どんりゅう園長のひとり言

あたりまえの社会… と 美晴幼稚園

リオデジャネイロのパラリンピック競技大会が閉幕しました。オリンピックと遜色ないほど地上波でのテレビ中継があり メダルの獲得数以上に 私には大きな変化を感じる大会でした。

52年前 1964(昭和39)年の東京オリンピックの際にもパラリンピックの競技大会が開催されていたことは 最近まで報道などマスコミで伝えられることはあまりなかったと思います。(今でも開催されたこと自体知らない人も多いでしょう…)

その東京パラリンピック競技大会の選手団長を務めた中村 裕(ゆたか)医師は 当時の日本と外国の障害者スポーツ競技者が置かれている環境と生活の違いに愕然としたと伝えられています。(実はそう言う私も 現在 構成員として参加させていただいている内閣官房の2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて国が進めるユニバーサルデザイン会議の第1回会議の際に知らされました)

中村医師は パラリンピックが終わった後 外国の選手が銀座などの繁華街でショッピングや休暇を楽しみ 自国に戻っても仕事があり納税者として生き生きと生活することが保証されているのに対して 日本の選手は 大会後 施設に戻り社会とは一定距離がおかれた生活環境の中で過ごさざるを得ない実態を目の当たりにします。

中村医師はその後 日本の事実に毅然と立ち向かい 障害者スポーツの振興と 医師の立場で障害者の社会参加と社会変革に心血を注がれました。

この50年で日本はどれだけ変化できたでしょうか。社会インフラの整備といったハード面でも 社会全体の意識(心のバリアフリー)といった面でも 諸外国の進展についてゆけず その差が広がっているのが実態といえるでしょう。

国の会議では様々な障害者団体から 社会変革においては学校教育の重要性が指摘され その期待が述べられる一方 必ず 幼児教育・保育と高等教育(大学・大学院)の制度や現状 そして現場の意識の遅れが厳しく指摘されます。

事実 日本の幼稚園・保育所 大学での受け入れ段階からの不当な差別的対応は従前から変化の兆しさえみえず 今なお 教育の機会さえ平等に得られない現状にあります。

加えて 入園(所)・入学後も合理的配慮といった必要な配慮や支援を受けることばかりでなく 他の関係者から理解を得られず肩身の狭い思いを強いられる現実も否めません…。

ノーマライゼイションを実現するには当然大きな社会的コストがかかります。それは財政的なコストばかりでなく 互いに認め合い 互恵の関係を豊かにする 目に見えないコストもかかります。(だから あたりまえのはずの保育がひろまらないのだろうか…)

美晴幼稚園は在園児の30%がなんらかの支援を要する子どもたちです。これまでもこれからも 美晴の保育理念と保育形態を理解して美晴での保育を希望する子どもと保護者は 園の判断ではなく当事者の判断で就園が可能な幼稚園であり続けます。

一人一人の発達の在りようが際立つ多様な子どもたちで織り成される保育は カオスモスの運動体です。

つまり 多様さと未熟さゆえの混沌さと 赤ちゃんから備わっている自然の一部としての生得的秩序とが絶え間なく絡み合いながら 互いに刺激し影響しあいながら成長・発達の道程を進む保育…。(ん〜難しい!)

美晴の保育は完成形があるというか 正解or不正解(◯✖️)ではかれる保育 ではありません。絶え間なく 子どもと子どもの集団の変化(変容)を理解し その事実に即しながら試行錯誤しながら”最適解(よりよい状態)”を求め続ける保育です。

だから 保育者も保護者も その時々では これでいいのだろうか? 間違っていないのか? と不安や心配がつきまとうし 揺らぐ…。

美晴の保育は 長い時間を要して 子どもがじっくりしっかり育つ保育。並大抵の覚悟では続けられないし 保育者には高い使命感と倫理観が求められる…。

そんな美晴幼稚園に入園を希望してくださる子どもと保護者が今年もたくさんいらっしゃいます。もしかすると 希望されるすべての子どもと保護者に入園していただくことが かなわないかも知れません。

今月末を目途に 募集人員枠を最終的に決定しなくてはならないのは 悩ましいかぎりです…。

【園長 東 重満】

 

