「んぐまーま」

詩人の谷川俊太郎さんは絵本や小学校の教科書に掲載される文章をたくさん書かれています。「んぐまーま」や「もこ もこ もこ」を愛読されていた(いる)ご家庭も多いことでしょう。娘の小学校3年生国語の教科書は谷川さんの音読を楽しめる詩から始まっています。

ちょうど10年ほど前、その谷川さんを交えた小さな勉強会に参加し、谷川さんが小学生の授業で散文を書かせた体験を引いてお話ししていた内容が幼児期の保育にも共通するなぁと感心したことがありました。

曰く「10円玉を机の上にころがして『いまの様子を自由に書いてごらん…』とこちらが言ったとたん、子どもの鉛筆はとまります。なぜだか分かります?…」

 

子どもが自由でいられるということ

もし、そうではなくて「今の様子を『チャリン』じゃなくて、なんでもいいからみんなが思うように好きに書いてみてごらん。」といったら子どもの鉛筆はスラスラ進み、発想の泉が湧くようにどんどん面白い言葉、その子らしい表現が出てくるものです…。

『チャリンじゃなくて…』と言った瞬間に子どもの既成概念の呪縛が解かれ、新しい発想の窓を開いてくれるのでしょう。

子どもが自発的、自主的にあそびの世界を広げ自由自在に楽しむことができる状況をつくるには、なんでもありだよ、好き勝手にしていいよ…ということではなくて、まずは大人の強制や無意識の強要を解いてあげることから始まるといえるでしょう。

 

難しいけれど「行為の可能性」

あらゆるモノや状況には、必ず行為の可能性が秘められて(内在して)います。積み木を見れば積んでみたい。ミニカーがあれば転がしてみたい。ふかふかの芝生やマットがあれば転がってみたい。ちょうど良い高さの台があればそこから飛び降りてみたい。団子虫がいればつまんでみたい。土穴があれば穿ってみたい。木漏れ日をあびれば深呼吸をしてみたい…。

美晴幼稚園の子どもたちは一人のこらず、この「行為の可能性(難しいけれどアフォーダンスという概念)」をしっかりもっています。このことは、必ず成長・発達の原動力になります。

それぞれの姿はあっても新入園の子どもたちを含めてあそびに集中できるのは、その証しです。

 

そして保育の可能性

この能力を子どもたち皆が授かっているからこそ、私たち保育者のあり方次第で、美晴の保育が豊かなものになる可能性があるといえます。本当に皆素晴らしい子どもたちです。

そして、ご家庭のご理解とご協力が様々なかたちで織りなされることも、保育を豊かにするとても重要な要素です。その様な活動の中核になるのがPTAといえます。

今年も、各クラスの幹事さんが決定し新しいPTA会を中心にした活動が始まりました。そして今年もお母さんばかりでなくお父さんはじめご家族の方々からも協力のお申出をいただきました。今年もよろしくお願いします。