春日山の続きー2

動詞「ぶつかる」 (吉野 弘)

ある朝

テレビの画面に

映し出された一人の娘さん

日本で最初の電話交換手

 

その目は

外界を吸収できず

光を 明るく反映していた

何年か前に失明したという その目は

 

司会者が 通勤ぶりを紹介した

「出勤第一日目だけ お母さんに付添ってもらい 

 そのあとは

 ずっと一人で通勤してらっしゃるそうです」

 

「お勤めを始められて 今日で一ヶ月

 すしずめ電車で片道小一時間……」

そして聞いた

「朝夕の通勤は大変でしょう」

 

彼女が答えた

「ええ 大変は大変ですけれど 

 あっちこっちに ぶつかりながら歩きますから、

 なんとか……」

「ぶつかりながら……ですか?」と司会者

彼女は ほほえんだ

「ぶつかるものがあると

 かえって安心なのです」

 

目の見える私は

ぶつからずに歩く

人や物を

避けるべき障害として

 

盲人の彼女は

ぶつかりながら歩く

ぶつかってくる人や物を

世界から差しのべられる荒っぽい好意として

 

路上のゴミ箱や

ボルトの突き出ているガードレールや

身体を乱暴にこすって過ぎるバッグや

坐りの悪い敷石や焦々(いらいら)した車の警笛

 

それは むしろ

彼女を生き生きと緊張させるもの

したしい障害

存在の肌ざわり

 

ぶつかってくるものすべてに

自分を打ち当て

火打ち石のように爽やかに発火しながら

歩いてゆく彼女

 

人と物との間を

しめったマッチ棒みたいに

一度も発火せず

ただ 通り抜けてきた私

 

世界を避けることしか知らなかった私の

鼻先に

不意にあらわれて

したたかにぶつかってきた彼女

 

避けようもなく

もんどり打って尻もちついた私に

彼女は ささやいてくれたのだ

ぶつかりかた 世界の所有術を

 

動詞「ぶつかる」が

そこに いた

娘さんの姿をして

ほほえんで

 

彼女のまわりには

物たちが ひしめいていた

彼女の目配せ一つですぐにでも唱い出しそうな

したしい聖歌隊のように

 

子どもたちも ”動詞「ぶつかる」”   存在であってほしい

美晴の子どもたちにも動詞「ぶつかる」存在であってほしいと願います。他者(ヒト モノ 自然 出来事)と非接触 あるいは一定の距離をとって過ごせたり 過ごすことを奨励された中で 育ちつつある子どもたちの近未来(小・中学校)も 今まで以上に 「ぶつかり合い」は減ってゆく状況は想像に難くありません。

子ども時代に 何事も無難にやり過ごすのではなく 自然にぶつかり合える関係性で育つことは ぶつかる相手を忌避するのではなく ぶつかる相手の存在を認め自分の存在の確かさを実感することに…。

幼い頃のこのような実体験が 難しく困難な時代を生きぬかなければならないこの子どもたちにとって 生涯に渡る財産になると考えるのは 私だけではないと思うのですがいかがでしょう。

良い冬休みと新年を

冬期休業中も預かり保育など幼稚園で子どもたちと過ごす機会もありますが、通常の保育は約1カ月お休みになります。冬季間は新型コロナウイルスや季節性のいフルエンザなどの感染に留意しましょう。預かり保育の利用の有無にかかわらず、これまでと同じように早めにご家庭と幼稚園で情報共有し対処してゆきたいと考えます。

園がお休みでも緊急の連絡や、お手伝いすることがありましたら何時でも遠慮なく

園長携帯:090-8899-3123へお知らせください。

【園長 東 重満】