お泊まり会の保育者としてのふり返り

今回のドンリュウ園長のつぶやきは長いので…

今回のお泊まり会は欠席の子どもを含めて全員で一晩過ごす事できなかったけれど 幼稚園のお泊まり会としては全体を通して良い会だったことを前置きして本音のひとり言をだらだらと書きたいと思います。

と言うのも 前に何かで触れたと思いますが この夏 教員免許状更新講習を 京都 北海道 石川で担当させていただき 北海道の保育者のあそびを構想し実現するための指導計画の内容の乏しさを目の当たりにしたことに強い懸念を覚えています。そして今日 先週担当した石川の講習の試験答案の採点をしていて 他府県(両県とも日本の保育先進地ではありますが…)の保育者が 日常の生活の中で備えられた「常識」という基盤の上に 日々の保育のふり返りと気づきを通して保育者としての力量を充実させ そのことが子どもをはぐくむ保育の充実につながっていることを痛感したからです。

そこで 美晴の保育者の実態を省みたとき 大きな反省をもち課題として今日から向き合わなければならないと強く思っています。

例えば 昨日までのお泊まり会の中でも いくつも課題がみえてきます。

美晴は予めきめられた型にはめ込むのではなく 子どもと保育者の実態やその時々の実態に即してかたちづくる可塑性のある保育をモットーにしています。今回(実は昨年度も)保護者へのお便りでは2日目の起床時刻が実際は6:00なのに6:45と読める記載内容でした。保護者にとっては 夕食時刻 就寝時刻 起床時刻は生活リズムに直結する時間なのでとりわけ知っておきたい情報です。このような事が起きたのは 保護者説明会の段階では計画が十分ではなく”今年の”お泊まり会を一からつくりあげていなかったからです。

つまり お泊まり会を年長のこの時期に行う意味や意図(保育者としてのねらい)をきちんと保育者間で確認し同じ方向をむいて準備や具体の保育を進めていなかったことになります。

その 象徴的な様子は次の写真です。

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私はこの様子をみて ゾッとしました。「保育者に子どもが埋もれてる…」今年は現在入っている教育実習生が3名とも意欲的で宿泊希望(宿泊実習は毎年学生の意向にあわせて任意で行っています)であったこともあり保育者が多すぎます。

このことにだれも気づかず進めようとしていたので 私は年長の担当以外は輪から外れるように指示しました。

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それは お泊まり会は おとうさんおかあさんが一緒でなくても ”お友だちと一緒だから”一晩を越せる体験をすることで 自立心を高め成長の契機とすることに意味があるからです。そう 子どもにとって「ぼくたち わたしたちのおとまりかい」なのです。だから保育者が身近にいなくても2枚目以降の写真をみてわかるように 子ども全員が一体感をもってゲームを存分に楽しむことができていました。

もっと言えば これまで集団(とりわけ同学年の)にはいることを苦手にしていた子どもたちが ここにきて一緒に過ごす時間が長くなりかかわりも豊かになっていたので 幼稚園の生活や活動を考えてもこのお泊まり会を通して子どもが”自分たちの力で乗り越えた感”をもってほしかった。その様な配慮や具体の状況を保育者がチムワークでつくりだすことに期待していたのですが…。

その後 入眠(寝付き)の時間も教育実習生がいたので 子どもの気が散ったり変な依存がない様に 2階の絵本と積み木の部屋(保育者の仮眠室)に行って 実習日誌の記述など実習生の仕事をするように指示しました。

消灯し就寝すると ほどんどの子どもが順調に眠りにつきひとりの子が少し興奮する様子もありましたが 10時すぎには全体は落ち着きました。そこから2時間程が保育者にとっては大切な時間ですが 実習生への指示もなく 子どもに付き添っている保育者以外の緊張感はリラックスの度を超えて緩んでいました。

そのあらわれに 男性の実習生が混じっていたのに 保育者の仮眠室での仕事?がいつまでも終える事ができず 男性の実習生や他の保育者がトイレで着替えをはじめて 朝方の付き添いの保育者が仮眠すべき時間帯になっても 保育者にも実習生には動きがみられませんでした。(ドンリュウが学生の頃であれば この様な状態は”常識”を逸していて同世代の仲間からも奇異にみられたのですが 今はサークル合宿などでは当たり前のことなのでしょう…学生は責められませんが その様な時間帯や状況になっても同じ部屋に異性がいることに違和感や不快感を感じる保育者や学生がいるかも知れないと感じてほしいなぁ…)

