どんりゅう園長のひとり言

でもね…

実は今日お天気なら 平和公園のグランドで運動会の取組をする予定でした。

しかし 今日はいくつかの小学校が遠足だったようで 朝の園庭あそびの時間から入れ替わり小学生の一団が平和公園に来ました。(最初に来た2団体は 途中休憩だったようだけれど)

そして 朝の園庭あそびが終わるころ大きな一団が来たので 美晴幼稚園の教頭が 引率していた小学校の先生に 美晴幼稚園でも一定の時間(30分程)平和公園のグランドの部分のみで運動会の取組を予定していることを控えめにお伝えすると 小学校の時程(時間にそった指導計画)を示しながら 「今日は”公園全面”を使って活動を計画していて 幼稚園が使おうとしている時間帯もちょうど小学生がグランド部分を使用する計画です…」と言って それとなく(はっきりと)幼稚園は使わないでほしい とのご返事をいただきました。

当初から公園だからズケズケと使わせていただこうとは考えていませんでしたが 今週の中では一番のお天気だったけれど 公園のグランドを使用しての取組は控えました。(そのおかげでみんなで園庭であそべたのだけれど)

とっても残念ですが 小学校の先生方はこのような自分勝手な計画や 実際の授業(行事)をけっこうあたりまえに行われます。

公園はだれも(子どもも)知っている通り公共空間。決められたルールのもとで その時々に使いたい人が互いに配慮しあいながら気持ちよく使用する場所です。

ある意味 同業者?の立場から言えば 管理者(学校長)の問題ではあるものの 現場で引率されていた先生方にも状況を判断する力や教員だからこその他者への配慮がほしいものです。

このことは幼稚園のブログとはいえ一方的に書くのはフェアじゃないし 学校種(施設種)を問わず共有したいことなので 定期的に行われている豊平区の保育所・幼稚園・小学校の連携協議会できちんとお伝えします。

私たち美晴幼稚園の教職員も 隣接の公園だからといって自分勝手な使い方や振る舞いにならないよう 自分事として十分気をつけなければならないと考えます。

島松駅逓(クラーク博士記念碑)

昨日 幼稚園の玄関ドアの修繕工事(ドアの下が床のタイルに擦れていたので)の立会いをした後 北海道文教大学の75周年記念式典に出席するため恵庭に出かけました。(そのため小学校の運動会を観に行くことができませんでした)

帰り道 島松で旧道に入り 駅逓跡の脇にある  クラーク記念碑に立ち寄りました。(ちょうど2時前ころで 雨がパラつきはじめました)

生前 子どもの頃から幾度となく父に連れてきてこられた場所でしたが あらためて 記念碑に書かれているクラーク博士の年譜を読むと ちょうど50歳の時にわずか8ヶ月間 札幌農学校の教頭に赴任していたことがわかりました。

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(写真をクリックすると鮮明に写真を見ることができます)

父が現在の美晴幼稚園を設立したが49歳の時。最近 創立者である父の気持ちが少しだけわかるようになってきました。

何故 幼稚園を設置し運営するのか…。社会環境や制度が変わっても そこのところは地に根をはるようにブレてはいけないのだと思います。

小学校の運動会は大事な思い出に、

先週そして今週と 雨模様で気温が上がらないお天気のもと小学校の運動会が行われましたね。小学生生活最後となる6年生のことを思うと家族が見守る中で思う存分の運動会にしてあげたかった という思いもあります。しかし 天気(自然)のことは人間の力や思いは及ばない というとを身を以て経験することはとても大事だと考えます。

大袈裟だけれど 子どもはこんな経験を重ねながら人生というものを学んでいると思います。これから先 自分にとって人生を左右するような大事な日 自分のコンディションが良いとは限らない…。

いくら頑張って 万全の準備をしていても…。その日の天気とか 運とか…。うまく行かなくて結果がおもわしくなくて それで 一時立ち止まっても 前に歩みを進めなければいけない時は誰にでもあるでしょう。

運動会を終えた小学校から 礼状や学校便りが届いています。その中に自分が小学校の頃 苦手だった教科の授業にTT(ティームティーチング(複数指導))にはいられている先生のくだりがありました。

