キビダンゴ つないでつないで

「自由感」と「精進感」

精進感曾根靖雅(1906年12月10日~1995年10月2日。私の恩師)・木下竹次(1872年(明治5年)3月25日~1946年(昭和21年)2月14日。小学校教育の父、小学校教育における「生活科」「総合的な学習の時間」の理論的論拠、主著『学習原論』、私の恩師の恩師)が、倉橋惣三(1882年(明治15年)12月28日~1955年(昭和30年)4月21日。(幼稚園教育を中心とした)幼児教育の父、1947年(昭和22年)文部省の依頼で『保育要領』(現在の幼稚園教育要領、保育所保育指針、幼保連携型認定こども園教育・保育要領の雛型)作成、主著『幼稚園保育法眞諦』(後の『幼稚園真諦』))のいう「自由感」「精進感」についての考え方をとおして、「教育」についての思想の共通性を見い出したいと思います。

「精進」の辞書的な意味は、「熱中すること。懸命になること。必死になること。一心不乱に努力すること」となっている。仏教においては、「自分自身を真っ白にするために、身を清め修行に励むこと」です。

教育においては、倉橋惣三が彼の著書『幼稚園保育法眞諦(『幼稚園真諦』)』(1934年(昭和9年)7月30日、東洋圖書株式合資會社)の中において、「遊びの中での単なる「自由感」から「精進感」という「目的のある仕事へのまとまりを求める自然傾向」があるとしている。この倉橋惣三は、「生活を生活で生活へ」という有名なことばとして、「生活主義的自然観」を幼児(幼稚園)教育の論拠としている。これは、自然主義者のJ.J.ルソー、ならびにガーデン主義者のF.フレーベルの教育的思想を受け継いだものであることが明らかです。さらに倉橋惣三は、F.フレーベルより「子どもに学ぶ」ということも多分に吸収しています。つまり、子どもの存在そのもの、子どもの生活そのものを尊重している点で明らかなわけです。それが彼のいう「幼児をしてふさわしき幼稚園生活に生かしめよ」にあたります。そうした理論的論拠をもとに、彼の「誘導保育論」が展開していきます。

木下竹次においては、主著『学習原論』(1923年(大正12年)3月20日、目黒書店)において、J.J.ルソーの「自然主義教育観(自然に還れ)」に基づいた「プラグマティズム(実用主義、道具主義、実際主義)」による「指導性」を、「直接的方法」よりも「間接的方法」を重視します。そして「学習即生活」という考えにしたがって、「学習者である子どもが、生活から出発して生活によって、生活の向上を図るもの」としている点は、先に述べた倉橋惣三とまったく同じことを述べているといえましょう。この木下竹次が 1919年(大正8年)3月には奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)校長(今の学長)の野尻精一に懇望されて教授兼附属小学校主事(今の校長)に赴任していました。