その時間 断続的に夜食などの飲食をしながらリラックスしていたのでしょう(メリハリのある休憩や一日目のふり返りは充実させずに…実はホールにもれ伝わる声や物音 カーテンに映るシルエットでドンリュウにはわかっていました)。気をつかってか 中川先生が夜食とお茶をホールに持って降りてきましたが「ここで食べられないだろう…自分が必要なものは持ってきているから…」と断りました。

その後 11時を過ぎても 保育者にも実習生にも変化はなかったので しびれをきらして 私から教頭の中川先生に 間接的に気づいてほしくて「実習生はせっかく宿泊しているのだからこの時間帯でなければ経験できない子どもの就寝の見守りを実習させて12時には就寝させるように」指示しました。それでも男子学生は最後にホールに降りてきて見守りをした後 再度 仮眠室に自分の荷物をとりに戻るといった行動…。本来であれば 指導担当が子どもと他の職員への配慮をして 子どもが一旦落ち着いたタイミングで学生を就寝場所であるホールに移動させて その場で就寝の見守りを実習させて就寝時準備をし就寝するように指示すべきでしたが…。

私は 美晴幼稚園の園長として どんなに緊張や不安が強い子どもでも2時間あれば(2時間かかっても必ず)入眠できることは経験知として持っています。そして 完全に就寝する12時までの3時間が 大切な子どもを家庭からお預かりして一晩過ごす保育の中でのいわばクライマックスなのです。

お泊まり会は 子どもと直接かかわる保育者と 裏方の保育者のチームワークが大切です。裏方の仕事をしている最中でも いまの子どもの様子に思いを寄せ いつでも対応できるように準備することも大切です。

その時間 教頭は責任を感じていたのか継続的に子どもたちを見守って具体に対応していましたが その時間の担当以外の保育者は他の仕事はそれなりにしていたかも知れませんが 子どもたちの”いま”に気持ちは向いていなかったと思います。

大きなアクシデントもなく過ぎた一夜だったので 起床前に行うべき保育者間での就寝中の子どもたちの様子の情報交換も怠っていました。

美晴の保育者は特別な存在です。いえ 特別な心持ちとあたりまえの人間性(北陸の保育者のように常識を備え毎日の保育の実態に気づきとふり返りをもてる)がなければ 多様な子どもたちと織りなす保育は担えません。

美晴の保育者は 子どもと子どもの周辺でおきている現象を敏感に感じとり 子どもに寄り添い良き理解者となることで紡ぎだされる言動が身についていなければ 日常の保育もままなりません。(閉じられた問いの連続「◯◯してよかったかな?(保)」「ダメ〜(全員の子)「ダメだよね〜(保)」「だから絶対◯◯はしないようにね!(保)「はい!(全員の子)」…で子どもを統制する様な一見子どもが落ち着いているようにみえる保育ではなく 一人一人がいかされる保育なので…)

石川の免許更新の試験中 夏ならではの砂場あそび といった 保育者の統制的でない保育場面の指導計画案を答案としてまとめる時 多くの受講者が 中空にまなざしをやったり 机上で両手を動かしながら まさに子どもが目の前に居て いっしょにあそびを構想しているようにみえました。そして 今日 採点した解答もそのことがヒシヒシと伝わる見事の一語に尽きる(というより憧れる)構想ばかりでした。

受講された保育者の約半分が認定こども園を含めた保育士(保育教諭)で 0歳からの指導案もありましたが 一日の保育場面ばかりではなく3回継続する保育の最終回を想定したものや 翌日の保育へのつながりも明確に意識し指導案に記述されていたもの 子どものへの配慮事項や片付けばかりでなく保育者の評価や反省をカテゴリー分けした記述欄まで用意されたものなどあり 同じ100点でも北海道をベースとすると数十点加点しなければならない素晴らしい解答も少なくありませんでした。

ドンリュウ園長は 自分の幼稚園の保育改善に取組む若手園長に「美晴幼稚園は東先生が理想とする保育を100とするとどれくらいですか?」と尋ねられることがあります。その時は「毎年最善をつくしているけれど 山登りに例えれば4合目にさしかかった感じかな…」と答えます。

