どんりゅう園長のひとり言
生命は (吉野 弘)
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分他者の総和
しかし
互いに欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえ許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
毎年学期末に春日山で吉野弘さんの「生命は」という詩を必ず掲載します。どんどん窮屈になっているようにしか見えない子ども達の育つ道程、子育て環境、そして近頃の社会のあり様を含めた子どもを取り巻く状況を思うとき、この詩の意味が胸に深くしみます。
「…世界は多分 他者の総和…」依存や支え合い、「お互い様」の関係がそれぞれの生活を豊かにし互いの関係に潤いを与えてくれるのでしょう。その事が、今どきの子育てにも教育にも社会にも欠如していることだと私は考えます。
ここ数年、私たちが住む日本では地震や豪雨や雪害による災害が頻発しています。世界では新型コロナウイルス感染症…そして紛争や貧困。その度に、みんなが関係者の悲しみや困難に寄り添い再起する姿に触れることになります。
「寛容さ」と「謙虚さ」
生命は不完全さを互いに補い合い、全体の総和の中で成立するもの…。吉野弘さんの「生命は」という詩は、現代の風潮の対極にあるのではなく、その悩ましさをも包含する大きな寛容さと謙虚さがあります。冬休み中、いつもにも増して子どもと共にする時間がふえることと思いますが、その中で、必ず新しい気づきや発見があるはずです。(それは親にとって良い面も悪い面も…両面あるはずですが…)。もし、今まで自分が見過ごしていた子どもの姿があった時には、後ろ向きに捉えていちいち指摘し叱るのではなく、そこを仲間や保育者に補われ支えられて今の我が子の姿があることに思いを寄せてほしいです。そんな一面はどの子どもも必ず持ち合わせていますから…。
2022年12月26日 8:24 AM |
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投稿者名:どんりゅう
動詞「ぶつかる」 (吉野 弘)
ある朝
テレビの画面に
映し出された一人の娘さん
日本で最初の電話交換手
その目は
外界を吸収できず
光を 明るく反映していた
何年か前に失明したという その目は
司会者が 通勤ぶりを紹介した
「出勤第一日目だけ お母さんに付添ってもらい
そのあとは
ずっと一人で通勤してらっしゃるそうです」
「お勤めを始められて 今日で一ヶ月
すしずめ電車で片道小一時間……」
そして聞いた
「朝夕の通勤は大変でしょう」
彼女が答えた
「ええ 大変は大変ですけれど
あっちこっちに ぶつかりながら歩きますから、
なんとか……」
「ぶつかりながら……ですか?」と司会者
彼女は ほほえんだ
「ぶつかるものがあると
かえって安心なのです」
目の見える私は
ぶつからずに歩く
人や物を
避けるべき障害として
盲人の彼女は
ぶつかりながら歩く
ぶつかってくる人や物を
世界から差しのべられる荒っぽい好意として
路上のゴミ箱や
ボルトの突き出ているガードレールや
身体を乱暴にこすって過ぎるバッグや
坐りの悪い敷石や焦々(いらいら)した車の警笛
それは むしろ
彼女を生き生きと緊張させるもの
したしい障害
存在の肌ざわり
ぶつかってくるものすべてに
自分を打ち当て
火打ち石のように爽やかに発火しながら
歩いてゆく彼女
人と物との間を
しめったマッチ棒みたいに
一度も発火せず
ただ 通り抜けてきた私
世界を避けることしか知らなかった私の
鼻先に
不意にあらわれて
したたかにぶつかってきた彼女
避けようもなく
もんどり打って尻もちついた私に
彼女は ささやいてくれたのだ
ぶつかりかた 世界の所有術を
動詞「ぶつかる」が
そこに いた
娘さんの姿をして
ほほえんで
彼女のまわりには
物たちが ひしめいていた
彼女の目配せ一つですぐにでも唱い出しそうな
したしい聖歌隊のように
子どもたちも ”動詞「ぶつかる」” 存在であってほしい
美晴の子どもたちにも動詞「ぶつかる」存在であってほしいと願います。他者(ヒト モノ 自然 出来事)と非接触 あるいは一定の距離をとって過ごせたり 過ごすことを奨励された中で 育ちつつある子どもたちの近未来(小・中学校)も 今まで以上に 「ぶつかり合い」は減ってゆく状況は想像に難くありません。
子ども時代に 何事も無難にやり過ごすのではなく 自然にぶつかり合える関係性で育つことは ぶつかる相手を忌避するのではなく ぶつかる相手の存在を認め自分の存在の確かさを実感することに…。
幼い頃のこのような実体験が 難しく困難な時代を生きぬかなければならないこの子どもたちにとって 生涯に渡る財産になると考えるのは 私だけではないと思うのですがいかがでしょう。
