カオスモスの運動と逆教育−2

前回 社会(広い意味で世界)の大きな変化の真っ只中にある現実と多様な人々が互いに共生する社会で自分らしく幸せにいきるには どのような幼児期を過ごすことが求めらるのか という大きな問題を幼児教育(保育)の現場で考える時 「カオスモスの運動」と「逆教育」の概念を踏まえることで先が見えてくる ということを書きました。

「カオスモスの運動」は丸山圭三郎という哲学者が著書名にした概念ですが 私が美晴の保育でいかすエッセンスは 二項対立の構造や既成概念の枠をこえた保育実践(運動)を実行する ということです。

対立の構図で語られること 「一斉あそび」⇄「ひとりあそび」 「保育」⇄「障害児保育」 「設定あそび」⇄「自由あそび」 「学齢別保育」⇄「異年齢混合保育」 「静か」⇄「騒がしい」 「静的」⇄「動的」 「体育系」⇄「文化系」 枚挙にいとまがありません…。

幼児期の子どもは 本来 理解の難しい存在です。大人が関与しなければ子どもの集団は一見混沌(カオス)として見えます。

しかし 注意深く継続的にこころで寄り添えば 自然な存在であるすべての子どもと周囲との関係には 厳然とした秩序(コスモス)があることに気づけます。

一見 騒がしく無秩序にあそんでいるかのように見えるあそびの中に 必ず 規則性や発展性 系統性があります。ただ そこには「安心安全の中で子ども自身の自発性や主体性が存分に発揮される」 という条件が保証されていなければいけませんが…。

その環境(条件)で 子どもは大人やお友だちとのかかわりを通して 自分の課題に向き合い 自らを自分らしくかたちずくってゆく(教育する)ことが可能となります。

言い換えると 子どもは例外なく 誰もが皆 自分をかたちづくり他者(世界(社会や自然))とつながる力をつける 学びの主人公なのです。

現実の 子どもと 子どもの周囲には カオス(混沌)とコスモス(秩序)が混在しているのですね。

カオスモス(カオス/コスモス)の運動の中で乳・幼児期の子どもを見直してみると 違った見え方や風景がひろがります。

「逆教育」は次回。