それは 理想の保育のかたちは雲間から垣間みることができ そこに向かって着実に歩みを進めている実感もあります。でも頂きは はるか先にあり 近づくとかたちが変わってみえるかも知れないからです。それから 美晴の保育は優劣という意味ではなく いくら条件が整っていても他ではマネのできない特別は保育でもあるからてす。

そして 挑戦的な登山は一人ではできません。いま 美晴に勤務する保育者には 一緒に登山する同僚であってほしいと願います。(美晴の保育者には 石川の保育者のような 子ども(現場)ありきで ”心ある” 保育者を目標にしてほしい…。)

登山しながら力をつけてゆく。ふり返りと気づきは過去へ遡りする後ろ向きのものでなはく 前へ進む一歩(子どもの未来と希望)につなげるためのものとして…。

子どもの成長・発達につながる登山はしんどいけれど楽しいです。

そうそう ドンリュウや若い保育者が使うと浮ついて感じるけれど 石川の保育者が記述式の問題の答案に”保育は愛だ”とか”愛情をもって子どもにかかわる”というような意味を具体的に表す表現が多かったことも印象的でした。

ここに書いたことは マニュアルとか 正解か不正解で解く問題の類いではありません。子どもにとって 保育にとっての ”最適解”は何かを 絶え間なく同僚間で(あるいは自らに)問い続ける営みが私たち保育者の仕事であり 在り様だということです。

このことをお泊まり会から答案の採点を通して 痛切に深く学びました。

 

小さな驚き大きな感動

今朝 平和公園であそんでいたら 手と指先の巧緻性に発達課題がある子どもがトンボを捕まえて指先で挟んで見せてくれました。その様子に ドンリュウの小さな驚きと大きな感動がありました。

普通に羽や胴体を指先で挟んでいるだけでも その子にとっては難しく大変な作業ですが トンボの羽をいためない様に あのちいさくほそい足をつまんでいたからです。

子どもの集中力と可能性は 大人の想像力を超えて すばらしい!!

 

保育者の課題

保育者は夏休中の研修会や学会での発表 ディキャンプでの保育実践を通して多くの学びを得て リフレッシュや準備も整え2学期を迎えます。

しかし これらのことを通して 一層 保育を実らせ保護者やご家族の皆さんの信頼を得るための 現状における課題も浮き彫りになりました。(課題がある ということは まだまだ伸びしろもあるということ…)

ディキャンプでは充実した保育が実現できた一方で 保育者としての当たり前の準備や心構えができていないことがいくつかみられたこと。また 実践学会等への参加に際して 共同研究者や他園の先生との距離感が計れずに(保てずに) 言葉遣いや会話の内容あるいは振る舞いに 保育者としての自らの立場をわきまえない様子が垣間見られたこと。そして 東京での学会参加では旅程に余裕をもたせていて 残りの時間は慰安(労)も兼ねた自由時間はあったけれど 宿泊の部屋割りが年齢の近さやプライベートでの仲の良さが優先され 職務や同僚性の充実への意図がみられないものになっていたこと…。

部屋割りについては 園長としては1学期の保育から保育者どうしのチームワークが高まっていると実感していたことから 自ら決めず職員に委ねてみただけに 残念というか正直大きなショックをもって受けとめました。

今回の実践学会のシンポジウムでも 園内研修を円滑にするために飲みニケーション(飲み会)が大切などといった次元の低い話がいまだにある一方で 勤務経験数がわずか数年の若い保育者が口頭研究発表で「いくら良い保育をしていると思っていても 保育者が事務連絡や手続きをきちんとできていなければ保護者との確かな信頼関係は築けない…」と述べていたと参加した職員から伝え聞きました。

先にあげたことは とるに足らない些細なことかも知れませんが 私は保育者は”幼稚園の先生”である前に社会人として成熟し自律していなければならないと考えています。言い換えれば 社会人としての自律なしに 子どもの成長・発達を支え、保護者やご家族の子育てを支えることができる 真に信頼を寄せられる保育者には到底なれない…と。

美晴では保育者という仕事は専門的な知識や技能があれば事足りる仕事ではなく全身全霊をもってのぞまなければならない仕事であると考えています。

1学期末に保護者から「1学期は会議などで園長が不在の日が多かったようだが そのような日 先生方は少しゆるんでいるように思える…」とのご指摘いただきました。(いつもピリピリ張りつめていろ というのではなくて)