そういえば ドンリュウは多動性があり注意が欠如している子どもで 特定の科目や学習内容がとっても苦手でした(というか今でも)。

自分が記憶しているだけでも 5歳と7歳の時に 自らの不注意による 高所からの落下と車道への飛び出しで2度命を失いかけている。というより 状況からいえば命をなくしていてもおかしくなかった…。

2月生まれということもあるけれど 読み書きを覚えるのはとっても遅く 算数の時間もみんなが手をあげても自分だけわからず焦るやら切なくなるやら…。九九を暗唱で覚えるのもクラスで一番遅かった。

それなのに懇談で母は毎回担任の先生から 「いつも黒板(前)を見ないで 後ろや横を見ている。だから注意してあてるとちゃんと答えたりする時もある…。」 いつもニコニコしていたらしいけど 突然感情が高ぶったり わけのわからない子どもだったと思う(これも今でもあまり変わらないけれど)。

そんな ”僕” を 家族はもとより周りの人はいつでもどこでも受け入れて一緒にいてくれて(大人はまもってくれて) 学校も 先生や友だちも 大好きだった(3年生の担任の坂本先生が「東くんが休んだ日はとても寂しかったよ」と寄せ書きに書いてくださったのは本当に嬉しかった)。

長々と書きました(幼稚園の玄関ドアを修理していて一日中幼稚園にいるので)。

TTで授業にはいられた先生は 自分が教師を志した大学入試で算数(数学)の苦手意識を克服され ご自分の夢を叶えたそうです。

ドンリュウは勉強は大嫌いだったけれど学校が大好きだったおかげで 36歳になって学業を修め 幼稚園の園長になり大学の教壇に立つことができました。

4人姉弟(姉3人)の中で自分だけ一度もリレーの選手になれなかったけれど 家族で昼食を囲んだ運動会は鮮明に思い出します。

得意不得意をこえたところに学校生活の大事さがあるのでしょう。子どもたちが ありのままを受け入れられ 安心安全で毎日過ごして 地道に歩みを進められる場であるように 今一度 美晴幼稚園の生活を見直してみたいと思います。【園長 東 重満】

 

児童憲章(こどもの日にかみしめたいことば)

児童憲章

制定日:昭和26年5月5日

制定者:児童憲章制定会議(内閣総理大臣により招集。国民各層・各界の代表で構成。)

われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。

児童は、人として尊ばれる。

児童は、社会の一員として重んぜられる。

児童は、よい環境の中で育てられる。

一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。

二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。

三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。

四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。

五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。

六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。

七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。

八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。

九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。

十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。

十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。

十二 すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。

 

美晴保育の真髄

昨日(4・21)のポートフォリオに園庭のあそびをお約束をしっかり伝えてからあそぶ意味が書かれていました。

自分もお友だちも安全に楽しくあそぶためには 遊具の正しい使い方とあそび方をみんなが守らなければいけません。

園長が内閣府、厚生労働省、文部科学省の三府省が教育・保育施設の重大事故防止・対応ガイドラインを策定する会議に委員として参画した時 行動心理を専門として保育事故防止の指導を保育士にされている委員が「最大最良の事故防止対策は子ども自身が危険回避能力を高めることだ…」と強く主張され「そのためには小さな怪我をたくさん経験することに尽きる。それを保障するのは保育の質(保育者の質)そのものだ!」と強く意見を述べられていました。私もまったく同じ考えです。

そのような準備と配慮を不断に実践するように努めます。

そして 保育者の添え書きにとっても大事なことが書かれていました。

「自分自身はもちろんですが 大切な誰かを傷つけてしまわないように 守るべき大切なお約束・・・まだまだ難しいお友達はいるけれど、それでも これからも伝え続けていきます。たとえ意味が 難しくても 伝え続けていけば、必ず その大切さは こころに 伝わるものです。」

この短い一文に込められた保育者の意志は美晴保育の真髄です。

子どもは 自分のことを無条件で受け入れ本気で理解しようとしている人 自分に正面から向き合おうとしている人 自分のことを好きになろうとしている人に いつか 必ずこころを向けてくれます。

美晴の保育で 保育者が伝えるのは 子どもの目や耳へ ではなく こころに です。

それは 願いであり 祈りのようなものかも知れません。時には難しく厳しいことがあっても 子どもを信じて 愛をもって続けること をなにより大切にしたいものです。

【園長 東 重満】

生きかたに刻まれる出会い

私(園長)がかつて仕事をご一緒させていただいた 当時 文部科学省の特別支援教育課の課長補佐でいらした瀬戸麻利江さんが昨年の4月10日に他界されたことは 昨年の4月16日のこのブログに書かせていただきました。