良い冬休みと新年を
冬期休業中も預かり保育など幼稚園で子どもたちと過ごす機会もありますが、通常の保育は約1カ月お休みになります。冬季間は新型コロナウイルスや季節性のいフルエンザなどの感染に留意しましょう。預かり保育の利用の有無にかかわらず、これまでと同じように早めにご家庭と幼稚園で情報共有し対処してゆきたいと考えます。
園がお休みでも緊急の連絡や、お手伝いすることがありましたら何時でも遠慮なく
園長携帯:090-8899-3123へお知らせください。
【園長 東 重満】
2022年12月26日 8:09 AM |
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投稿者名:どんりゅう
2022年10月8日 1:51 PM |
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投稿者名:どんりゅう
児童憲章
制定日:昭和26年5月5日
制定者:児童憲章制定会議(内閣総理大臣により招集。国民各層・各界の代表で構成。)
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。
2022年5月5日 7:16 AM |
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投稿者名:どんりゅう
本日発行の春日山。一部タイプのうち間違えのまま印刷してしまいました。スミマセン。訂正版は下記にアクセスしてご覧ください。【園長 東 重満】
春日山 かすがやま第15号’21.12.10
2021年12月10日 3:10 PM |
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投稿者名:どんりゅう
今日は学年暦では年長青バッチさんのお泊まり会で朝を迎える日。
ガリバークラブのガーデニングをしました。草取りと新しいお花を植えました。
ブルーベリーの木の根元に 秘密のいちごの苗…
クルミの苗を今年も植えました。どんぐりのなる木もどんぐりを植えて育てました。今週のガリバーでは 数人の子どもが栗がなっていることに気づいていました。
さくらんぼ りんご ヤマブドウ カリンズ … 実のなる木が少しづつ増えています。
年数をかけて こぐまの森が豊かになり 子どもたちにとっての魅力が増します。
くるみ
どんぐり(ナラの木)
栗
このまま新型コロナウイルスの感染がおさまってゆけば お泊まり会は10月にできそうです。
2021年9月4日 1:15 PM |
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投稿者名:どんりゅう
今年は新型コロナウイルス感染症の影響で 年度末の3週間と新年度の4・5月の保育が一斉休業要請もあり臨時休園となりました。6月の保育再開にあたって美晴幼稚園では 幼児期の子どもの発達の連続性と不可逆性という特性から 一年間という期間における幼児教育の機会保障(日時数と保育内容の確保)の重要性に鑑み 長期休業の短縮や廃止をして 年間39週の保育を確保する学年歴に組み替えました。
その結果 夏休みが一番多い日数短縮され 小学生のディキャンプも実施できず 卒園生(特に年度末も休園で保育できなかった1年生)には申し訳ない限りです。本当にごめんないさい!
園長として一学期をふり返ると 4・5月の家庭やディサービス等での生活での育ちと 6月からの幼稚園での生活やあそびを通しての時間が加わった育ちは 例年にないかたちではありましたが この約4ヶ月の間のどの場での経験もそれぞれの子ども姿に認められ 学齢にふさわしい成長・発達の姿になっています。
しかし 一部の報道でも伝えられている通り 一定期間に及ぶ生活やあそび経験の著しい欠如は子どもの発達に具体の影響を与えます。全国的な感染状況は予断を許さず 北海道においては秋以降の感染防止対策の困難さは避けられません。
家庭内感染への対応もさらに検討し 二学期以降に備えたいと考えます。そして 一年間を通して 子どもの幼児教育の機会保障がかなえられる様に最善を尽くしてまいりますので 今後ともご理解とご協力をお願いいたします。
生命は (吉野 弘)
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花もめしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分他者の総和
しかし互いに欠如を満たすなどとは
知りもせず知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえ許されている間柄
そのように 世界がゆるやかに構成されているのは なぜ?