1927年(昭和2年)9月27日に、曾根靖雅が訓導(今の教諭)として、木下竹次に招聘されて奈良高等女子師範学校附属小学校に着任(名訓導の清水甚吾(「自学・自習」そして「合科学習」に支えられた、作問を中心にして行った彼の算数科実践)、音楽教育の幾尾純(児童中心主義に立った音楽教育者)、河野伊三郎(1929年東京帝大数学科卒、理学博士。数学者)、千葉命吉(一切衝動皆満足論、教育者)、志垣寛(奈良女高師訓導を経て同文社に入り、雑誌「小学校」編集主任。1924年(大正13年)下中弥三郎、野口援太郎らと池袋児童の村小学校設立、主事(校長)を務め、「教育の世紀」を発行。機関誌「教育の世紀」を発行)、桜井祐男(のちの芦屋児童の村小学校の設立者、芸術教育者)、永田与三郎(東洋図書創業者)、藤本光晴(昭和期の国民保健体操創案者)等そうそうたるメンバーがそろっていました)した。曾根靖雅は、木下竹次『学習原論』『学習各論(上巻1926年(大正15年)刊、中巻1928年(昭和3年)刊、下巻1929年(昭和4年)刊)』に学び、実践を通じて「学習のメトーデ即評価の観点」をまとめ上げました。とくに、1928年(昭和3年)刊の『学習各論中巻』は、木下竹次が発刊前日に直々曾根靖雅に手渡されたという逸話があり、この『学習各論中巻』には、木下竹次から曾根靖雅が入手した記録(直筆)が残されています。曾根靖雅作成の「学習のメトーデ即評価の観点」には、子どもを教育するための方法とポイントがチェックリストとしてまとめられています。それによると、「M(メトーデ)1目的の自己設定・自発的能動的意欲」、「M2常に新たな発想着想」、「M3準備の自主自立」、「M12改善実行の熱意」、「M13専念追求集中の態度・誠実」、「M15自己の成長発展の吟味」等人間形成の教育(陶冶)のポイントが記載されています。とくにM13がこの「精進」に関連しているのです。ただ、その際にM1、2、3という自発性・能動性に関する項目は、先に述べた倉橋惣三のいう「子どもさながらの生活(遊び)」に発祥する「自由感」から「精進感」に展開する彼の教育思想の流れに共通している点は注目に値しています。したがって、「精進」ということを考えるにあたっては、「子ども(学習者)に何か(学習・遊び・生活・仕事等)をさせる」といった他律性を棄却し、「子ども(学習者)自らがする」という自律性に立脚する必要があるといえましょう。つまり、「精進」「自らする」中で実現できるわけです。決して、「精進」は人に「させられる」ものではありません。倉橋惣三は、この「自らする」ことの基本に立脚して、「子どものさながらの生活(遊び)」に始まる「誘導保育論」を作成したわけです。倉橋惣三は、よく「自由保育論者」であるというようにいわれますが、実はこの「精進感」を目指して指導が必要であると考えていたといえましょう。ですから、倉橋惣三は、別のところで、「一点の厳粛味」ということを述べているわけなのです。

倉橋惣三は、彼の主著『幼稚園保育法眞諦(『幼稚園真諦』)』(1934年(昭和9年)7月30日、東洋圖書株式合資會社)の第3編第2章「自由遊びから仕事へ」の中で述べている「精進感」を「何かある仕事をし通していきたいというだけの心」(p.96)と説明している通りである。そして、「私たちは―私たちよりえらい人々は―、非常に強い自由感と非常に強い精進感とで常に生活しているかもしれませんが、私たちのように、其の両方ともいい加減なのを、生活性の低い人間といいます―ところが、幼児の精進感はそうではありません。弱いなりに自由感から精進感に移って来ます。ですから自由遊びから仕事へという順序は、幼児として自然に起ることであります。」と説明している。現代でいうところの「生きる力」ということについて言及している訳なのです。つまり、子どもたちの自律的・自発的に行っている「遊び(生活)」の中で自然と起こる「自由感」から「精進感」の推移こそが、現代にも共通して、子どもたちに育てる必要のある「生きる力」であるといえよう。ここに振り返れば、曾根靖雅「学習のメトーデ即評価の観点」の指導が、子どもたちの「生きる力」を育てるものであると言い換えることができます。

自ら育む

「自ら育む」ということばの主語は、当然子どもです。子ども自身が自分自身の力で自分自身を育んでいくというということになります。こうした考え方は、倉橋惣三(1882年(明治15年)12月28日~1955年(昭和30年) 4月21日、大正・昭和期の幼児教育の研究実践家)の言葉を借りれば、「「育ての心」とは何か。それは、自ら育とうとするもの(子ども)を育てずにはいられなくなる心である。その心によって、子どもと保育者・親とはつながることができ、子どもだけでなく保育者・親も育つことができる。子どもを信頼・尊重し、発達を実現させることもできる。この心は、職務として現れるものではなく、義務として現れるものでもない。自然なものである。」(『育ての心』(1936年)の前書き)と言っていることに立脚したものになります。幼児教育者としては、無意識に近い形でこのように考えてしまうのです。言い換えれば、J.J.ルソーやF.フレーベルといった教育先達者のこうした考え方がベースにあるということにもなります。

