島松駅逓(クラーク博士記念碑)

昨日 幼稚園の玄関ドアの修繕工事(ドアの下が床のタイルに擦れていたので)の立会いをした後 北海道文教大学の75周年記念式典に出席するため恵庭に出かけました。(そのため小学校の運動会を観に行くことができませんでした)

帰り道 島松で旧道に入り 駅逓跡の脇にある  クラーク記念碑に立ち寄りました。(ちょうど2時前ころで 雨がパラつきはじめました)

生前 子どもの頃から幾度となく父に連れてきてこられた場所でしたが あらためて 記念碑に書かれているクラーク博士の年譜を読むと ちょうど50歳の時にわずか8ヶ月間 札幌農学校の教頭に赴任していたことがわかりました。

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(写真をクリックすると鮮明に写真を見ることができます)

父が現在の美晴幼稚園を設立したが49歳の時。最近 創立者である父の気持ちが少しだけわかるようになってきました。

何故 幼稚園を設置し運営するのか…。社会環境や制度が変わっても そこのところは地に根をはるようにブレてはいけないのだと思います。

小学校の運動会は大事な思い出に、

先週そして今週と 雨模様で気温が上がらないお天気のもと小学校の運動会が行われましたね。小学生生活最後となる6年生のことを思うと家族が見守る中で思う存分の運動会にしてあげたかった という思いもあります。しかし 天気(自然)のことは人間の力や思いは及ばない というとを身を以て経験することはとても大事だと考えます。

大袈裟だけれど 子どもはこんな経験を重ねながら人生というものを学んでいると思います。これから先 自分にとって人生を左右するような大事な日 自分のコンディションが良いとは限らない…。

いくら頑張って 万全の準備をしていても…。その日の天気とか 運とか…。うまく行かなくて結果がおもわしくなくて それで 一時立ち止まっても 前に歩みを進めなければいけない時は誰にでもあるでしょう。

運動会を終えた小学校から 礼状や学校便りが届いています。その中に自分が小学校の頃 苦手だった教科の授業にTT(ティームティーチング(複数指導))にはいられている先生のくだりがありました。

そういえば ドンリュウは多動性があり注意が欠如している子どもで 特定の科目や学習内容がとっても苦手でした(というか今でも)。

自分が記憶しているだけでも 5歳と7歳の時に 自らの不注意による 高所からの落下と車道への飛び出しで2度命を失いかけている。というより 状況からいえば命をなくしていてもおかしくなかった…。

2月生まれということもあるけれど 読み書きを覚えるのはとっても遅く 算数の時間もみんなが手をあげても自分だけわからず焦るやら切なくなるやら…。九九を暗唱で覚えるのもクラスで一番遅かった。

それなのに懇談で母は毎回担任の先生から 「いつも黒板(前)を見ないで 後ろや横を見ている。だから注意してあてるとちゃんと答えたりする時もある…。」 いつもニコニコしていたらしいけど 突然感情が高ぶったり わけのわからない子どもだったと思う(これも今でもあまり変わらないけれど)。

そんな ”僕” を 家族はもとより周りの人はいつでもどこでも受け入れて一緒にいてくれて(大人はまもってくれて) 学校も 先生や友だちも 大好きだった(3年生の担任の坂本先生が「東くんが休んだ日はとても寂しかったよ」と寄せ書きに書いてくださったのは本当に嬉しかった)。

長々と書きました(幼稚園の玄関ドアを修理していて一日中幼稚園にいるので)。

TTで授業にはいられた先生は 自分が教師を志した大学入試で算数(数学)の苦手意識を克服され ご自分の夢を叶えたそうです。

ドンリュウは勉強は大嫌いだったけれど学校が大好きだったおかげで 36歳になって学業を修め 幼稚園の園長になり大学の教壇に立つことができました。

4人姉弟(姉3人)の中で自分だけ一度もリレーの選手になれなかったけれど 家族で昼食を囲んだ運動会は鮮明に思い出します。

得意不得意をこえたところに学校生活の大事さがあるのでしょう。子どもたちが ありのままを受け入れられ 安心安全で毎日過ごして 地道に歩みを進められる場であるように 今一度 美晴幼稚園の生活を見直してみたいと思います。【園長 東 重満】