花が咲いているすぐ近くまで
虻(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
毎年学期末の春日山(園長便りはここ2年ほど滞っていますが)にこの吉野弘さんの「生命は」という詩を掲載します。どんどん窮屈になっているようにしか見えない子ども達の育つ道程 子育て環境 そして近頃の社会のあり様を含めた子どもを取り巻く状況を思うとき この詩の意味が胸に深くしみます。
「…世界は多分 他者の総和…」依存や支え合い 「お互い様」の関係がそれぞれの生活を豊かにし互いの関係に潤いを与えてくれるのでしょう。その事が 今どきの子育てにも教育にも社会にも欠如していることだと私は考えます。そして 富や危機危険の偏りも世の中を歪ませているのかも知れません。紛争や対立 そして 近年頻発する自然災害 は途切れることなく世界のどこかで悲惨な現実を重ねています。
コロナ渦にある今 東日本大震災で津波により甚大な被害を受けた地域の幼稚園の先生が 地震の半年後まだ絶望的な状況の中で「すべてが破壊され瓦礫にまみれた自分たちの街が 少しづづではあっても多くの助けや支え合いによって着実に”なおって”ゆく様子を 子どもたちには胸に刻んで成長してほしい そして 自分が大人になった時 自分たちがしてもらった様に 困っている人に手を差し伸べられる人 助けられる人になってほしい…」と語られたことを思い出します。この困難は 何かを恨んだり誰かを批難するのではなく 皆の力で乗り越えていかなくてはいけないのでしょう。
生命は不完全さを互いに補い合い 全体の総和の中で成立するもの…。吉野弘さんの「生命は」という詩は 現代の風潮の対極にあるのではなく その悩ましさをも包含する大きな”寛容さ”と”謙虚さ”があります。短い夏休みではありますが いつもにも増して子どもと共にする時間がふえることと思います。 その中で 必ず新しい気づきや発見があるはずです。(それは親にとって良い面も悪い面も…両面あるはずですが…)。
もし 今まで自分が見過ごしていた子どもの姿があった時には いちいち指摘し叱るのではなく そこを仲間に補われ支えられて今の我が子の姿があることに思いを寄せてほしいです。
そんな一面はどの子どもも必ず持ち合わせていますから…。
今年は 一学期の終業が8月6日になりました。この日は広島に原爆が投下された日です。そして 明日9日は長崎に原爆が投下された日です。美晴幼稚園の玄関にある 一見おばあちゃんに見える「喜ぶ少女」像は 長崎の平和祈念像の制作者でもある彫刻家北村西望氏の作品(正式なレプリカ)です。
子どもが子どもらしく過ごせる日常がいつまでも続きます様に祈ります。
園長 東 重満
2020年8月8日 11:50 AM |
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投稿者名:どんりゅう
入園式を終え帰宅しテレビを観ていたら 北海道の放送局の情報番組で芸人のコメンテーターがソーシャルディスタンシング(社会的距離の確保)に言及した直後 視聴者からの「子どもの幼稚園が入園式もその後の通園もマスクをさせないといけないことに困っている…」という投書?に
「うちの子どもが通う保育園も子どもも保育士もマスクしてないのに お迎えに行くとき親はマスクしなくちゃいけないんですよ… 保育園では子どもも保育士も濃厚接触で 家では親子が濃厚接触なのに 親だけマスクすることに意味あるのかなって疑問だ…」とコメントしていました。
コメンテーターの安易なコメントが同調バイアスを助長しかねないと危惧すると同時に この幼稚園も保育園も保護者に感染防止対策の意味を理解していただけるような説明をしていないのではないかと考え 自園を振り返っても反省があると思いました。
美晴幼稚園も美晴の家保育園も 子どもと職員の家族の周辺に新型コロナウイルスの感染がせまってきています。札幌市の状況も勘案し両園では9日から玄関掲示や口頭で保護者を含め園内に立ち入る時は必ずマスクの着用を義務付けています。
また 卒園式と入園式は保護者ないしご家族の2名が参列していただくため 式場内で社会的距離が確保できる人数に制限し 3回に分けて短時間の次第で式を行い来園者にはマスクの着用をお願いしました。
子どものご家族を含め来園者に来園時の手指の消毒とマスクの着用をお願いするのは 外部からのウイルスの持ち込みを防止するためです。
幼稚園や保育園では3密のうち密集と密着をさけて保育やあそびはできません。先のコメンテーターの言うとおり 家庭内も園内も濃厚接触なしに過ごすことはかないません。だからこそ外部からのウイルスの侵入は防止するリスク管理を徹底する必要があります。お家でも外から帰ったら手洗いうがい(職業や外出先によっては着替え)をしてから家族と触れ合い食事を摂られると思います。
幼稚園や保育園ではうがいの代わりと咄嗟のくしゃみや咳で飛沫しないようにマスクを着用していただくのです。