さて、倉橋惣三にとっては、「子ども」とは「自ら育とうとするもの」だったわけです。子どもに全幅の信頼を寄せている点が倉橋の特徴でもあります。この『育ての心』においては、保育者(親)の働きは、「育てずにはいられなくなる心である。その心によって、子どもと保育者・親とはつながることができ、子どもだけでなく保育者・親も育つことができる。」と締めくくっています。彼の墓碑にも、この『育ての心』(1936年)の冒頭の一節「自ら育つものを育たせようとする心 それが育ての心である 世の中にこんな楽しい心があろうか(『育ての心』(1936年)序文冒頭文)」が彫り込まれています。子どもは、「自ら育つもの」と表現されています。これらは、倉橋惣三が、J.J.ルソーの「自然主義教育論」に立っているともいえます。このJ.J.ルソーは、性善説(人は生まれながらに「善」であるという立場)に立っていました。それで、あの有名な「自然(しぜん)に還(かえ)れ」(社会の因襲による悪影響から脱し、人間本来の自然の状態に還れという、(思想史的に考えれば、当時猛威を振るっていた「王権神授説」に対抗するために、極めて慎重な議論を歩み進めた『人間不平等起源論』『社会契約論』)という有名な言葉を残した人です。この「自然」とは、けっして「大自然」とか「田園や田舎」とか懐かしい「良き昔」等を意味しているわけではありません。「自然」とは、「子どもは生まれつき「善」である(性善説)のだから、生きていく内に社会の「悪」に染まったおとなが、子どもに「悪」を教え込んで「悪」に導くことなかれ」という意味を持っています。さらに言えば、「おとなの教育(干渉)のないところで子どもを育てましょう」という意味も付加されているのです。その意味合いを学んだ倉橋惣三が「自ら育つ存在」として、子どもを位置づけているのです。また、倉橋惣三の「誘導保育論」は子どもの「さながらの生活」から始まっているわけです。子どもたちの自発的・自主的・主体的活動をとても大切にする理由は、この点にあります。

この倉橋惣三は、1948年(昭和23年)に当時の文部省の依頼で「保育要領」を作成しました。この「保育要領」は、幼稚園の教諭だけでなく、保育所の保母(保育士)や家庭にいる母親に向けた異質なものでした。学校教育法によって位置づけられ,指導を行う者も「教諭」として規定されています。「保育要領」では保育内容は、見学、リズム、休息、自由遊び、音楽、お話、絵画、製作、自然観察、ごっこ遊び、劇遊び、人形芝居、健康保育、年中行事とされ,子どもの興味・自発性が尊重されました。この「年中行事」に引っ張られた形で今現在もさまざまな年中行事が行われていますが、これらについては、現代の幼児教育・保育に携わる私たちとしては、再吟味する必要がありそうです。

その「保育要領」も1956年(昭和31年)、小学校教育との一貫性をもたせるなどの理由から、全面的に改訂され、名称も「幼稚園教育要領」となります。保育内容は健康、社会、自然、言語、音楽リズム、絵画製作の「6領域」に改められました。そこから、さらに5領域に改められたのは、まだ記憶に新しいことです・

したがって、倉橋惣三という方をご存じなくとも、現在「告示」(法律用語で、「これに従って幼児教育・保育をしなければならない」、ということになり、法的規制力(義務)があるわけです)されている「幼稚園教育要領」、「保育所保育指針」、「幼保連携型認定こども園教育保育要領」は、倉橋惣三が作成した「保育要領」が雛形になっていますから、幼稚園や保育所、認定こども園での教育に今現在携わっている方ならば、倉橋惣三に間接的に、あるいは知らず知らずのうちに出会っていることになります。

 

その子らしく

「その子らしく」を理論的にみると、カウンセリングのロジャーズの考え方に行き着きます。それは来談者中心の「ノンディレクティヴ・カウンセリング技法(「来談者中心療法(クライエント中心療法)」)」というものです。クライエント(この場合は、子どもと解釈すると、保育全般のこととして理解できます)中心に悩みや問題をちゃんと聴き=「傾聴」、ときには質問したりして、クライエント(子ども)自身が自分の行動に責任を持ち、自分(子ども自身)がどういう人間なのか、という自己理解を深めるサポートを意味しています。いいかえれば、子どもの一人ひとりの「人間性」の理解の上に立ち、それを子ども自身が理解し、子ども自身が自分を大切にしながらも、他者の存在に目を向けて、それをも大切にしていける状況を作りだせる存在にしていくものというものです。ロジャーズのいう、「受容」・「傾聴」・「共感(的理解)」が基本となります。保育においてもこれら(「受容」・「傾聴」・「共感(的理解)」)が指導の重要な位置をしめることから、「保育カウンセリング」や「カウンセリング・マインド」という言葉が編み出されてきました。これらは、日本で「保育」を焦点に入れて作成された「和製英語」ですので、国際的に通じる「英語」ではありませんから、注意してください。

