一学期を終えて

今年は新型コロナウイルス感染症の影響で 年度末の3週間と新年度の4・5月の保育が一斉休業要請もあり臨時休園となりました。6月の保育再開にあたって美晴幼稚園では 幼児期の子どもの発達の連続性と不可逆性という特性から 一年間という期間における幼児教育の機会保障(日時数と保育内容の確保)の重要性に鑑み 長期休業の短縮や廃止をして 年間39週の保育を確保する学年歴に組み替えました。

その結果 夏休みが一番多い日数短縮され 小学生のディキャンプも実施できず 卒園生(特に年度末も休園で保育できなかった1年生)には申し訳ない限りです。本当にごめんないさい!

園長として一学期をふり返ると 4・5月の家庭やディサービス等での生活での育ちと 6月からの幼稚園での生活やあそびを通しての時間が加わった育ちは 例年にないかたちではありましたが この約4ヶ月の間のどの場での経験もそれぞれの子ども姿に認められ 学齢にふさわしい成長・発達の姿になっています。

しかし 一部の報道でも伝えられている通り 一定期間に及ぶ生活やあそび経験の著しい欠如は子どもの発達に具体の影響を与えます。全国的な感染状況は予断を許さず 北海道においては秋以降の感染防止対策の困難さは避けられません。

家庭内感染への対応もさらに検討し 二学期以降に備えたいと考えます。そして 一年間を通して 子どもの幼児教育の機会保障がかなえられる様に最善を尽くしてまいりますので 今後ともご理解とご協力をお願いいたします。

 

生命は (吉野 弘)
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花もめしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分他者の総和

しかし互いに欠如を満たすなどとは
知りもせず知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえ許されている間柄
そのように 世界がゆるやかに構成されているのは なぜ?

花が咲いているすぐ近くまで
虻(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

 

毎年学期末の春日山(園長便りはここ2年ほど滞っていますが)にこの吉野弘さんの「生命は」という詩を掲載します。どんどん窮屈になっているようにしか見えない子ども達の育つ道程 子育て環境 そして近頃の社会のあり様を含めた子どもを取り巻く状況を思うとき この詩の意味が胸に深くしみます。

「…世界は多分 他者の総和…」依存や支え合い 「お互い様」の関係がそれぞれの生活を豊かにし互いの関係に潤いを与えてくれるのでしょう。その事が 今どきの子育てにも教育にも社会にも欠如していることだと私は考えます。そして 富や危機危険の偏りも世の中を歪ませているのかも知れません。紛争や対立 そして 近年頻発する自然災害 は途切れることなく世界のどこかで悲惨な現実を重ねています。

コロナ渦にある今 東日本大震災で津波により甚大な被害を受けた地域の幼稚園の先生が 地震の半年後まだ絶望的な状況の中で「すべてが破壊され瓦礫にまみれた自分たちの街が 少しづづではあっても多くの助けや支え合いによって着実に”なおって”ゆく様子を 子どもたちには胸に刻んで成長してほしい そして 自分が大人になった時 自分たちがしてもらった様に 困っている人に手を差し伸べられる人 助けられる人になってほしい…」と語られたことを思い出します。この困難は 何かを恨んだり誰かを批難するのではなく 皆の力で乗り越えていかなくてはいけないのでしょう。

生命は不完全さを互いに補い合い 全体の総和の中で成立するもの…。吉野弘さんの「生命は」という詩は 現代の風潮の対極にあるのではなく その悩ましさをも包含する大きな”寛容さ”と”謙虚さ”があります。短い夏休みではありますが いつもにも増して子どもと共にする時間がふえることと思います。 その中で 必ず新しい気づきや発見があるはずです。(それは親にとって良い面も悪い面も…両面あるはずですが…)。

もし 今まで自分が見過ごしていた子どもの姿があった時には いちいち指摘し叱るのではなく そこを仲間に補われ支えられて今の我が子の姿があることに思いを寄せてほしいです。

そんな一面はどの子どもも必ず持ち合わせていますから…。

今年は 一学期の終業が8月6日になりました。この日は広島に原爆が投下された日です。そして 明日9日は長崎に原爆が投下された日です。美晴幼稚園の玄関にある 一見おばあちゃんに見える「喜ぶ少女」像は 長崎の平和祈念像の制作者でもある彫刻家北村西望氏の作品(正式なレプリカ)です。

子どもが子どもらしく過ごせる日常がいつまでも続きます様に祈ります。

園長 東  重満