どんりゅう園長のひとり言

不人気らしいけれど

日ごろ テレビの連続ドラマはみないどんりゅうですが、日曜日の夜は子どもの影響もあり2つの番組が気になっています。ひとつはNHKの大河ドラマ「平清盛」。そうひとつが「家族のうた」。両方とも視聴率は低いらしいですが…。

大河ドラマは松本幸四郎が市川染五郎だったころ主演した、「黄金の日々」という作品をみてから毎年みていましたがここ数年は日曜日の出張や仕事も多く滞りがちでした。

今年も毎回みているわけではないのですが中学生の娘がみていることもあってテーマ曲とタイトルバックぐらいはみることがあります。

その時、後白河法皇が編さんした、今様(いまよう)という当時の流行歌を集めた梁塵秘抄(りょうじんひしょう)の有名な歌、「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」。という歌が小さく語られます。劇中も流れるらしいけれど…。

子ども時代はまさに「あそび たわむれる ために生きる」時なのに、今の子どもたちは「将来の為に…」という大人の思い込みでその大事な「生」を奪われてはいないでしょうか?

確かに子どもは未来に向かって生きてはいますが、決して未来の為に生きているわけではないでしょう。かけがえのない「いま」をどう生きているか、が本当は一番大切なのに…。そして、その子どものあり様に、大人はこころ動かされ元気の源をもらうはずなのに…。

もう一つ、「家族のうた」も小学生の娘たちが欠かさずみているので、何気なくみていましたが、このドラマも主題歌:斎藤和義さんの「月光」という楽曲がなかなか好いなと思います。歌詞の中に「こっちの席じゃ若者が『男の価値は何で決まるのかな?』そしたらとなりの女が『そんなの”家族”に決まってるでしょ!』」というくだりが…。作品の内容もなかなか、です。

もう何年も前ですが 放送作家のテリー伊藤さんが「男がいちばんかっこいいのは ファミレスなんかで家族の中でお父さんの顔をしている時…」というようなニュアンスのコメントを雑誌に寄せていて、テリーさんのコメントらしくないなぁ、と感じながらも、とても納得しながら読んだことを覚えています。

視聴率に関係なく 制作者の思いが込められた良い番組はあるものです。

 

「はがぬけたよ…」

今日、青バッチの女の子が「歯が抜けたよ…」と大きく口を開けながら とても嬉しそうに教えてくれました。

「どれどれ」 と覗き込むと 下の前歯が一本抜けていました。他の歯は乳歯でしたので、彼女はきっと初めて歯が抜けたのでしょうね。

かつて シュタイナーという教育者は乳歯が抜けはじめるまでは、知的に偏ったり大人から強制する教え方で子どもを育てることをいましめていたようです。それは、後に育つべき子どものエネルギーを早いうちに萎えさせてしまうから、と。現代においても核心をついた指摘かも知れません。

 

同行(どうぎょう)

ガリバーまでの最後の下り坂で、年少ピンクバッジのお友だち2人が最後尾を歩いていました。ちょっとだけ抱っこされたりおんぶされたりしましたが、結局最後まで自分のリュックサックを背負い歩き通しました。

 

 

 

 

 

 

その後ろ姿がなんとも愛おしく素敵に感じカメラにおさめました。まさに同行二人ですね。

母の日

金曜日はほぼ全員が出席でした。帰りに持ち帰った母の日のプレゼントはお母さんにわたりましたか?。

いちおう 先生からは 「プレゼントは日曜日の母の日に ホッペタにチュして渡そうね…」と伝えていましたが、帰りのバスを降りると同時に素敵な笑顔でプレゼントを渡す姿もありました。

「母の日」は子どもにとっても嬉しい日ですね。

今日、お世話になっている幼稚園の園長先生のお母様の告別式に参列しました。お悔やみを申し上げたところ「東さんのお母さんもお亡くなりになったんだってね。知らなくって…」「はい、一昨年他界しました。家族だけで看取りおくりましたので失礼しました…」