2学期以降 園長の在、不在に関係なく 保育者各自が自ら考えその場における適時適切な行動がとれるように 美晴幼稚園の保育者の社会人としての成熟を図るとともに 私自身が保育中の空気を敏感に感じ取りながら しっかり指導してゆきます。

2学期への思いは 明日21日 掲載します。

保育の課題(共同研究と実践学会の発表から)

昨年度から帝京科学大学の吉川先生(この3月まで札幌大谷大学短期大学部)のご指導を受けながら 特別な支援や配慮(合理的配慮)を必要とする園児の幼児理解(実態把握)と指導計画(保育の方向性や目標)づくりの共同研究に継続して取組んでいます。

この研究の取組みは:

子どもが示す問題点(子どもができない、身についていないとこと)に着目する記録や評価 → 子どもは誰もが能動的な􏴷􏱯􏰞􏳮􏱼􏱽􏳄􏴏􏵌􏲮􏵎􏵍􏴺􏵍􏴋􏲇􏴸􏴼􏵌􏲮􏳏􏱍􏰀学び手であると捉え子どもの保育への意欲的な参加の姿を積極的に捉えてゆく記録や評価 へとシフト(移行)する

このことにより 子ども理解を充実させ そのことに基づいて参加可能な保育を計画し 多様で有機的なかかわりが保障された保育を実践し 継続することを試行しています。

􏴎􏲺􏴏􏰜􏵂􏱳􏵃􏰽􏵄􏰱􏱳􏰻􏴘􏲏􏰱􏴎􏲺􏴏􏰞􏰾􏳆􏰻􏰝􏰱 􏵅􏰶􏲿􏰝􏱩􏰝􏰻􏰝􏲼􏲽􏰶􏵆􏵄􏰜􏲤􏱓􏰠􏱍􏲎􏰻􏰪􏰫􏱼􏰀 􏴧􏴨􏰞􏱗􏱘􏱙その具体的な手続きは 対象となる子どもの スナップ写真を掲載したエピソード記述(ポートフォリオ)を週1枚書き ◯◯ちゃんだよりとして家庭とも共有します。そのポートフォリオに基づいて月例のカンファレンスを開き保育者全員(グループに分かれて)で話し合い 美晴幼稚園の教育課程の育ちの姿と重ねながら次の目標をたててゆくものです。

今回の幼児教育実践学会で 全国から集まった保育実践者から 考え方や視点への共感と共に 手続きの明確さや教育課程にマーイングする手法 そして 美晴の保育者の子どもをみる力と記録にまとめる能力を高く評価していただきました。また 緻密で保育者の多くの労力が必要なことから 現状では全園児への適用は難しいのではないか との指摘をいただきました。

今年度 2・3学期も 同じ手続きを継続して保育者のスキルを高め この手法の充実を図ることが直近の課題であると共に 来年度以降は 汎用化(簡略化)しながらも 本来の趣旨を損なわない手続きを検討し実行してゆきたいと考えています。

吉川先生のご指導のもと 美晴のもともとあった保育資源を再検討(再評価)させていただき これからの美晴の保育の展望が拓けたことは 保育課題が明確になり 今後の保育に大きな力となると考えています。􏴎􏲺􏴏􏰜􏵂􏱳􏵃􏰽􏵄􏰱􏱳􏰻􏴘􏲏􏰱􏴎􏲺􏴏􏰞􏰾􏳆􏰻􏰝􏰱 􏵅􏰶􏲿􏰝􏱩􏰝􏰻􏰝􏲼􏲽􏰶􏵆􏵄􏰜􏲤􏱓􏰠􏱍􏲎􏰻􏰪􏰫􏱼􏰀 􏴧􏴨􏰞􏱗

お盆休み

美晴幼稚園は11日(山の日)から今日15日までお盆休みをいただき 預かり保育も日直出勤もお休みしました。(保育園は給食の提供はお休みして保育は継続しました)

この期間 ドンリュウはいくつかのメディカルチェックをしました。その内の一つ 脳神経の定期検査では担当医の診察でのお話しの中に学ぶことがありました。

「検査技師さんが一生懸命勉強して画像の精度が上がったので 血管の状態がよくみえる様になったんですよ…」「この状態だと問題ありません。検査の間隔も延ばして大丈夫…」

