でした。

国民高等学校は農民の健康増進と学究を保証し 質素であっても文化性のある豊かな生活の実現を目指した運動だったそうです。

この大学のように 小さく地味ではあっても 学生と教授 運営を支える職員が 同じ地平にたって 膝をつき合わせ 手を携え 世界にまなざしを向けて教育と研究が営まれた大学は そう多くないと思います。

当時 700名ほどの学生の名前を ほとんどの教員と職員がわかっていて 学生同士の交流も全学にわたって有機的につながっていた 希有な大学でした。

本当はこれからの時代こそ必要な大学であったように思いますが かたちをかえて東海大学札幌校舎にて引き継がれるようです。

私は この大学で学生としての4年 教務と野球部のコーチ担当の職員として4年 計8年間を過ごしました。

現在 私がリーダーである美晴幼稚園の教育の源流の一つは 間違いなく 北海道東海大学での経験と その大学の根底に流れていた 北欧の国民高等学校の理念といえます。

この時期に このことを再認識できて本当によかったです。