その後5月に このブログを読んでくださった瀬戸さんのお母様からお手紙をいただき 瀬戸さんが子どものころからどのように生き 文部科学省に入省されてどのようにお仕事に向き合い 発病後も最後の仕事となってしまった 障害者差別解消法の文部科学省の対応指針策定をどのような思いで成し遂げたか を伝えていただきました。

私がインターネットなどで調べたところ 瀬戸さんは教育行政(特別支援教育)を担当する前に 東日本大震災後(東京電力福島第一原発事後)の大変難しい時期 原子力行政部門を担当されていたようです。

私の勝手な想像ですが あの時期 国の原子力行政を国民や報道機関に説明する仕事は 本当に厳しく大変な仕事だったと推察します。その仕事を瀬戸さんが担うことになったのは 瀬戸さんの文部官僚としての有能さと共に 仕事への向き合いかたを含めた 彼女の人間性の豊かさ素敵さ 故だと私は思っています。

前のブログにも書きましたが 短い期間 仕事をご一緒させていただいただけですが 私はそう感じ 確信しています。

瀬戸さんのご命日となった4月10日は 美晴幼稚園の入園式・始業式の日です。(美晴幼稚園では入園式を曜日に関係なく基本的に4月10日 卒園式を春分の日と定めています)

私は新しい年度を迎え保育に臨むにあたって 特に新任の若い保育者に向けて 瀬戸さんの 人間性や生きかた 社会人としての仕事(専門職)への向き合いかたを 瀬戸さんとの出会いに感謝し思いを寄せて伝え続けます。

それは ここ数回このブログで伝えさせていただた様に 多様性に富んだ美晴の子どもは感受性が繊細で感性が豊かで 保育者の人間性(あり様)を見抜くからです。

4月になって 退職した職員のほとんどが ブログなどでみる美晴の子どもの姿に思いを寄せながら自らの新しい仕事や新しい道に進む意気込みを伝えてくれました。どこで生きて(仕事をして)いても その人の人間性(あり様)は変えられないものです。

瀬戸さんはこれからも思い出にとどまらず 美晴で保育に携わる保育者に最も大事なことを伝え刻み続けてくださいます。

園長 東 重満

 

追伸 今年は新人を含め素晴らしい保育者ばかりです。子どもたちと過ごす中で一層磨かれてゆくことでしょう。一年間 子もとしっかり向き合って保育ができそうです。

カオスモスの運動と逆教育−2

前回 社会(広い意味で世界)の大きな変化の真っ只中にある現実と多様な人々が互いに共生する社会で自分らしく幸せにいきるには どのような幼児期を過ごすことが求めらるのか という大きな問題を幼児教育(保育)の現場で考える時 「カオスモスの運動」と「逆教育」の概念を踏まえることで先が見えてくる ということを書きました。

「カオスモスの運動」は丸山圭三郎という哲学者が著書名にした概念ですが 私が美晴の保育でいかすエッセンスは 二項対立の構造や既成概念の枠をこえた保育実践(運動)を実行する ということです。

対立の構図で語られること 「一斉あそび」⇄「ひとりあそび」 「保育」⇄「障害児保育」 「設定あそび」⇄「自由あそび」 「学齢別保育」⇄「異年齢混合保育」 「静か」⇄「騒がしい」 「静的」⇄「動的」 「体育系」⇄「文化系」 枚挙にいとまがありません…。

幼児期の子どもは 本来 理解の難しい存在です。大人が関与しなければ子どもの集団は一見混沌(カオス)として見えます。

しかし 注意深く継続的にこころで寄り添えば 自然な存在であるすべての子どもと周囲との関係には 厳然とした秩序(コスモス)があることに気づけます。

一見 騒がしく無秩序にあそんでいるかのように見えるあそびの中に 必ず 規則性や発展性 系統性があります。ただ そこには「安心安全の中で子ども自身の自発性や主体性が存分に発揮される」 という条件が保証されていなければいけませんが…。