機械を入れ替えた訳ではなく 検査技師の不断の努力で撮影と画像処理の技術があがり その事によって 診察する医師は脳や血管の状態がよりみやすくなったというのです。当然 診断の確度もあがりより確かなものになったことでしょう。

同じ臨床の保育も同じです。子どもをみるまなざしがより確かになれば 子どもの理解の確度も高まります。そのことは保育の様々なところに大きく影響します。

夏休み中 担当させていただいた北海道私立幼稚園協会が実施団体である教員免許状更新講習の幼稚園現職教員の試験答案の解答内容の貧しさに愕然としました(他県と同じ講座内容、試験問題ですが歴然とした差があります)。

今週も園内研修や幼児教育実践学会での学びの機会が在ります。美晴幼稚園の保育者(ドンリュウ園長も含めて)は絶え間なく学び続けながら経験をこえた力をつけて 子どもの前に立ちたいと思います。

 

生活を生活で生活へ

これは 大正から戦後にかけて日本の保育を牽引し 今なお大きな影響を与えている倉橋惣三先生の保育の本質を示した言葉です。

終戦記念日 昨年のような喧噪はなく オリンピックの中で影を潜めた感が否めないと感じるのは私だけでしょうか…。

大正生まれで戦争を青春の真っ只中で過ごした両親(二人とも他界していますが)をもつ私には ”歴史”としてとらえることはできません。

生活の中には 思いもよらぬ事 思い通りにならない事 裏切られる事 困難な事 などの連続かも知れませんが 今は 日本に住むほとんどの人々が 自分の生と衣食住が保障された中で 明日という一日を迎えることができます。

特別な日ではないありふれた一日を大切にしたいと願う静かな日が 一年の中で一日あってもよいと思います。

 

保育者の評価感(哲学?)

昨日 美晴の家保育園の月例カンファレンス(全職員参加)がありました。ドンリュウ園長は研修会と重なっていて冒頭しか参加できなかったけれど その後も 美晴の家保育園らしい保育をかたちづくり進める上で意味のある話し合いが進められたようです。

ドンリュウは現場での交流、文科省や厚労省の会議の中でつくづく感じることがあります。それは 日本の保育者の子どもへの評価感の独自性とすばらしさです。

小学校以降の教員や医療そして療育の場では 子どもが10回トライして一度でも失敗すると(出来なければ) 課題を達成した(身につけた)とは評価されません。

一方で 幼稚園や保育園の保育者は 10回(いえ 無数)の挑戦の中で一度(偶然でも?)出来れば 課題達成(出来た・出来る)と肯定的に評価します。

これは どちらも間違えではなく 立場 哲学が違う というだけのことです。

でも 私は 人間が幸福感をもって 前向きに生きてゆくには 保育者の評価感は不可欠だと確信しています。

子どもへの信頼と 根拠のない確信(思い込み?) が人を育てるのだと。

美晴の家保育園の保育者も もちろん 美晴幼稚園の保育者も そんな保育者集団であることが 園長としての喜びであり誇りです。

 

20年来の課題に向き合って

昨日 一週間延期して運動会を実施することができました。

美晴幼稚園で18年間勤務し美晴の家保育園に異動した織田先生が在勤中に 運動会を延期した経験がない ということなので ほぼ20年間 運動会を延期して行っていないことになります。

ドンリュウ園長は たしか1993年(平成5年)の記録的な冷夏の年だったと記憶しているけれど 当時 厚別区のもみじ台に設置していたこぐま幼稚園(平成8年閉園)で2週にわたり延期して平日に実施したことを含め数回 運動会の延期を経験しています。(美晴でも経験しています)

日曜運動会で一週間延期して行う場合 一番難しいのは子どもの運動会への期待や意欲を ”継続” することです。しかし 自分としては 前回までの延期した後に行った運動会は今ひとつしっくりこなかった…。苦い経験があります。

今 ほとんどの小学校は土曜運動会で予備日は翌日の日曜日。幼稚園も小学校と同じ様なかたちの園が多くなってきていると思います。月曜日の給食の手配の困難さがその理由にされることが多いでしょうが 実際は参観する家族への配慮や教職員の面倒さ そして カリキュラムが窮屈(計画上の時間数の確保や やりくりが難しい…)などが本当の理由でしょう。

