被災した保育者がおしえてくれたこと

昨日 保育は日常の営みそのもので いっけん 毎日繰り返され ありふれているような生活を過ごせること自体に 大きな意味があり 貴いものだ と書きました。

東日本大震災後 文部科学省の委託調査研究で 地震と津波により甚大な被害を受けた幼稚園の調査を担わせていただいたとき 現場の保育者へのインタビューの中で 若い主任教諭が語った ごく普通の言葉には重たく深い思いが込められていました。

「地震の後 保護者が日々幼稚園(私たち)を信頼して子どもを預けてくださること その子どもたちと普通に一日過ごせることは 当たり前のことではなく特別なことなのだとわかりました…」

「だから 一日もおろそかにしないで 子どもが安心して良い時間を過せるように努力して 子どもの成長を支えたい…」

あの日あの時刻 県を問わず小学校の下校と重なった地域の保護者の多くは 幼稚園ではなく小学校へ兄姉を迎えに行かれています。

思いがけず 咄嗟にその様な行動をとった保護者は 共通してこんなふうに幼稚園の保育者に詫びています。

「幼稚園の先生たちは必ず子どもの命を守ってくれると信じていた…。だから下の子どものお迎えを後にしてしまった…。」

実際 その思いにこたえて 幼稚園の保育者は 私たちが調査した中では地震から最長7日間 保護者がお迎えにこられるまで 避難先を移動しながらも 園児の命を守りぬいています。

ちょっと変な言い方になりますが この様な 保護者の不確かでたぶん普段は無自覚な信頼感は 幼稚園にとってかけがえのない宝物です。

きっとそれは 長い年月 歴史の中で 個別の幼稚園や保育者というわけでなはく 冒頭の主任教諭のように 子どもや一日一日の生活をいとおしむ意識が 地域をとわず 「幼稚園の保育者」 に通底していたからこそだ と私は思います。

調査では 保育課業中に 園児と職員の貴い命をなくしてしまった 幼稚園の園長と主任教諭の先生にもお話しを伺いました。

幼稚園の保育者である以上 園児の命を守り切れなかった責は背負い続けなければならないですが 最期の一瞬まで 子どもと共にあって命を守るという使命をはたそうとした保育者がいた事実とその思いは 防災と準備というかたちにかえて 引き継がなければならないと思います。

園長 東 重満