美晴幼稚園で保育中子どもが可能な限りマスクを着用するのは
- みんなで予防しているんだ という意識を子どもなりに感じてほしい
- 咳やくしゃみ(発話)時の飛沫防止
- 手指を口のなかに入れない ことによる感染リスクの低減のためです
幼稚園や保育園は乳幼児の生活と教育の場なので、医療機関のように100%の感染リスク管理は不可能です。私たちが出来ることは相互理解と協力のもと地道に感染リスクを低減することです。
美晴幼稚園では
- 子どもが触れる可能性のある場所や道具等の消毒の徹底
- 換気の励行
- 施設内へのウイルス侵入の防止
- 子どもと職員の登園前の検温をふくめた体調チェックの励行
- 体調チェックで不調や感染が疑われる症状がある場合は登園(出勤)しない
- ご家族を含めた外来者の手指消毒とマスク着用
- 家族や関係者で感染者あるいは濃厚接触者がいる場合の登園(出勤)自粛
を皆様のご理解とご協力のもと確実に実行します。
卒園式では0名でしたが 入園式では玄関の掲示やお声がけ(マスクの配布)にもかかわらず 式場にてもマスクを着用されておらず職員が着用のお願いをさせていただく保護者が3名いらっしゃいました。入園式でのご家族のマスク着用については説明会やお手紙で事前にお願いをしていたところですが ご理解いただけず残念です。幼稚園はご家族やつながりのある方に医療従事者やインフラ関係のお仕事はじめ様々な職業やお立場の方がいらっしゃいます。札幌市内の現況は誰もが自分も新型コロナウイルスに感染している可能性がある という自覚の上で行動する必要があると考えます。
現在 札幌市では小・中学校の休校や分散登校も検討している状況です。
美晴幼稚園は市立学校が休校になっても 可能な限り子どもに幼稚園での保育の機会を保証し 必要な家庭の預かり保育を継続するための準備はできています。しかし その実現には感染リスク管理が必須条件で 保護者や家族の皆様のご協力は不可欠であることはご理解ください。
【園長 東 重満】
2020年4月11日 6:09 AM |
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残暑お見舞い申し上げます。
なつやすみちゅうのようちえんのおにわのプランターにひまわりのおはながさきはじめました!
それから うさぎさんのおうちがたちました! きのかべにひとくふうしようかと せんせいたちはかんがえています。
2019年8月12日 6:22 PM |
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投稿者名:どんりゅう
6日は美晴幼稚園でSIあそびの北海道地区研修会があり 公開保育のあと白濱征洋先生に講演と保育分析をしていただき 保育をふり返ると共に子どもの育ちに向き合うことの基本を学びなおし確認しました。
7日は多摩大学客員教授で元NHKアナウンサーの木村知義先生にご講演いただき ”聴き” と ”語り” の原初的な意味から保育者が子どもと通じ合う大切さを 広い視野でしっかりと考えさせていただき 白濱泰一先生のアクティブラーニングのワークショップで体験的な学びの機会をいただきました。
小学生のディキャンプでは毎年必ず初日の朝の集いでどんりゅう(園長)が2つの約束をします。
1つ スタッフ 仲間 の話をしっかり聴く
2つ 自分は自分自身でまもる
この2つは児童期(学童期)の最も大切な発達課題でもあります。
他者(対象)に興味や関心をもってかかわり 自分自信のなかで再生産して表現(ことばを発信)しながら 自己をかたちづくるには 聴く力(受信する姿勢)をはぐくむことが必須だからです。
聴く力は ただ お行儀よくだまって姿勢を正して話し声を聞く ことではありません。話す相手にこころをひらいて ことばにこめられた気持ちや考えをうけとめる力です。相手が誰でもどんな状況にあっても自ら姿勢を整えられることが こどもらしさでもあります。
この力が涵養されれば 学校の成績の良し悪しといった狭い意味ではなく いつどこへいっても通用する やさしさとかしこさを身につけることにつながります。
そして 幼児期に多様な体験を通して重ねられた豊かな経験を土台にした さまざまな 危険 危機 を察知し そのことから 自分自身のこころとからだをまもる という意識をもつ力は 他者と調和し共生しながら 自分らしく生きるために 年齢を重ねるほど大事になってきます。
デイキャンプや研修を通して 日々の保育の中で大事にすべきことを確認する機会を得ました。子どもたち 講師やご参加いただきました先生方に感謝です。
【園長 東 重満】
2018年8月8日 4:49 AM |
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投稿者名:どんりゅう
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