3.11

直接 被災しているかいないかにかかわらず 被災し苦労されている方々 亡くなったり行方不明になられた方々やご遺族に 3.11の前後は どのようなかたちであったもしっかりと思いを寄せたいものです。

この春の卒園児がうまれたのは 平成22年4月2日〜平成23年4月1日。この子たちは 震災からの年月と同じだけ年齢を重ねることになります。

平成23年度は私にとっても 美晴幼稚園にとっても 大きな分岐点となった一年でした。

その一年間 私は美晴幼稚園の園長職を離れていました。さまざまな理由があったのですが 公財)全日本私立幼稚園幼児教育研究機構の仕事や 文部科学省の委託研究の責任者として震災後の調査研究を担っていたため被災地に調査に出向き 園を不在にすることが多く そのために子どもにも保護者にも そして職員にも十分なかかわりや対応がもてずに 不快な思いや不安な気持ちにさせていまう事が少なくありませんでした。「園長が幼稚園に居る意味」を深く考えさせられました。

あの一年間の経験を通して いかに 日常あたりまえにしていることが尊いことなのか。そのあたりまえのことに あまえていてはいけないということを 無意識のうちに身に染み込ませていて 自分自身の在り様もかわっていったのだと思います。

6年前の3月11日 私は東京にいました。私立幼稚園の各都道府県の代表者が集まる会議があり その終了間際にあの地震が発生しました。直後に通じた電話で幼稚園の様子は確認できましたが 震度5強の揺れで東京の都市機能はマヒしたため 電話やインターネットは通じなくなり その後は帰宅難民となって 翌朝 羽田空港にたどり着くまで 緊急地震情報が鳴り止まない携帯と季節はずれの寒さに凍えていたことは 今でも鮮明に覚えています。

その後 1年ほどの間 東京は公共施設やコンビニエンスストアー 電車や駅構内の照明は最小限の明るさまで消灯され異様な風景でした。

時間をかけ 被災三県の沿岸部へ現地調査に赴き 視察やインタビューを重ねるたびに 自分の中に重たいものが残り 今でも消化しきれずにいて 先ほども書きましたが 自分の有り様に何かしら影響し 保育における価値観や 職員への指導や助言につながっています。

明日 午後から研究機構の会議があるため 幼稚園のお別れ会は最後まで参加できませんが 3.11のことを子どもたちや職員に何らかのかたちで伝えたいと思っています。

追伸 このブログ 美晴の家保育園で書いているのですが 保育者がとなりの部屋で「3.11のこと0〜2歳の子どもたちと共有することは難しいけれど 私たちはそのことを心にとめて保育しようね」 と語り合っています…。

園長 東 重満