昨年から、「母の日」は子どもの私にとって母を偲ぶ日になりました。

出張していました

昨日早朝から全日本私立幼稚園連行会と財団法人全日本私立幼稚園幼児教育研究機構の役員会が有り東京に出張していました。今日の避難訓練、無事、完了したと報告を受けました。

今期で役員を退任する私には最後の役員会となりました。一年間の会務報告の後、外部役員の先生方から災害時および原発事故を含めた災害後の幼稚園としての対応について、大変貴重なご意見をたくさんいただきました。このことは、全国の幼稚園にとって大事なアドバイスであると同時に美晴幼稚園にとっても大変考えるべきことの多いお話しでした。

遠い土地へ避難された方も、地元にとどまっている方も、いずれにも繊細で複雑な思いがおありになること。そして、そのことをしっかり受けとめながら、幼稚園として出来る限り子どもとともにご家族への理解を深めることの大切さを再確認しました。震災も原発事故も進行中の問題であることをしっかり胸に刻んで、これからも保育を進めてゆきたいと思います。

 

休日の仕事

4日 5日と東京家政大学で開催された日本保育学会大会の 保育学会企画のシンポジウムで話題提供者として発表する仕事があり出かけていました。

東京家政大学は東京23区内にある大学としては東京大学に次いて2番目に広い敷地面積だそうで大木があちらこちらに茂っている素晴らしい環境のキャンパスです。

さぁ 明日からいよいよ午後の保育もはじまります。生活のリズムを整えながら一日をしっかり過ごすように配慮して行きます。

61年前のこどもの日にこんな約束が…

61年前のこどもの日に国民の約束事として「児童憲章」が制定されました。

昭和二十六年五月五日

われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。

児童は、人として尊ばれる。

児童は、社会の一員として重んぜられる。

児童は、よい環境の中で育てられる。

一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保証される。

二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。

三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。

四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。

五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。

六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。

七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。

八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。

九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。

十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。

十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。

十二 すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。

当時、国民の総意として定められた「子どもへの約束」。本当にまもられ実現されているのか…。美晴幼稚園ではどうか?我が家ではどうか…?一年に一度は胸に手をあて考えてみたいものです。

 

スプリングフラッシュ

連日の好天で山桜の花が満開に

ムラサキツツジ ヤマコブシ レンギョウと札幌は”スプリングフラッシュ”の季節ですね

ガリバーの前の通りの街路樹も満開に ムラサキツツジ 梅とコブシの花々です

 

根っこを育てる保育

 美晴幼稚園の保育は保護者をはじめご家族の皆様と手を携えながら、それぞれの子どもの生涯の“根っこ”を育てる営みです。

 幼児教育は別名「見えない教育」といわれます。なぜかといえば、幼児期にこそ育てなくてはならないものは、感受性や概念の形成、想像力や表現力、他者(人、もの、できごと)との関係性を調和の中で豊かにする、自我(私の世界)と超自我(私たちの世界)を併有する、アイデンティティーをはぐくむ…等、目に見える成果に左右されたり、他の子どもとの比較で、はかれる類のものではないからです。

今、幼児期にいる世代の子どもらが大人になる時の社会は、現代の社会より生きづらく幸福感を得難い時代であろうことは想像に難くありません。だからこそ、人生の風雪に耐えうる根っこを育みたいのです。

手をたずさえながら

 卒園に際しての保護者からの言葉を綴った「しろつめくさ」という文集に今年こんなメッセージがありました。

 まいあさ、手をつないで行った登園バスまでの毎日はママにとって宝ものです。小学生になっても時々は手をつなごうね。

毎日の登降園の道のりで、手をつなぎながら思いが通じた中での問わず語りや何気ない会話の中に、子どもの素直な思いや成長の姿を垣間見ることができるものです。でもこの様な珠玉の時間は子どもが幼い時期限定のものともいえるでしょうね。

その貴重な毎日がいよいよスタートしました。幼児期の子育てはまさに同行(よりそい共に歩む)で進む楽しい営みです。