子どものいずらさ

マスコミの報道から 子ども(とりわけ赤ちゃん)がいる家族の公共交通への乗り方について インターネットで議論になっていることを知りました。

きっかけは 新幹線に乗車している場面で 赤ちゃんが泣いたことに近くの座席の方が舌打ちをしたことの是非?だったようです。

以前に 首都圏などの電車でのバギー(ベビーカー)の乗車の仕方と保護者の振る舞いが同じ様に議論になったようですが いずれにしても このようなことが様々な場で議論になる事自体 現在の日本の社会が 子どもや 子どもを育てている家族へ冷たい社会になっていることの証明といえるでしょうね。

おまけに 子育てを支援している あるいは 子育ての評論家を標榜している人たちの一部が 「大事なのは 赤ちゃんは泣くのが当たり前だけれど 周囲に”迷惑”を掛けた親が いかに申し分けないオーラを出すか あるいは 具体的にお詫びするかが大事…」なんて平気で論評する始末…。

成熟した社会というのは 助け合いや社会的弱者へやさしい あるいは 社会的弱者といわれる人たちがあたりまえに生活することが保障され 社会活動できるようにユニバーサル化された社会のことでしょう。

この写真はドンリュウが昨年スウェーデンの学会に出かけた時 ヨンショービングへ向かう各駅停車の電車の車内です。手前左は車いすのまま使用できる広いトイレ。見づらいけれど 中央にみえる鉄の手すりはホームと同じ高さの出入り口から客席の床まで持ち上がる電動リフト。

途中 バギーを押した親子とおばあちゃんが乗車されましたが 当然 バギーもこのリフトで昇降します。

赤ちゃんの泣き声に思わず舌打ちをした人がいても責めることは必要ないでしょう。そのような個別具体のことは人間同士の中では 成熟した社会でも日常茶飯のことと思います。

社会全体の意識や常識 そして 仕組みや機能が 子どもをはじめ 社会的に弱い立場の人々にやさしいものになっていれば 冒頭の議論は盛り上がらないと考えます。

前にも書いたけれど ストックホルムの繁華街でも公共施設や交通機関でも 赤ちゃんを抱っこしたりバギーを押したり やんちゃやおてんばの相手をするのは基本的に父親の役割で 母親は悠々とショッピングをしたり用事をたしたりしています。それがとっても自然な風景として街にとけ込んでいます。そして その様子を見守る周囲のまなざしはとてもあたたかなもので 困った様子があればさりげなく誰ともなく助けます。それは田舎町でも同じでした…。

それは 子育てをしている親を助ける というより 子どもの存在 あるいは子どもが健やかに育つこと自体が社会全体にとってとても大切なことだという共通意識が 根底にあるのだと感じました。

この国もかつてはそうだったはずなのに…。