このように、保育においては保育者を含め、子ども自身が「自分」を認めることから始まって、「他者」を認め、思いやりの気持ちで接することが大切にされます。子ども自身が自分の行動を決定し、思いを成し遂げていけるものとして、多くの学者は「子どもの遊び」の重要性を指摘していますのは、「(子どもの)遊び」が、「遊び」という活動を計画(何して遊ぶか)し、決定(どのように遊ぶか)するときに、「遊び」が「自己決定の原則」という重要な要素を含んでいるからです。よく、「「遊び」は「自発的」なものです」という言外には、このことが含まれているので、「子ども(の成長)にとって、「遊び」は重要です」と言われる所以(ゆえん)があります。

J.J.ルソーやF.フレーベルに学んだ日本の幼児教育の父である倉橋惣三も、例外ではなく、「子どもの遊び」に始まる保育を『誘導保育論』の論拠としています。倉橋のいう「さながらの生活」という「さながら」とは、現に「子どもが始めている生活」と意味しています。ここから倉橋の指導は開始していきます。この点が、倉橋惣三の『誘導保育論』の心髄ということになります。この倉橋惣三が学んだF.フレーベルは、この「(子どもの)遊び」を、「幼年期において人間の発達上、最高の働きを為す者は遊戯である。なぜ遊戯が最高の働きであるかといえば、遊戯においては、児童は内部の必要に応じて、自ら自由に活動して、内部的本質を外部に現すからである。

遊戯は幼児が為す所の最も純粋なる、又、最も模範的なる生活である。独り人間のみならず万物の内にも隠れて居る所の内部的生命の模範である。其れ故、遊戯は之を為す者に喜悦、自由、満足、休息、及び外界との調和を与ふるものである。又、遊戯は凡て善なるものの源泉である。だから身体の疲れるまで、思ひ切って熱心に根気能く遊ぶ子供は、生長の後、屹度、自他の安寧幸福を増進するために能く克己することの出来る、意志の強い人と為ることが出来る。(「フレーベル氏 人之教育」原田助校閲 ハウ女子編 1917年 初版1909年 警鐘社書店)」と述べています。この点についての詳細については、別途説明したいと思います。

以上のように、「その子らしく」というフレーズは、単なるキャッチコピーではなく、保育にとって重要な多重の意味合いが隠されているわけなのです。

大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人である金子みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日~1930年(昭和5年)3月10日)本名:金子 テル(かねこ テル))は、小さないのちを慈しむ思い、いのちなきものへの優しいまなざしが、金子みすゞの詩集の原点ですが、金子みすゞがいうように、「みんなちがってみんないい」のです。そういう意味では、SMAPなどに歌われている「世界に一つだけの花」の歌詞の内容は、園での子どもの指導に生かせるものです。日々の保育でも、この歌を口ずさみながら、大切な子どもたちの保育に当たっていただけると、保育の世界がさまざまな色合い鮮やかに輝くものとなるでしょう。

 

参考までに、「世界で一つだけの花」の歌詞を掲載しておきます。

『世界に一つだけの花』作詞・作曲・編曲/槇原敬之、著作権者(作詞・作曲・編曲以外)/ジャニーズ出版、2002年(平成14年)。JASRAC許諾、第J090816598号。

 

花屋の店先に並んだ  いろんな花を見ていた

ひとそれぞれ好みはあるけど  どれもみんなきれいだね

この中で誰が一番だなんて  争うこともしないで

バケツの中誇らしげに  しゃんと胸を張っている

 

それなのに僕ら人間は  どうしてこうも比べたがる?

一人一人違うのにその中で  一番になりたがる?

 

そうさ 僕らは  世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ  その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい

 

困ったように笑いながら  ずっと迷ってる人がいる

頑張って咲いた花はどれも  きれいだから仕方ないね

やっと店から出てきた  その人が抱えていた

色とりどりの花束と  うれしそうな横顔

 

名前も知らなかったけれど  あの日僕に笑顔をくれた

誰も気づかないような場所で  咲いてた花のように

 

そうさ 僕らも  世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ  その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい

 

小さい花や大きな花  一つとして同じものはないから

NO.1にならなくてもいい  もともと特別なOnly one