保育者の評価感(哲学?)

昨日 美晴の家保育園の月例カンファレンス(全職員参加)がありました。ドンリュウ園長は研修会と重なっていて冒頭しか参加できなかったけれど その後も 美晴の家保育園らしい保育をかたちづくり進める上で意味のある話し合いが進められたようです。

ドンリュウは現場での交流、文科省や厚労省の会議の中でつくづく感じることがあります。それは 日本の保育者の子どもへの評価感の独自性とすばらしさです。

小学校以降の教員や医療そして療育の場では 子どもが10回トライして一度でも失敗すると(出来なければ) 課題を達成した(身につけた)とは評価されません。

一方で 幼稚園や保育園の保育者は 10回(いえ 無数)の挑戦の中で一度(偶然でも?)出来れば 課題達成(出来た・出来る)と肯定的に評価します。

これは どちらも間違えではなく 立場 哲学が違う というだけのことです。

でも 私は 人間が幸福感をもって 前向きに生きてゆくには 保育者の評価感は不可欠だと確信しています。

子どもへの信頼と 根拠のない確信(思い込み?) が人を育てるのだと。

美晴の家保育園の保育者も もちろん 美晴幼稚園の保育者も そんな保育者集団であることが 園長としての喜びであり誇りです。