そして 前述しましたが もともと運動会を終えたことを前提とした指導計画と平行して運動会へ向けた保育(授業)を進めながら 子どもの期待や意欲を継続し活動を充実させる一週間をつくることは保育者(教師)の力量と園(学校)全体の運営のあり方によって大きく変わります。誰だってできるなら避けて通りたい…。

今年 悪天候によって延期することが決まり 園長からの発信には必ず「意欲や期待をより高める…」としていましたが 正直なところ 経験が浅い保育者(もちろん運動会の延期経験もない)との保育の中で「できるかなぁ…」という不安も少なからずありました。

しかし この一週間 病欠の子どもが減り 仲間がだんだんとそろってきた といった好循環もありましたが 保育者のアイディアと工夫 そして 子どもたちとの協同で 難しい一週間を意味ある助走路の延伸にすることができていた と 客観的な目線でみても評価でき 園長として実感しています。

20年来の課題に向き合い いくらか克服する機会を 雨によってもたらされ 今の子どもたちと保育者の保育によって実現することができたと思います。

それから もう一つ。そのころ ドンリュウは 当時の理事長・園長(父親)が病気をわずらい 東海大学の学務部教務担当と野球部のコーチの仕事を急遽辞めて 幼稚園の副園長として子どもたちとかかわりはじめていました。

同じ こぐま幼稚園で卒園間近になった頃 クラスでの保育が始まる前の自由選択的な時間に 年長の子どもたちとあそんでいたら 口々に「ふくえんちょうせんえいだいすき…」「やさしいし あそんでくれるし…」「おもしろいし」「ちからもちでかたぐるまとかふたりいっしょにもちあげられるし…」「こまったときたすけてくれる」…

副園長がどうあるべきか迷っていたドンリュウは 「そうか 子どもたちは自分に好感をもってくれている。これでいいんだ!」と思った瞬間 「でもね〜。ふくえんちょうせんせいは やさしいだけ だから…」と年長の女の子に誰に向けて話す訳でもなく 淡々と言われました。

その瞬間 氷水を頭からバケツでかけられたようでした。

保育者にとって大事な使命の一つは 子どもとの接面をどのようにするか ということです。やさしく子どもの思いと今に寄り添うだけでは 子どもの成長・発達に寄与する働きは全うできません。子どもの事実に正面から向き合うこと。子どもを葛藤の渦の中におくこと。などを「子どもを信じて」揺るぎなく腰をすえて実践できることです。

その瞬間瞬間は子どもに嫌われ疎まれるかも知れません。しかし 子どもはちゃんと分かっているのですね。どんな人が どんな自分へのかかわりが 自分にとって意味あるものか ということを…。

この課題は保育の現場にいる限り 永遠の課題でもあります。

 

ところてん

運動会のリレー ドンリュウ園長も久しぶり(たぶん15年ぶりくらいかなぁ)に走ろう と思ったのは子どもたちの言動に触発されただけでもありません。

数年前からこの時期になると 毎年 美晴の職員に「ところてん」の差し入れがあります。

それは かつてPTA会長をされて 卒園後は後援会を立ち上げ 長く美晴幼稚園を支え応援してくださった 古山貴子さん(故人)の遺言をご主人がまもられているものです。

運動会頃のこの時期 保育者は園長に厳しく指導され 仕事にも行き詰まり? 新年度以降の疲れが出てくることを理解しての 古山さんらしい心遣いなのかもしれません。

古山さんのご次男は美晴幼稚園在園中 脳腫瘍でご他界されています。そして その数年後から お母さんも脳腫瘍で入退院を繰り返す闘病の末 ご他界されました。数度の手術を含め闘病中は 本当に本当にお辛かったことと思いますが お会いする度に私たちの方が励まされていました。

そう 子どもたちと一緒に走ろうかなぁ と思ったのは きっと 当時の自分自信のことをふり返りながら 子どもの中にあって 子どもを支えることの意味を考えたからかもしれませんね。

運動会という晴れ舞台は 子どもにとっては 気持ちが高ぶるばかりでなく 緊張や不安の中におかれるという状況でもあります。一人一人が後ろ向きではなく前向きに取組めるように 見えないところでもしっかり支えて 次のステップへ進む自信につなげたいものです。