その環境(条件)で 子どもは大人やお友だちとのかかわりを通して 自分の課題に向き合い 自らを自分らしくかたちずくってゆく(教育する)ことが可能となります。

言い換えると 子どもは例外なく 誰もが皆 自分をかたちづくり他者(世界(社会や自然))とつながる力をつける 学びの主人公なのです。

現実の 子どもと 子どもの周囲には カオス(混沌)とコスモス(秩序)が混在しているのですね。

カオスモス(カオス/コスモス)の運動の中で乳・幼児期の子どもを見直してみると 違った見え方や風景がひろがります。

「逆教育」は次回。

「カオスモスの運動と逆教育」−1

個人的なことでもありますが 園長になって 気がついたら今年度で20年目を迎えました。その節目ということもあり 数回に分けて 自分のキャリアを含めて美晴の保育を少しふり返ってみます。

ここ2年間 幼児教育・保育は子ども子育て支援新制度の施行で大きな動きのただ中にありますが それ以上に大きな変化の動きの中にあると実感しています。

① 日本ばかりではなく世界が大きく変化している状況で 今の子どもたちは厳しく難しい時代を生きてゆくのであろうと考えるとき 幼児期にどのような生活や学びを経験すると良いのか…。同時に 未来に向かって生きているものの 未来のため に生きているのではなく 幼児期という時間(「いま」「ここ」)を懸命に生きている子どもと どの様に過ごすことが良いのか…。その二つを矛盾せずに実現すること。

② 多様性が尊重される社会で 人々が互恵関係の中で共生してゆく時 障がいの有無にかかわらず合理的配慮や支援が生活やあそび(学び)の中に埋め込まれていて自然になじむこと。

この①と②を現実の保育(生活)で実現するには このブログの表題にした カオスモスの運動と逆教育という概念と具体の運動が必要不可欠である ということが 私の幼児教育の現場での経験でわかった「真実」です。(でも 実行(実践)は難しい…)

そして 子どもたちの幸福を希求するならば このことは必要不可欠であり 美晴幼稚園の存在意味と社会的な使命も ここにあると考えています。

キーワードにした「カオスモスの運動」と「逆教育」という概念? 何が何だかわからないと思いますが 後の号で詳しく書きますのでご容赦ください。

 

最後までありがとう

昨日(27日)で今年度で退職する保育者の出勤が終わりました。

卒園式・修了式後も 預かり保育や わざわざ 顔を見に来る子どもやお母さんがたがいましたね。

退職した職員は それぞれ違ったタイプで 美晴幼稚園にとってはかけがえのない保育者でした。

さみしいですが 新しい仕事と生活が充実して幸せであるように 卒園生や転園した子どもたちと同じく 遠くから応援します。

そういえば 夕方 速達郵便を投函しに郵便局に行ったら 少し前に幼稚園でお見送りしたお引越しで転園する子どもとお母さんに 駐車場でバッタリ(お友だちはチャイルドシートで熟睡だったけれど)…。縁やつながりって不思議ですね。

年度末の仕事や研究 引き継ぎの仕事をやり遂げた先生方 ありがとう!

 

園長のささやかな提案

アルバム係さんから 年長が発表会の総合劇で歌った「こころがひとつになるまで」を全員で歌っている映像を撮影したいというお願いがあったのですが 今日 ピアノ伴奏を担当していた木須先生がインフルエンザでお休みでした。

中川先生が急遽伴奏の練習をして誕生会後に無事収録できたのですが その過程で園長からささやかな提案をしました。

「無伴奏で子どもたちの歌だけで撮影してみたら…」

ドンリュウのささやかな提案はスルーされました…。

こう考えました。今の青バッチの子どもたちだったら ピアノの伴奏でのせてあげなくても お友だちと呼吸をあわせながら楽しく合唱できる…と。そんな子どもたちの姿こそ美晴の子どもたちらしいのではないか。伴奏者がいないピンチをチャンスに変えてみては…と。

せっかく記念のDVDだもの きれいなピアノ伴奏にのせての歌の方がいいよね。それはとってもわかるよ わかっているよ。

発表会のホールでたくさんのお客さんに向けた表現 大きな声でのびやかに歌うのは 子どもたちにとって大事なプロセス。でも 今日の職員会議で 卒園式の歌は 声を張り上げるのではなくて 子どもたちがこころを寄せ合い響き合う歌を歌いたいね とドンリュウ園長から保育者へ提案してみました。

だって 今年の年長はこころをひとつにできるのだからね。

03-07-10